11年12月30日記
冬になると
12月21、22日と2日間嫌な仕事をした。水道ポンプが圧力がかかっても、電動ポンプが短時間、数秒しか止まらない状況になってしまった。21日のことでした。それまでに兆候は有った。地面には初雪が15cmほど残っていて、今の時期この問題解決は厄介だ。
地下90cmに埋設した塩ビ管が何処で破損して漏水しているかを探さなくては。
21日、思い当たる場所を2箇所掘ってみる。そこは問題なし。初日は一人で2箇所を掘った。現在は凍土の深さは25cmから30cmです。凍土の下は柔らかいが人間一人が入れる穴を90cmの深さまで掘らないと埋設した塩ビ管を見ることが出来ない。2日目は市街の業者に援軍を頼んだ。次は何処を掘るか?、どこかが破損して水漏れが起っているのだ。ポンプから20m程が埋設菅の長さ。
怪しい場所が分かった。凍土が始っているのに膨張しないで窪んでいる場所が。そこに狙いを定めて掘る。堀作業に1時間半、水漏れ箇所を発見。修理が終わったのは22日09時から始めて、夕刻3時半、日没直前。 翌日23日には降雪30cm。
今の矢臼別は40cmほどの積雪。ベリー樹の根元に殺鼠剤を撒いたりそれなりの対策をしないと野生動物の害を受けることになる。
兎の多いことに気付くのも雪が降ってからのこと。雪の上の足跡で分かる。野鼠の多いのも矢臼別です。やちネズミもだが家ネズミも多い。これは私がここにいるから住みながら得るネズミだと思う。
雪が降らないと分からなかった動物の動きが今は良く見える。鹿は海岸ベリに移動したようだ。齧り害防止の殺鼠剤でも撒こうか。27日午前中、ベリー120本には根元に殺鼠剤を。残りは100本、大雪の来る前に。
11年12月23日記
今年もまずまず
今年も1週間で大晦日、早1年が過ぎることに。西牧場としてはまずまずの1年だった。菜園の出来も不足なし。ブルーベリーの出来も普通作としよう。ブルーベリーの先生だと200kgが普通作、だから50kgだと4分の1作と評価されそう。
今年は100本の増植を春先にした。一応みな移植に成功、活着した。冬場にはネズミの齧り害や野うさぎの齧り害に用心が必要だ。
新春5月には今年に続いて100本の増植を考えている。4月5月は忙しくなる。が来春もボランティアを当て込んで今秋増園した地所に移植を考えている。
馬の西牧場からの搬出は出来なかった。大雪が降らなければ1月にでも持ち出せるが春先まで置こうかとも思案中。春先に生まれた雌馬が搬出馬。嫁入り先が決まっていながら延び延びになってしまった。
馬の調教柵作りや、馬糞の菜園への持込も先送りされた。だから春先は忙しい。寸暇を惜しんで先送りした仕事をこなさなくては。
西牧場の自慢は化学肥料をここに転居来使っていないことだ。これが持続できなくなったら菜園の農作業は止めようと考えている。
一回りも年を重ねた古老が頑張っている。でこちとらも後何年かは菜園作業は続けられようと思っている。今秋は農作業を先送りしたが、来年も菜園を、そんな気持ちで年の瀬を迎えています。
11年12月16日記
秋田県の話
虫の発生がこの夏異常、で今冬は大雪ではないかと。これは地方で昔から伝わる気象予報らしい。この他にも百舌が餌を残した所まで雪が降るとか、を聞いたことがある。
当る当らないは別に、最近の気象異変には驚くことばかり。雨の降り方が局所的で集中豪雨が多い。
東京都内で地下工事をしていて、集中豪雨で工事現場が流された話や、今夏の和歌山県、奈良県の豪雨、降り方が年間の降水量を1日で降ったり、と桁外れである。これでは地表が粒状化現象を起して山崩れが起るのも分かる。
竜巻はアメリカの話とばかり思っていたが最近は日本のあちこちで竜巻現象が起っている。
異常気象があった地でよく聞く話は60年、70年この地で育ったけれど、こんなことは初めて、と。私の気象知識では30年の期間で気象の変化を見て行くが常識だったと認識している。
かつて経験したことのない事象が60年も70年も経って突然起っている。この異常が通常に変わりつつあるのが現在なのかも。
COP17が終わった。これは地球の温暖化を何とかしようと国際的に取り決めようと開かれた会議でした。ここで世界の国が取り決めをしないと最近の気象変化は食い止められないでしょう。なのに。なのに。
果たしてこの冬の雪の降り具合は?虫の教えはどうなるのでしょうか。気になります。
川瀬さんの馬飼いで聞いた話。詳しい年月は失念したが、大型馬が降雪が深くて笹を掘り出せなくて、その冬は馬の餌がなく困ったという話。
今冬は乾草11ロールで心配なし、と高をくくっているのだが。
11年12月9日記
乾草を倉から出す
12月3日降らないと思っていた雪が降った。降雪は約20cmか。雪でなく雨と思っていたが雪だった。車は西牧場に置いたまま、でも20cmの積雪なら町へ出るに問題はない。
拡張ベリー園の整地作業は出来ないままに師走は終わりそう。これが根雪になるのでは。
こうなったら何はさて置きポニーたちに乾草を餌置き場に出してやらねば。
4日正午から2時まで、15年ほど倉庫に積んで置いた乾草を11ロール餌置き場に運び出す。雪が降っても、こうして置くとポニーたちも餌の心配はない。
トラクターはないけれど自家用のトラック(自家用車)で引っ張り出すので200kgから300kgの乾草なら楽々引っ張り出せる。
「とりで会館」の東側半分は乾草置き場になっていて、フルに保管すると25本のロールが収まる。昨日出した乾草は15年も前に倉庫に置いた物で、食い込みが良いかどうか気にはなる。が今冬はこれで行くつもり。
腹がへってくると美味いとか何とかは言わなくなる。
ベリー園の整地は出来なかったが、この後の雪の降り具合で地面が見えたら春の雪解けまでに少しでも整地をしなくては。
ブルーベリー園の拡張は西牧場の大きな課題です。この地で暮らす人の恵にしたいから。
11年12月2日記
ベリー園のフェンス張り
師走の直前、11月27日、ベリー園の拡張の仕事を始めた。約100mの金網フェンス張りだ。フェンスの幅は120cm、これを鉄柱に張巡らす。
高さ2mの鉄柱は10月末に拡張予定地に3m間隔で打ち込んでいる。これにネジ釘を打ち込んでフェンスを張巡らす。一人ででも出来る仕事です。
鹿の侵入を防がないと新芽は鹿の餌食になってしまう。この地では省くことの出来ない防護フェンスです。
28日快晴無風。午前中1時間半、午後1時間半、フェンスを50m張巡らす。どうしてなのか鉄柱の打ち込みが浅いことを知る。28本中18本が30cmほど浅い。それでぐらぐらするのだ。これでは頼りないので約30cmを掛矢で打ち込む。どうしてこんな手違いをしたのか。
地面は凍て付きつつあるが、杭打ち作業は出来た。3時間かけて50mが終わったので、残りは30mだ。
29日午前中1時間半、午後1時間半をかけて30mのフェンスを張り終える。一部6mほどを残しているがこれは軽トラックを使ってフェンスの外に持ち出す木の株や枝木があって、それが終わるまでは完全閉鎖はしない。略フェンス張り作業は終わった。残るは整地作業だ。刈りあらけ作業を済ませておくと春先には120本の苗木を移植可能となる。
現在、株数は240本、来春は増株120本で西牧場のベリー園は株数、360株の園になる。ベリーの収穫は5年も先の話です。その頃までは元気で居ないとナ。ハハハ。
11年11月25日記
1軒屋では・・
11月21日、西牧場はテンヤワンヤ。11時から始ったパソコンの機種取替えが上手く行かない。仕事が捗らない、で夕刻までドタバタしたって話です。私は何も出来ないのだが、取替え作業をしてくれるのは酪農家のI先生です。その先生が困ったと言う話。
夕刻16時頃には取り替えたPC「7」動いたのだが師匠は悪戦苦闘を。ネットの接続が上手く行かず、それに時間がかかりました。私にとってネットに繋がらないパソコンは無用の器機。
が夕刻「ウインドウズ7」がネットに繋がった。ところがHPの更新が出来るまでは切り替えが進んでいない。「XP]からのソフトの引越し作業はこれから先の話。I先生は酪農の仕事が待っている。次の機会に残り作業を委ねて帰られた。
明けて22日、やらなくて良いことを朝から始めてしまった。新しい「7」からやったことのない部品の付け替え。たちまち行き詰まって、元通りにしようとしたが後の祭り。3時半から始ったパソコンいじり12時には二進も三進も行かずに。
この日、師匠が見えたのは12時頃。復旧成ったのは16時半。「7型」と「XP型」がともに動くようになったのでした。
矢臼別西牧場の自宅はパソコンの取替えで居間もゴッタゴタニなって。でも良かった今16時40分、HPの記事を書いています。
昨日、今日と冬らしい気温に、そして強風が吹きました。ろくなものも食べずに21、22日と過ごしました。
PCの先生には感謝感激です。もう駄目にしてしまったか、と悔やむことしきり。でも復活したようで今夜はぐっすり眠れそう。
23日、24日とパソコンは順調に働く。今年中は「7」と「XP」の2刀流で凌いで来年からは「7」で頑張ることにしようか。
11年11月18日記
薪作り続く
12、13日毎日3時間の薪作りを。今は午後4時には日没で暗くなる。冬至までは日没は早まるばかり。
堆肥運びは今秋は出来ないかも。
14日、午後2時半から日没まで薪運びを。夜7時頃、「とりで会館」土間に仮置きしていたジャガイモ80kgを自宅玄関にシフトした。15日朝の気温が氷点下を表示されたから。最近の天気予報は良く当る。せっかく収穫しておきながら保管で失敗は許されない。
薪運びもそろそろ終わりだ。今秋の堆肥運びは中止。
薪作りの後はベリー園のフェンス張りや園内の整地に精を出そう。
15日、薪作りを。午前中1時間、午後も1時間。残り枝木が僅かになる。段々と冬らしくなってきた。薪作りに専念、家の周りの倒木はみな薪に仕立てよう。
16日、10時から12時、国会中継を聞きながらジャガイモの収納作業。約220kgを自宅内の貯蔵庫に納めて作業を終える。ジャガイモの総収穫は390kg程か。いつもは人参も屋内むろに貯蔵だが昨年に続き畑に設けた貯蔵庫に60kgほどを入れた。これで収穫作業は完了。
17日、薪作りも終わりが見えた。今週で薪作りも終わりそう。薪の蓄えは5年分になった。
「その分長生きしなきゃ」と話したら、残った分は「私がっ」と笑われた。ハハハ。
西牧場に住む人がいるって、頼もしい話です。そうなってくれますように。薪作りは励みです。
11年11月11日記
薪作り作業
5日、今秋拡張ベリー園内に放置されていた1昨年切倒した雑木を園の外に除去。丸2年経つと乾燥が進んだ枝木、60cm長に切り揃えれば立派な薪材だ。拡張したベリー園の中には置けないので3時間ほど時間をかけて拡張園外に運び出した。この仕事で11月だというのに汗びっしょり。薪に仕立てれば立派な燃料、雪が来るまでにもう少し薪作りを。
菜園に馬糞を運び込む仕事も例年の農作業なのだが、少しずつ作業の進み具合がずれだした。ベリー園の拡張だとか、薪割りの仕事が予定外に入ったり、それに肉体労働が持続して出来なくなったり、これも年を重ねて当たり前なのかも。
天気がすぐれない6日の日曜日だが、毎日コツコツやらないと日課がこなせないので薪作りでも。
7日、今日もすきっとしない天気だ。薪作りの仕事をする。8日、今日も薪作り。夕刻は外出。ベリー園のフェンスが入荷した。チエンソーの目立ても業者に出しているので、隣町まで外出。
9日、今日も薪作り。ベリー園から外側に出した枝木を薪にする作業。これは灯油の消費量を少なくする手立てだ。放置すれば腐食してなくなるが、薪にすれば灯油の消費量をセイブできる。
薪作りが終ったら、堆肥運びをしたり、冬の餌を馬小屋の近くに準備することに。
10日、今日も薪作り。あれをやり、これをやりでは仕事が上手く治まらない。今週は薪作りに専念しよう。薪作り来週もかかりそう。
11年11月4日記
収穫作業は終る
10月29日、釧路から援軍来る。お願いしていたボランティアの人たちが6人も来てくれました。最初の車は8時半に二方、9時には四方が。
作業はジャガイモ堀とベリー園拡張班に分かれて、即作業開始。杭打ち28本を打ち終えたのは11時半頃。芋掘り方も3人組で6畝を11時頃に掘り終えた。
この日、天気は快晴、無風で昼食は秋刀魚を炭火で焼いて。ボランティアの方達の持ち込み食で楽しい昼食となりました。
午後はジャガイモの取り込みで、それぞれの方が袋に入れて持ち帰ってくれました。西牧場を後にしたのは午後2時半頃で、6人組の援農隊には感謝感激でした。6畝でジャガイモは180kgは採れたろうか。
私も25kgほどを野菜篭に入れてとりで会館に置いた。
畑に残るのは2畝のジャガイモ、2畝半の人参となりました。30日午前中ジャガイモを掘り終える。午後とりで会館に取り入れて日課の終了。畑に残るは人参のみ。31日には人参の収穫作業も終えそう。
ところが31日は朝は霧がかかった天気で午後は晴れたが農作業は休んだ。東牧場の「平和の家」の便所汲み取りを予定していたから。唯これだけのことだが初めてのことで立ち会った。
それでこの日は作業なしで終った。汲み取りの話は別の機会にします。
話は収穫のことになります。収量はやはり狸算用だった。ジャガイモは総計で400kgだったろうか。畝によっては腐食した芋があって小粒の芋も多くて1割方は馬に与えた。
今日は11月1日、人参2畝を掘る。収量75kg。残るは1畝。2日、午後2時人参を掘り終える。90kgの人参を畑の中に埋めて今秋の収穫作業は完了。後は収穫祭だ。
11年10月28日記
芋を掘る
22、23、24日とさえない天気が続く。が今日25日は晴れそう。いよいよ芋掘り開始だ。3日間はたっぷり休んだ。自称農家にとっては雨の日が休養日です。
そろそろ野球の日本シリーズも始る。残る収穫作業はジャガイモ、人参と大根少々だ。1週間もすれば収穫作業は終えるだろう。
25日、射撃はないけれど、牧場の西方向から車両の移動音が聞こえた。何かをやっている。
26日午前中芋を掘る。2畝で約100kgを夕刻取り込む。どうやら豊作だ。残りは8畝、狸の皮算用をすると、後400kgも採れる。そうなら大豊作だ。
1日に2畝を掘る。4日で掘り終わる。500kgも採れるとしたらこれは西牧場の過去最高かもしれない。
これは手際良く配達しないと、納める所がない。自宅内の室には約100kgを収納出来る。400kgは出荷しなくては。
芋を手掘りしていたら、頭上を南に7羽の白鳥が南に向かって一列に飛んで行く。思えば5月には北の方向に「クワァ!クワァ!」と鳴きながら飛び、その時はジャガイモを畑に蒔いていた。
今は植えた芋が6、7倍の数に成って収穫だ。丁度半年、白鳥が北に行ってる間にジャガイモが増えた。
27日、今日も快晴。朝の仕事前だが、掘った芋の入れ物がなくなった。でもそれで芋掘りの延期はない。今週中には収穫作業の目途を立てなくては。直ぐに宅配便で送ればいいんだ。
午前中掘る、乾燥3時間、少し泥が付いていてもダンボール箱に入れて発送。例年やっていた事ではないか。今日も100kgは採れた。
古老の友人が話していた、今年は豊作だと。我が西牧場菜園も豊作らしい。
11年10月21日記
今週は芋を掘らねば
15日、16日は雨模様の天気で畑仕事は休業。17日は強風の一日だった。午前中2時間ほど薪を作った。伐った木の9割は薪になった。後は細かく割って家の周りに積み置く作業だ。年の所為か力仕事は直ぐ疲れる。薪作りが終ると、豆の収穫作業を手仕舞いし、いよいよ芋掘り作業をしなくては。
例年そうだったが、野球の日本シリーズをラジオで聴きながら芋掘りをした。それに人参も残っている。1日に2畝ずつやれば1週間で終る。今週と来週で芋掘りを終えれば良しとしよう。
週末までは薪の整理、花豆の杖を取込んでジャガイモは来週になりそう。又1週間遅れる。薪割には手を焼くがこれも矢臼別生活の原点だから、出来ることはやらなくちゃ。
18日、午前中1時間半、午後2時間薪割りと運び作業をする。風は少し緩やかになって空も快晴作業をするには持って来いの天候。ただ筋肉労働で疲れるのが早い。3kgの掛け矢を振り下ろすのは楽じゃない。
19日は一段と秋晴れの良い天気に。午前中は2時間薪作り、午後もやろうとしたらお客さん。予定通りには行かなかったが薪作りを。
20日は豆の杖を倒した。これで収穫作業は終了、杖を21日に倉庫に収めれば豆の収穫作業は滞りなく。来年も頑張るか。
来週はいよいよジャガイモ堀だ。それに人参も。そして一人だけの収穫祭は今月末に出来るだろうか。
11年10月14日記
ジャガイモ堀の予定が
9日は日曜日、西牧場には日曜も祭日もない雨の日が言うなれば日曜・祭日だ。天気が良くても、予定の仕事が終っていないと休養日とはいかない。
9日は最高の行楽日和。が薪割りを3時間ほどした。60cmの長さに伐ったドングリや白樺の樹幹を二つに割ったり五つに割ったり。中には節くれになった樹幹も、これを割るのが大変、労力を要する。
専ら鉄製の楔2個を使ってストーブの薪投入口(30cmX30cm)に入るように割る。乾燥度が良い薪は大きいほど火持ち良くて燃焼時間も長い。だからあまり小さくは割らない。
先ず楔を軽く小口に打ち込んで、重さ3kgほどの掛矢で20cmほど打ち込んでOKだ。それが節くれだった樹幹ではそうは行かない。節のない60cmの樹幹には3回ほどで打撃は終るが、節の樹幹になると、何十回と打撃をしないと割れてはくれない。
節くれのない木はない。何処に楔を入れるか、これが簡単ではない。そんな訳でその都度楔の打ち場所を選択をしなくては。選択を誤ると掛矢の打撃数を増やすことに。打撃数を如何に減らすか、これが薪割りの面白さです。
10日も午後から2時間半薪割り作業を。ほぼ切倒した木の半分を薪にすることが出来た。残るは半分。2年先の薪は目途がついた。元気にしてる様だと良いが、など考えながら。
ジャガイモ堀の予定が先先に伸びてゆく。
13日は釧路に外出した。3月毎に受ける定期検診日だ。特別に異常なし。来週も予定は芋掘りだが、薪割り作業が終るまで芋堀はそのままになりそう。
11年10月7日記
冬に備える薪作り
1日、午前中は2時間、午後1時間ほど薪作りを行なった。8月末、直径50cmのドングリの木を切ない思いで切倒していた。年輪を数えたら約80ほどあった。自宅から20m程離れたはなれた所に立っていた木、まとめて10本ほどを切倒した。倒したのはテレビ電波を感度良で受信の為。冬の間は木の葉がなくて良く見えたテレビも木の葉が茂るとさっぱり見えなくなった。
そんなこんなでテレビ放送の受信は解決した。切倒した木の内3本は温室の直ぐ西隣に立つ木でしかも温室の方に傾斜して立つ木だ。これには少し困った。で高さ5mほどの樹幹にロープを掛けて倒れる方向を限定し、思う方向に倒した。
倒した木は片付けないとモービルの通路を遮断している。それに新に今冬はモービルの車庫出入り道を確保しないといけない。そんな関係で1年は外に放置して良い薪材なのに整理しないといけない。
切倒したドングリの木、80歳は川瀬さんが入植したとき20歳の樹齢で既に存在してたのです。ご免なさいと合掌。
話は変わって、昨秋ベリー園拡張のボランティアの方々、今秋も来援を約束してくれている。収穫作業を残していながら次々と新しい仕事を考える西牧場の住人、体力が続くのか少し心配。
10月3日旭川では初雪が降ったという。矢臼別でも薪ストーブに火が入った。冬中に2回ほど煙突掃除をする。その時は火を止めるがそれ以外は常にストーには火があって薪きストーブ様様だ。
少し部屋を暖かめに冬を過す。少し貧しくともこれが冬の最高の贅沢だと。これ、友人の言葉です。だから薪造りに時間を掛ける。
今年伐った薪はさらい年が焚き頃か。これは川瀬さんの弁。良く乾いた薪は空気弁を調節すれば意のままに燃やすことが出来る。生木はそうは行かない。
11年9月30日記
花豆の収穫作業を
26日、午前中は花豆の取り込み作業。野菜篭、0.2X0.4X0.5mの容器に鞘を山盛りに取って、それを室内で手で剥いて豆干し紙箱に並べて干す。これが例年の豆収穫作業だ。室内の日当たりの良いところに干し、豆が乾燥して擦れ合う音がシャラシャラと高音を出すようになると段ボウルに入れて製品の出来上がり。
今年の出来は並と思っている。26日訪ねて来た友人(二人)は出来は良くないと聞いているが、ここはどう?と。並だと答えたけれど、後1週間しないと答えは出ない。青い豆が残っているからだ。冷え込みも進んで青い鞘が茶色に変わる。それを順次取り込む、が西牧場の豆の収穫手順です。
植えた豆の根っこを引き抜くのは収穫作業の終る直前に。そうしないと杖を収納出来ないからだ。僅かの時間でも青い豆の実入りを促す為にと、根っこを抜くのは最終作業。
友人は根のひっこ抜きを先にして、だった。勿論豆は柄のまま倉庫の中に置いて乾燥させて豆にすると。
この日、今夏6月に西牧場に来た、いや蕨採りに来た帯広の友人も一緒で、帯広のジャガイモを土産に頂いた。10kg入りの箱一つ。きれいなジャガイモで品種はメークイン。7個ほど自家用に取って、隙間にわが菜園の赤いジャガイモを入れて田舎に送った。
帯広の友人は来年の6月は蕨採りに来るからと、「とりで会館」を予約して帰られた。山菜の蕨には不作はないので来年6月には着て下さいと話して。
ブルーベリーは年毎出来、不出来があって約束をうかつに出来ない。今年は蕨が出ないなんてこと20年来なかった、自然農法の実力か。
27日はジャガイモを1畝掘る。一株に10個ほど付いていて並策。花豆の収穫も順調です。
11年9月23日記
草刈を終る
9月19日、今年の草刈作業を終わる。倒した草は野積みにして、枯れたら纏めて堆肥に。1っ昨年までは刈った草を馬たちに食べさせていたが、最近はそうはしない。ベリー園の枯れ草はベリーの根っこに積んで堆肥として利用する。
花豆の採り入れは3回ほどした。雨に当てると生ったままで芽を出すので要注意だ。既に芽を出したのを見ているが、出来上がっているのを隙を与えずに取り入れしないと発芽を許してしまう。花豆は先ず先ずの出来で友人への贈り物に出来るだろう。勿論自分も花豆は好きだ。
ジャガイ芋も3株ほど掘ってみたが並作か。人参も掘ったが、これは小振りで成長が良くない。でも自家用としては味美でいける。
本格的な収穫作業は来週からにしよう。いつもに比べて早いけれど天気になり次第始めないと作業は遅れ勝ち。
19日、午前中にベリーの最終摘み取りをした。300gで全てのベリーを摘み尽くした。50数kgで昨年の半作でした。
残る収穫作業は人参、ジャガイモ、カボチャ、花豆は現在収穫進行中です。ニンニクは未だ試掘していないが球根は付いているやらいないやら。雑草に埋もれて何処にあるのかも分からない。昨秋70株は植えたんだが。果たして、明日にでも試掘してみよう。
打ち明けると我が食生活は貧しい。夕食はインスタントラーメンと御飯で済ませる考え。思い付いたのがそのラーメンにニンニクを入れること。ニンニク入りラーメンを副食に御飯を食べようです。
そこでニンニクを採りに、時間は1分で試掘だ。枯れたニンニクの軸を見つけて掘る。最初の移植ごてで20cmを掘り込むと軸の根っこに小さな球根が。もう一度丁寧に掘るともう1個が出た。
昨秋、自分が植えた球根が略同じ大きさで2個に増えている。
初めてのニンニク収穫、8個の球根を。美味しいラーメンに味付けできた。それにしても貧しい夕食でした。もっと品数の多い食膳になればと思うのだが単品主義は直りそうにない。
11年9月16日記
夏休みの宿題
草刈が遅れたままで、1週間が過ぎた。本来ならベリー園の草刈が終っている筈なのに。お客さんが来て、3日間新聞も見ないで遊んでしまった。お客さんの所為にしてはいけないのに、4日間畑仕事をせず。
14日午後2時間かけて人参の畝の溝に生えた雑草を除草する。これで少しだが成長するだろう。花豆も最下部に茶色に変色した実の入った鞘が見える。これもそろそろ収穫を始めなくては。1週間の作業遅れには焦る。ジャガイモは100%枯れてしまった。芋を掘ってはいないが、ここも雑草が地肌を隠している。それ程に雑草が繁茂している。ここも除草をしなくては、と思っている。
新学期が始っているのに宿題をやり残して、右往左往。西牧場としての課題が少し大きくなって、プレッシャーがかかっている事も確か。
馬の調教馬場の造成とベリー園の拡張等が頭の中にあって、心中穏やかではない。気楽に行かなきゃいけないのに、少し気持ちが先走ってコツコツ精神が欠けている。
川瀬流を思い起こして、毎日コツコツで少しずつ。60年も昔の夏休みの宿題を思い出しつつ。
11年9月9日記
台風12号の影響
3日は雨模様で農作業は休業。これは台風12号の関西方面に接近する動きから連動する気象状況らしい。雨模様だが強風はなく風害もなし。梅雨のような感じでうっとうしい天気です。
北海道らしい秋が未だ感じられない。 4、5、6日と雨模様が続く。
7日は朝から良く晴れたが、なかなか涼しい秋にはならない。
ベリー園を拡張する時に使うフェンス用鉄柱100本を釧路の友人が4日10時に運んでくれた。これで後200本のベリー園の拡張ができる。今夏のベリー園、最後の収穫はその鉄柱を運んでくれたお二方にしてもらった。ベリーの総収量は昨夏の半作、50kgでした。
台風一過と言うべきか、7日は快晴の天気で風は南西の風7m、8m/sほどか。久方ぶりの太陽。朝から自衛隊車両の走行音が風に乗って聞こえてくる。
今秋の課題、ベリー園の拡張計画をねらなくては。ジャガイモ、花豆の収穫が残る大きな仕事。カボチャに金時も楽しみな収穫作業。一人では食べきれない収量。遊び農業ではあってもそれぞれの収穫物は送り先を考えて、送らなくては。
そうすると姿を変えて矢臼別に帰ってくる。体調はまずまず、秋の楽しみがそこまで。今週は草刈が出来なかった。その分9月の仕事は先送りになっている。
草刈作業、今週中に終らないと。日課の先送りはしたくない。そう思っているのだが。
11年9月2日記
収穫のシーズンに
暑いと言ったり、涼しくなったと言ったり人間気ままである。そして9月に入った。ブルーベリーの収穫もほぼ終った。
温室内、収穫は未だ続く。トマト、ナス、キュウリ等々だ。もうジャガイモの葉っぱは枯れ始めて何時でも収穫は出来る。いつも10月半ばまでは畑に寝かせる。
人参も花豆も金時も未だ成長最中。終ったのはブルーベリーで昨夏の反作だ。、半作でも良い40kgも採れたんだから。
夏休みを終って、矢臼別の新学期が始った。収穫の季節とベリー園拡張の季節でもある。28日、29日は晴天が続きベリー園の草刈と末成の摘み取り作業を。草刈は来期に備えてである。倒した草は堆肥にして樹幹の周りに施肥する。
新しく春に拡張したベリー園は蕨の中に埋没している。これらを整然としたベリー園にしたい。
西牧場の菜園には自然農法の考え方は毛頭ない。時間が許す限り除草はする。除草作業をしないと作物の収穫は半減する・・そんな風に考えている。
今夏、初めて試みた金時豆の出来は未だ分からないが、除草を怠って、今は雑草の中に埋もれている。
8月はベリーの収穫が気になって、摘み取りに神経を注いだ。今夏の総収穫については2カ月後に結果が出る。
11年8月26日記
19日虫の声を
暑い暑いと言ってたのに19日のベリー摘みは「ギース、ギース」の虫の音を聞きながらベリーを採った。暑さも気温が20℃前後で先週までの暑さがウソのよう。
ベリーの出来は昨夏の半作にも届かないだろうに、一人で4kgを摘むのは楽じゃない。毎日摘んで2kgが農作業としては丁度いい時間だ。
20日からはベリーは毎日摘むことに。もう残りは僅かだ。頑張ろう。収穫した物は友人に送る。すると地方の贈り物が届く。友人の迷惑にならないよう注意が肝要だ。喜んでもらえる友人でなくてはいけない。
21日は午前中外出。午後は小雨が降ってベリー摘みは休む。22日は午前中はベリー摘み。午後は外出。帰宅後はやはり小雨が降ってベリー摘みは休み。気温は20度まで上がらず涼しい。
23日は室温が20℃。石油ストーブにスイッチを入れる。22℃にセーブをかけると燃焼をしない。つい1週間前までは暑い暑いが、急に秋に突入した感じ。
もうベリー摘みも末生りを摘む段階に、今夏はこの調子だと昨夏の半作にも届きそうにない。
今週は内地の梅雨を思わせる空模様。綿の長袖にYシャツでは寒い感じ。会う人は秋のジャンパーを羽織っている。
20年も住んでいるのに、今夏の天候不順に少し戸惑っている感じ。今週は秋に突入です。
11年8月19日記
今夏は暑い
川瀬さんが元気にしていた時は盆踊りが終ると、「秋が始った」が挨拶でした。今年は「暑い暑い」が挨拶になっています。暑いということは虻が飛び交うことで、盆踊りが終っても屋外を歩くのが大変。馬たちもカーテンの下りた馬小屋からは昼間は出てこない。
だからブルーベリーを摘むのも大変です。虻を追いながらベリー摘みです。
15日、午後友人二人がベリー摘みに。虻も多かったが地元のお二方、2時間近くかけて熟したベリーを採り尽してくれました。実は毎日摘むことをしないで1日、間を置いた。これでも摘むには不都合はない。それでこれからは隔日収穫に。
今年の収量は1日で1.5kgか2kg。採り始めて2週間。ようやく20kgほど採れただろうか。やはり昨夏の半作がいい所か。ベリー摘みの後半戦、一人で頑張ろう。
2回草刈をした拡張ブルーベリー園、その後成長した蕨の背丈が50cmを超えて蕨園に姿を変えた。少し生っていたベリーの実もすっかりなくなり、ベリー園なのか蕨園なのか判別がつかないほど。
秋にはもう100本分の地所を拡張する計画。ベリーが昨年の半作でも年々増やさないと株数が増えない。取り敢えずは300本のブルーベリー園を目指して頑張ろう。友人には年をとって規模拡大と笑われたけれど。ハハハ、その通りで。
後継者で20歳若い人がきたら、300本位なら楽々管理してくれるでしょう。収穫はお客様に、樹の管理は園主が。これが管理のあり方で、そんな事を勝手に考えています。
私の出番はそんなに長くはない。何だかんだと、暑さに音を上げる西牧場です。
11年8月12日記
東牧場は晴れを迎えて
5、6、7日と川瀬牧場は第47回目の平和盆踊りを無事にやり終えた。参加者は少なかった。しかし意気盛んに平和への訴えを道東の一角で声高らかに上げることが出来た。それに今夏も花火が良かった。
西牧場の住人として、訴える機会があったので、「矢臼別平和公園クラブ」の法人化や私の次の住人が早く決まりますよう訴えました。40代、50代の若き住人が来るように頑張って行きたい旨の発言をしました。
今夏の盆踊りには畑田重夫先生が6日、7日と参加されました。先生はこの9月に米寿を迎えられる。そして7日のミニ講演では50回目の節目の盆踊りに再度矢臼別を訪問すると約束されました。
それまでには西牧場に新しい若い住人を迎えなくてはと決意新にです。次なる催しは、年末の餅つき大会です。盆踊りの後は年末に焦点をあわせます。盆踊りの報告はこれくらいに。
今ブルーベリー園は収穫の季節。実のなり具合は昨夏の半分も採れるか、と少しがっかりだが、1日に1kg、か2kgを採れる。まあ、良しとしましょう。
9日午前中は一組のベリー採りのお客さんが見えた。100本の植樹をボランテァでお手伝い頂いた方で、2、3kgは採れて欲しいのだが。留守にしたので採れたのかどうか。
10日は一人でベリー摘み。1kgほど摘んで外出。昼間は暑くてベリー摘みは休み。11日は午前中ベリー摘み。3kgほど摘んだか。虻が多くて仕事にならず。いつもの年なら秋風が吹くのに暑いこと暑いこと。
盆踊りの後、普段の矢臼別を観たいと一人逗留していた関東からのお客さん、11日午後帰られた。お疲れ様。
11年8月5日記
初物をカラスに
待望のトマトの初物、赤く色付いたと思ったら、30日朝のこと、カラスに盗られた。ブルーベリーも野鳥に随分食べられることに。カラスでも小鳥でも色がつくとそれを狙って採りに来る。
とにかく色が付くと直ぐに採らないと、そういう主義でここ2日間は朝の巡回で収穫をするようにした。
ブルーベリーは27日から収穫を始めたが、300gを初日に、29日を除いて連日採るも50gだったり500gだったり今夏は昨年の半作か。すっかり自信をなくしている。
ただ温室内の作物はトマト、ナス、キュウリ、青シソなど一人では食べ切れないほど出来が良い。
盆踊りのお客さんには喜んでもらえそう。野菜を食べて食生活が終わる訳ではない。しかし矢臼別に行くと野菜だけは夏の間心配がない。その事を楽しんでもらえたらこちらは満足。
8月4日、快晴馬たちは虻避難小屋に入ったまま、今朝始めてベリーの収穫1kgに。6日からは盆踊りの人達が採ってくれる。6、7日は自らの収穫作業は休み。野鳥は熟すとつついて食べる。だから早朝に色の付いた実を採ってしまう。鳥にも少しは分けても、悉くでは堪らない。ブルーベリーは人気商品なんだから。
今年も予約入園は出来ないことが分かった。一人のお客さんは良くても複数は無理。
キャベツ、トマト、キュウリ、大根、青シソ等々は菜園での採取を楽しんでもらえる。
カラスは再度侵入を試みたようだが、仕掛けに驚いて退散した模様。いたって簡単な仕掛けです。釣の細い合成テグスを入り口に数本吊るすだけ。ははは。
11年7月29日記
ベリーが熟しつつ
私の日課の始まりは、毎朝温室の観察から始ってカボチャの成長を見て、花豆の伸び具合、キャベツの青虫の退治、ジャガイモの生長を観てベリー園に入る。4月に移植したベリーが一つ二つと実が熟し始めた。で24日のベリー園一周では10粒ほどを摘んでは、食べた。
5月初旬、古いベリーは花芽も出ていないのに、移植ベリーは花芽が満開、茨城産の苗はその後順調に成長した。自然に花芽は散ったけれど、半分は実を付けただろうか。
とにかく移植組みは色付き始めている。古い矢臼別育ちは1週間後の盆踊りには収穫できるだろうか。何故かベリーは人気者。
25日、朝の菜園一巡でベリーの実を30粒ほど収穫。午前中に1時間をかけてドングリの見学道路を草刈。午後はグズベリーの周りを2時間かけて草刈を。これで当分は草刈から解放されるだろう。
26日、8時半から東牧場の「平和の家」を開け放ち、屋内掃除をお隣のWさんに手伝ってもらう。私は水道の使用を点検するも、ポンプのパッキン不良で水上がらず、午前中は駅前市街で部品修理。正午に帰り、水道の復旧は午後の2時半。パッキン補強修理で水道は復旧。これで一先ず宿泊準備はOK.。
「平和の家」にも盆踊りのお客さん、「とりで会館」にもお客さんの予約が入った。「とりで会館」も受け入れ態勢を整えなくては。と言っても水道を使える、炊事ができる、10組ほどの寝具を整えるだけのことで、まあ毎夏のことなのです。
27日午前中、「とりで会館」の水道ポンプ配管を修繕、復旧。
午後はベリーの初収穫を初日300g。多くても、少なくてもこれからは毎日が収穫日。
11年7月22日記
ベリー園の草刈
14日16日の2日間でベリー園の草刈を略終えた。16、17日と2日間でベリー園の草刈を仕上げて、18日は人参の間引きを。そして19日は再度ベリー園の根っこの周りを草刈。1日に数時間だが草刈作業が続く。家の周りや、畑の周辺の草刈はそのまま残っている。今週も除草の週間になりました。
2週間後は盆踊り、団結道路の路側の草刈もしなくてはいけない。それに300年の樹齢を誇るドングリの見学コースも草刈をしなくては。
後難物は地デジを受信できるように自宅周辺の一部の樹木を伐採しなくては、地デジが観れない。地主さんには伐採許可を頂いた。後は怪我をしないように木を切倒すこと。
川瀬さんが入植以来伐らずに来た防風林を5、6本伐らなくてはテレビが観えない。やはり矢臼別に居てもテレビは観たい。
除草もしなくてはいけないが、今週から来週にかけて西牧場にとっては木の伐採と言う大仕事が待ち受けている。
出来るだけ木は倒さない。これがモットーだっただけに気持ちが滅入る。が、先ずは1、2本倒してみよう。映れば良し、映らなくば2本を増し伐りして。少ないテレビ知識で、木さえ伐れば地デジは受信できると考えているのだが。上手く行くかな、一寸不安。
20日夕刻、ベリー園の草刈を完了した。これで収穫が始るまで草刈はしなくて済むか。とにかく草の成長も早いから。
畑の周りの草刈は来週にしよう。夏は草刈で追われます。
11年7月15日記
菜園の除草終える
9日夕刻、菜園の除草を終えた。しかし田圃の畦に当る畑の周辺は早や雑草の背丈が20cm。それにベリー園の中も雑草が同じ背丈に伸びて。拡張したベリー園では蕨や蕗が4、50cmに背丈が伸び、ここも2回目の草刈をしないとベリーへの日当たりが良くない。
だから今週は2度目の草刈機による除草作業をしなくては。ポニーたちの虻よけ小屋も整備してやらねば。これは難しくはない、馬小屋は片屋で南側を出入り口にしている。夏場はここにカーテンを吊るして小屋の中を暗くしてやる。そうすることで虻の侵入を防いでやる。
馬たちは馬小屋の暗所に避難して日中の虻の攻撃から難を避ける。矢臼別は原野の生態を残しているので7月末から8月にかけて、虻の繁殖が凄まじく、日中その飛翔は歩行にも気を使う。馬たちの尻尾の動きが機械仕掛けの様に忙しくなる。
今年はそのカーテンがまだ吊るされていない。早く整えてやらなくては。
11日午後一番の仕事で、1時間かけてカーテンを吊るした。12日は午後の時間帯馬たちはその小屋の中で過した。
こちとらはベリーの根っこの草刈で40本ほどを除草した。が12日の暑さは凄かった。10分もしたらプールから上がった様に汗が流れ落ちた。でも30分ほど粘って除草をした。がこの仕事で倒れては本も子もないので、日の高い内は休憩にした。午後4時過ぎからは少しは楽に仕事が。
13日今日もお日様が照りつける天気。先ずは見回りから始めて、どこで除作業を始めるか考えよう。とにかく日が出ると暑い。
ベリー園の除草は今週の課題。ベリーの根っこを除草したら、後は草刈機で4時間。無理をしないでベリー園の除草作業を。8月の初旬にはベリーの収穫が出来そう。
11年7月8日記
戦々恐々
現在、エゾシカの食害は西牧場菜園内(ブルーベリー園含む)には及んでいない。日々、何時襲われるかと戦々恐々です。鹿は毎日菜園周辺に顔を見せていて、現在は「とりで会館」北側の林の付近で塩水の捨てた場所を嘗め回している。
馬もそうだが塩を欲しがる。そして在りかを探すに敏感です。今、矢臼別は緑で燃えている。林床にはコゴミなど成長して背が高くなりポニーのコッコなどは姿が隠れてしまう。
昨秋、エゾシカが菜園のフェンスを難なく乗り越えて菜園内の桜等が食害を受けた。秋期に食害を受けたのは周辺に食べるものが少なく、菜園内に残った緑が格好の標的になったからだろうか。
だから食糧が豊富な今の時期あえて菜園内には侵入することもない。で理由は定かでないが今夏は未だ侵入はされていない。
花豆の6畝は自然農法みたいに雑草の中に居る。それに初めて播いた金時も自然農法並に雑草の中に。
時間を見つけて除草をしたい、そう思っている。
今夏はブルーベリーが如何程収穫できるか、話題に上るとブルーベリーの宣伝をしている。それで今年の生り具合が気にかかる。今年移植した2年生の苗木にも実が付いている。5年生に成るまでは実を付けさせない方が良いと聞いているが、今夏は生るに任せよう。
今日4日は終日雨降り。雨の中1時間くらい青虫取りをした。ベリーの若葉に虫が付いている。それに早や2回目の草刈もしなくてはならないほどにベリー周りの草が伸びた。
5、6日とジャガイモの幹への土寄せ、除草をし、花豆の除草も半分は済ませた。鹿の侵入を心配しながら除草作業に明け暮れる。
11年7月1日記
桜の苗木を植樹
勤医協組合の方々が24、25日にわたって東牧場に逗留。それに合わせて、矢臼別平和公園クラブが記念植樹をお願いしました。
50本の苗木を東牧場に20本、西牧場には30本を割り振り。東牧場は25日に20本を、西牧場には30本の植樹を予定。西牧場は私が植樹をします。
3年生の苗木なので3年もすれば花を咲かせるのでは? と桜の開花を期待して。ただ植樹をして桜の移植が易い仕事でないことが分かりました。25日の植樹に備えて移植場所に一夜仮置きしたら、そのうちの1本が1m程で主幹をへし折られてしまった。犯人はエゾシカです。
西牧場では菜園のフェンスの内側に30本を移植することに。東牧場は何れも草地の周辺に移植しているので、どれ程が鹿害を逃れて成育するか、それを参考に西牧場でも菜園柵外に移植を試みたい。
川瀬牧場ではエゾシカを見る機会は20年前と比べて多く、群も20頭とか30頭の群が多くてエゾシカの楽園なのかも。
矢臼別平和公園クラブは川瀬牧場を「桜の園」に、を目標にしています。で今年の活動方針にも組まれています。
西牧場内には樹齢6歳のエゾヤマサクラが在って、今年はきれいに花が咲きました。この取り組みが順調に進むと3年後には花が咲き始め、5月下旬にはサクラの花が、そして秋には紅葉の恵みが。
27日には30本の移植を完了しました。鹿の食害とどの様に対応するか、これが大きな課題になります。
11年6月24日記
3時半にはカッコーが鳴く
ブルーベリー園は拡張されて、前面積の2倍25mX60mになっている。ベリーの総株数は約200本。菜園は6mX30mが拡張された。ここにはラズベリーが15本移植されている。今夏、ウドも5株移植した。
拡張されたブルーベリー園25mX30mには移植されたブルーベリー100株と蕗、コゴミ、蕨が混生する自然農園です。3日間は出る蕨を摘んでは蕨採りのお客さんに「どうぞ・・」と提供した。が昨日日曜日はお客さんも居なくなったので、インスタント料理士に成りすまし、和え物を作った。
摘んできた蕨の葉をもぎ取り、3分間茹でる。それを水桶に2時間ほど浸けて、3cm長に切って出来上がり。味付けはマヨネーズ、鰹節少々、醤油味で出来上がり。
今の時期、朝外に出て菜園を一周する。最後はブルーベリー園。ここで蕨を自家用に採取。日曜日の酒の肴は蕨の和え物で一品。
蕨を久しく加工もしなかった。少しは塩漬けにして・・などと。自然豊な矢臼別、演習がなければ楽園です。
後一つ菜園見回りの楽しみはもう何年も見ていない野の花を今年は観ることが出来そう。友人からは一度教えられたのに花名を忘れる。とにかく名前は知らないがきれいな花なんです。拡張したベリー園内に5株ほど見つけて、毎朝その蕾の膨らみ具合を観察。
21日朝、蕾がほころんできた。密生する蕗や蕨の陰に咲く花だが今年は5輪が白日の下に。これは良い事なのかどうか?。人間の横暴だろうが。今年は回りに20年生の樹もなく、林床にあった蕨も、蕗もその他雑草は草刈機で倒した。草も疎らな中にボタンだけが咲く。(21日朝花図鑑で調べたらボタンである)
日々、カッコーの鳴く西牧場で農作業を。今夏も草刈に精を出そう。
11年6月17日記
草刈作業
今夏から始めた拡大ブルーベリー園、蕗と蕨とコゴミが繁茂してブルーベリーが見えなくなる。それで早や1回目の草刈をした。昨年豊作だった13年生のブルーベリー園は牧草が30cmほどに伸びたのでここも1回目の草刈をした。そして現在はベリーの根元をきれいに除草している。13日現在で90%作業は進んで一段落。
大根や人参の発芽も進んでいて、それと同じ速さで植えもしない雑草が伸びてくる。その雑草除去作業もしなくては。
自然農法なら除草はしないらしいけれど、そこのところが実行できない。少しでも自分の作りたいものを優先したい、その想いが強いからだろう。
今年開いたブルーベリー園は山菜の良く出来る自然農園だった訳で、そこには自然農法が見事に再現されていた。なのに今夏はその破壊にまわってしまった。
採集農業から耕す農業への道程は長い人間の歴史においては認められてきた理念で、考え込むことでもないか? 今更。
川瀬さんの矢臼別での生活を狩猟農民と呼んだ人が居た。育てた馬を捕まえて市場に出す様を狩猟と表現したのでしょう。川瀬さんが与えたのは放牧した馬を捕らえる時に用意した塩が唯一、支出した元手でした。
川瀬さんが農作業をするのを転居来目にすることは無かった。でも馬の捕獲作業は7年間くらい見ている。狩猟農民、言い得て妙でした。
私は細々ではありますが、馬糞を肥料代わりに畑に持ち込み、耕運機で畑を耕し、そして除草作業を例年行なう。自慢の一つはまだ矢臼別で消毒薬を使ったことがない。
野菜が生長するのと同じ速度で雑草が伸びる。これからは除草、草刈の西牧場菜園です。
11年6月10日記
除草が次の仕事
6月5日、カッコーの鳴く中で今年の種下しは終了した。後は除草して収穫の秋を楽しみに。
20本ほど移植したラズベリーは1本を除いて新芽を出した。ブルーベリー園は草刈をしないと花芽が草に隠れそう。これからは除草で追われる日々になりそう。 それに花豆も芽を出して、杖立て作業が待ち受ける。
たまたまNHKのアーカイブスで自然農法を見る機会があった。垣間見なので何が自然農法なのかは分からないが、自然が造ってくれるんで・・と言う話がやけに気になった。
自分のほしい物を作っていると言うのは、思い上がりなのだろうか。ネットで表題だけを見ると、”
自然農法(しぜんのうほう)とは、
不耕起(耕さない)、不除草(除草しない)、不施肥(肥料を与えない)、無農薬(農薬を使用しない)を特徴とする農法”、と。
西牧場では最後の無農薬だけで、耕す、除草する、肥料を与える等々、自然農業には当てはまらあない。除草しないで欲しい物が、つまり人参や大根ジャガイモを収穫出来るのだろうか?、ついそう思ってしまう。
それが、種さえ播かないのにここ10年ほど、牛蒡が菜園の周りで繁茂する。駅前の牧場から堆肥についてやってきた駅前育ちの牛蒡だ。それに山菜の蕨や蕗やコゴミ。矢臼別では植えた訳でもないのに毎年豊作。
山菜には自然農法の4原則が当てはまる。菜園では特別に好みのものを栽培する。この思い上がりが自然を壊しているのか。テレビの垣間見に・・・考えさせられました。
図らずも5年前、西牧場を2カ月留守にした。ブルーベリーも人参も大根もジャガイモも花豆も草に埋もれているように見えた。花豆は背が高くて並作に出来たが他はみんな草の勢いに負けて半作だったし、人参は収穫が出来なかったように記憶している。
7日、ブルーベリー園の牧草を草刈機で倒した。何か悪いことをした気分に。そして8日は花豆の杖を立てた。例年の習慣で。
11年6月3日記
カッコー鳴く
5月28日08時20分頃カッコーの初鳴きを。待ち遠しかったこと。しかし29、30日と気温が5℃くらいで寒くて雨模様、28日午前中にカッコーの鳴声を聞いたままで、おかしな天気が続きます。で農作業も二日間は休業。
31日、8時半頃カッコーが鳴く。そして午後からはピカピカの快晴の天気。残っていたジャガイモを4畝一気に植える。これでジャガイモは終わり。残るは大根1畝と人参3畝の予定。
カボチャとかキュウリは温室内で大きくなっている。トマト、ナス、パセリ、小松菜等も順調に大きくなっている。
ラズベリーも10本は移植後新芽を出した。どんなに成長するのか分からないけど今夏は楽しみが多い。ブルーベリーも花芽がどんどん増えた。これも楽しみです。
6月1日、今日も朝早くからカッコーが鳴く。花豆は芽を出してくれない。地温が20℃に成らないと芽を出さないと聞いたことがある。そう考えると今日までの気温を思うと芽を出さないのが当たり前。明日の天気予報、霜予報が出るくらいだから。
1日午後ベリー園の北側に残っていた畑地に馬糞を運び入れ、ジャガイモ50個ほどを播く。秋になれば幾らか収穫できるだろうから。
いよいよ残りは大根と人参だけになった。種下しは9割方終った。やれやれです。
11年5月27日記
先週の続き
20日、21日には豆類を8畝に播き終えた。残るはジャガイモ、その他根菜類だ。22日は降雨で農作業は休む。23日曇天、金時豆を1畝半に播く。初めての試み。
24日昨日から始めたジャガイモの種芋3畝を播き終わる。残るはジャガイモ7畝と人参大根の3畝。
ツツ鳥、鶯はよく鳴くけれどカッコーは未だ鳴かない。昨日はオホーツクの紋別で雪が降ったという。
25日は午後はお客さんが何人か見えて、その為に午前中は農作業は休んでとりで会館の店開きをした。
桜は25日に満開になった。故郷の人にその話をしたら「今桜が・・」と言われたが、これがいつもの事なのです。遅くも早くもない例年のことなんです。ただし寒暖が揺れ動いて少し気候が定まらない感じはします。
26日は曇ってはいても農作業には良い天気、ジャガイモ植えに精を出そうっと。大根と人参もまだ種下しは終っていない。
11年5月20日記
温室補修作業
16日ビニール温室の屋根の破れを補修する。午前中は無風が続くと読んでビニールを張り掛けたら、想定外の南風が吹き出した、ハハハ。止める訳にも行かない。一人で15坪のビニールシートを屋根に掛けるのは楽じゃない。風は吹かないとの読みが甘かった。
でも3時間で風の吹く中で補修作業を終えた。そして午後は温室内の除草をして苗の移植に備える。これで今夏もトマトやキュウリは自家生産で賄える。
17日は朝から15本のラズベリーを、菜園の南側に拡張した畑作予定地に移植する。このラズベリーの樹は釧路の友人が昨夕釧路から運んでくれた物。今夏の西牧場菜園は賑やかです。 そして午後は温室内にトマトを移植。
2日前にツツ鳥が鳴いた。姿は目にしていないがカッコウも矢臼別には来ている筈。カッコウの鳴く前に花豆を播きたい。ジャガイモも未だだし、あれも遅れているこれも遅れていると気持ちだけが焦る農作業です。
18日、トマトを移植し、キュウリの種を下した、そして残りの地面を耕す。室温は50℃、汗だくで作業終了。
19日、花豆を一晩、うるかせて400粒ほどを3畝に播く。初めての試み。明日も今日うるかせた豆を播く予定。
残るはジャガイモと大根、人参等で、カッコウの鳴く前に播くが、こに来て間に合ってきた感じです。
夕刻、温室内にカボチャ、ナス、パセリ、セロリ夫々10株を移植した。カボチャは1mほど蔓を伸ばしたら露地へ移植する。
ようやく菜園作業も軌道に乗ってきた。怪我をしない、無理をしないをモットーに。
11年5月13日記
今週も頑張る
6日8時半、釧路からのベリー移植ボランティア二人組みが西牧場に。一方は65歳、後一方はなんと82歳と言う。お二人に助けられて、30本残っていた移植を午後の3時に完了しました。9時頃から午後の3時頃までは空にお天道様が輝いて、最高の農作業日でした。
7日、朝から降雨。移植したベリーには好都合なお湿りです。
8日、午後1時から1時間ほどで13本のベリーの移植をする。その間ピカピカのお天気でした。連日のベリー移植作業、少し疲れました。いつもは良い天気が続くのに、ここ1週間は晴れたりにわか雨が降ったり。
9日からは菜園の土作りに精を出さねば。2週間も経ぬ内にカッコウが鳴き始めるだろう。鳴いてからでは遅い。昨年は菜園の耕運を4月末に終っていたようだ。今夏は早1週間は作業が遅れている。ブルーベリーに時間をとられた格好。どちらも上手くは行かない。
気持ちを取り直して菜園に精を出そう。
10日、畑作業は休み。屋内で公園通信の封筒入れ等をする。
11日8時半から農作業。午前中3時間、午後2時間をかけて菜園の堆肥撒きをする。
午後の仕事始めに、昨秋遅くに植えたニンニクの球根、70個が5cmほど青い双葉の芽を出した。これは魚屋さんから教わって植えた球根でした。魚屋さんが話していた通りにしたら芽を出した、これからが楽しみです。
カッコウが鳴くまで2週間になってしまった。ガンバラないと農作業が遅れている。
12日、午前3時間、午後2時間で耕運完了。キャベツ、ブロッコリー合わせて23株を移植。大根、人参、ジャガイモ等々いつでも種降ろしが出来る。
ここまではよく出来ました。怪我をしないよう、程ほどに。
11年5月6日記
孤軍奮闘中
4月30日、午後3時頃ベリーの苗木入荷。早速30本を移植する。残るは70本。やり過ぎは体調を崩すので、4時半頃移植作業を手仕舞い。50cmX50cmX30cmの穴を100箇所掘って、今度は土とピートモスを1対1比で埋め戻して、その中央に移植をする。
今日は5月1日、こちとらはベリーの移植をしなくては。午後からは雨降り予報、ところが6時外を見ると雨が降っています。で本日は外の仕事は休み。
2日、雨は止んでいる。移植をやらなくては。残り70本。茨城からきた100本の苗木は花が満開に。道東のベリーは同じノースランドなのに新芽が膨らみだしたばかり。この日は夕刻までに10本を移植。残りは60本。
3日、8時半から曇り空、農作業を始めるが30分で退散する。顎紐のかからない帽子は強風で飛ばされて、仕事にならず。気温も2℃程で寒い。ピートモスも飛散するので屋内に退避、休業。公園通信の編集をする。
4日、今朝は南側の白樺の梢が揺れない。8時半作業開始。午後からは雨、雪の予報が出ている。移植穴にピートモスと土を埋め戻す。11時頃20箇所を作って午前中の作業を終える。予報的中、正午から降雨が始まる。
5日、昨日からの続き、土作りをする。11時20分頃霰が降る。北西の風が吹いていた。異様な音が聞こえて、何事かと思っていると霰が降り出した。霰が周りの梢に当る音だった。家の周りには林の木々が連なる。初めて耳にする異様な音。
午前中30本の苗木を移植して作業を中断。明日は30本を目標に頑張る。他でもない釧路の友人が応援をしてくれる。
11年4月29日記
オオジシギが姿を
4月21日菜園で畑仕事をしていると、オオジシギが2羽飛び交うのを目撃。この鳥は南半球のオーストラリアから飛来すると聞いている。遠来のお客様です。福島上空を経由してでしょう。
例年の矢臼別の自然に対する気持ちが違う。3・11・FUKUSIMAがあって環境に対して不安が頭のどこかに。特に南風が。
24日昼過ぎ、ベリー園の仕事中にポニーたちが西牧場へと北から帰ってきた。早速おやつの配合飼料を与えるべく仕事を中断した。とりで会館の北側で地面に飼料を撒いて与えるのが給餌の仕方。何時も7箇所くらいに撒く。そして8頭が夫々どんぶり半分くらいを食べて終わり。
23日から24日にかけては大雨が降りました。カエデ号はその23日夜に出産したらしい。黒一色の雌コッコを連れて帰ってきた。もうそろそろだと思っていたら元気なコッコを連れて。
今日は25日、ベリーの移植床を残り70箇所を掘り起こさなくては。毎日コツコツが川瀬流、私も見習わなくては。
畑の種蒔きまで1カ月はある。カッコーが鳴くまで、と言う事です。キツツキがドラミングをしたり小さな野鳥がさえずり、オオハクチョウが北へ帰るのも今の季節。
FUKUSIMA原発がこのまま終息してくれますように祈りながら。
今日は27日、ピートモスの入荷日だ。そして29日はベリーの入荷日です。27日現在、移植の穴掘りは70個分掘り終わった。後1日で穴掘りだけは終る。午前中、鶯の初鳴きを聞く。ああ春なんだ。
27日夕刻、5時30分ピートモスが西牧場に届く。待つこと2時間半、届いてよかった。29日にはベリーの苗が届く予定。忙しい春です。
11年4月22日記
畑作業を始める
4月21日、昨秋菜園に持ち込んでいた軽トラック23台分の馬糞を撒き散らす。そしてベリー移植に必要な土作りの作業、第一行程を始業する。今夏の大仕事の始まりです。
昨秋、鹿の園内への侵入があった。後一段の侵入防止対策もやらなくてはならない。
本来なら今週は地方選挙で畑仕事は二の次で、昼間は街に出ることを第一にしていた。ところが有り難いことに、無投票で町議選挙は1日で終わり、20日から選挙活動はなし。で畑の作業に専念できることに。
西牧場にとっては有り難いに尽きる。選挙の期日を避けてピートモスとベリーの苗木の入荷は来週に下げて置いた。だから今週は菜園の準備に時間をかけ、来週はベリーの移植に専念しなくては。
今夏の作付けは菜園も面積を微増。本来はベリー以外は縮小に向かうが、何処で方針が変わったのか菜園も微増する。
今の所、放射能汚染の拡大は無さそうな流れ。有り難い。菜園の方は何時でもベリー園に使える。ベリー園の拡大はまだまだ、と考えている。
気持ちだけは前向きである。怪我をしないよう頑張ろう。
11年4月15日記
川瀬さんの3回忌
4月10日11時から13時にかけて川瀬氾二さんの3回忌がとり行われました。亡くなって2年目が3回忌だそうで、故人を偲び、川瀬さんの書き残した記録から川瀬さんの記念誌を発行する話も出ました。川瀬さんをよく知る元釧路教育大教授の三宅信一氏の興味ある話しも聞くことが出来ました。
3・11震災津波原発事故は色々なところで問題を起しています。本来ならこの3回忌に合わせて記念誌を配布出来た筈が、インクや紙の調達がままならず予定の期日に製本が調わないとの事でした。
西牧場などは何の被害もなかったのに、3・11の原発事故に振り回されている感じが1カ月も続いています。740km離れている道東地方でもですから、東北地方の人や関東近辺の人々は口に出さずとも不安な日々を送られていることと想像します。
9日の土曜日に昨秋運び込んでいた馬糞を畑地表面に散らかそうと、作業を始めたのです。でも雪が解けて無くなっただけで、地下10cmにはがっちり凍土があって仕事を出来ないことが分かりました。馬糞も凍てついたままって事です。
だから後10日も経ないと畑仕事は出来ないだろうと。この10日ほどの時間をフルに活用して西牧場の菜園、ブルーベリーの土作りを果たさなくては。
気持ちだけは張り詰めています。ただし実作業が何処まで出来るのか、気ぜわしい4月中旬です。
11年4月8日記
〒配達の車が
4月4日団結道路を徒歩で東に向かっていると、やって来た。砂利道が落ち込むこともなく、半ばまで問題なく。私はそのまま東に向けて歩いた。東牧場には20分後に。殆ど積雪もなく歩くに困ることはない。
今日は5日、昨日午後福寿草の蕾を2、3見かけた。今日は全開したろうか。薄着をしたら風邪を引く。冷たい風が午後も吹いた。
7日今日も車で出入り。選挙戦たけなわ。連日町に出る。それが終れば畑作りに専念しなくては、年相応に。
今日は南よりの風が吹くという。友人は放射能に警戒警報と。うっとうしい毎日が続く今日この頃。
11年4月1日記
原発の行方を気にしながら
福島県では春の作付けを見合わせるなどの記事が見える。当然の成り行きだと思う。ここ750km北方に離れる矢臼別でも農作業を出来るのだろうかと心配してるんだから。
友人の家に行ったらドイツ政府の出した放射能汚染予想図を見せてくれた。偏西風帯に位置する日本列島、福島から太平洋上に汚染域が広がっていることが分かった。
ドイツ政府が出した物らしく文字はドイツ語で・・・と詳しくは説明してもらえなかった。しかし別海町で住んでいて自分と同じ心配をしている人が居て、ほっとしたり。
4月末にはベリーが100本入荷します。それにあわせてピートモスも入荷します。色んなことを想定して今春のブルーべりーの移植は中止にしようかとも考えた。でも遣れるならと思い直して決行することに。
毎春は4月20日頃に道の雪が解けて車で入ろうかもう少し待とうかと思案する。雪が無くなると立派な砂利舗装だと通行に問題はない。しかし団結道路は少し砂利舗装に弱点があって凍土が完全に解けない内はぬかるむ。
下手をすると道を壊すのだ。道を壊すと修理は私の負担になる。誰も治してはくれない。4月中は重たい車の通行は止めよう。ベリーとピートモスの東からの運送は軽トラックででもしよう。
野菜作りを例年並に、ブルーベリーの100株増は私には過ぎている。誰か一人二人援軍を頼まなくては。
それにしても原発の暴走は進行形だ。頑張れ労働者!!。頼みます労働者!!。
11年3月25日記
ここは福島原発から遠いが
今週は別海町で心配していたことが、原発直近の自治体で起こっている。野菜が放射能汚染しているという。22日朝のニュースでは福島第一原発の海岸での汚染も126倍とか。生乳までもが直ぐに廃棄処分になっている。
杞憂と言う言葉がある。辞書を引くと無用な心配とある。狭い日本、友人の教えてくれたネットの文書だと、浜岡原発が事故を起したら、稚内が僅かに圏外に位置していて、日本列島がすっぽり汚染圏に入ってしまう。そしてこれが杞憂でないことを教えてくれている。
23日朝のネット新聞は日本から飛び立ったと思われる放射性物質が地球の裏側に達しているとも。
だから別海町に放射性物質が飛来するのは杞憂などではないことがはっきりしてきた。政府は健康には心配ないから等と口癖のように言うが。
メールで原発に事故が発生したら、こうなるという記事を読んだ。が、その情報が現実化していて、悪い方向に振れている。でも驚かない、最悪の情報を知っているから。
時間が経つほどに色んなことが伝えられる。原発で今回起こったことは想定外等と言われるが、そんな言い訳が出来ないことも分かってきた。想定も何も最初からそのことを考えてなかったことを、今朝の新聞は伝えている。酷い話です。(産経新聞が23日朝)
23日、朝日の社説が初めて放射能被害が深刻であることを伝えている。そして各誌が原発事故が人災であることも。今更「人災」は遅すぎ。
別海町で放射線測定器を持っているかを問い合わせた。答えは持っていない。
世界がこの事故を注目している。寅さんではないが、労働者諸君がんばれ!!今はそれしかない。
11年3月18日記
別海町も不安がいっぱい
11日午後2時45分から日本の生活は一変した。そう思っている。私は買い物をして帰路についていた。車中では地震が起こっていることに気が付かず、ラジオで地震の発生を聴きながらだった。別海町でも震度が4でこれは大変だと駅前の人は感じたという。
午後3時に西牧場に帰って、後はテレビに見入った。1時間も経たない内に津波の一報が伝えられ、並みの津波でないことを知った。
私はこれは天災、豪い事になったと。そして不安になったのが福島原発でした。菅首相が福島原発に12日朝向かったのは、当を得ている、そう思った。
しかしそれからが頂けない。つづめて言うと後手後手です。ここでそれを言っても始らないので、身の回りの現実を。原野で食べるものを作らなくては。最悪の事態は日本列島が被爆地になってしまいかねない原発事故。
南風の吹く季節が要注意、直接被爆は免れても降った雨が被爆飲料水に、農作物の被爆被害、日本列島が被爆被害から逃れられない。
日本の農地から安全作物を収穫できるか、これが大問題です。
別海町には最短で泊原発がある。これは直線距離で約350km。今のところ事故を発生させていない。が、これに事故が起こると冬の季節風、西風に乗って放射能が、すぐさま放射能汚染地に。時々そんな事を考えてきた。何時起こっても不思議でないずさんな原発行政。それくらい頼りない管理体制である。
温暖化に歯止めをかけるためには原発が有効などと。が、今回の原子炉暴走、世界中が見ている。
使用済み燃料の処理も出来ない原発。今良ければそれで良しは改めなくては。後は野となれ山となれ、では・・ねぇ。
11年3月11日記
サビタ号、頑張る
今、西牧場の餌場には乾草のロールらしき物はない。先週まで在ったロールは崩れてしまった。雪も浅くなったし西牧場のあちこちに雪が消えて地面が顔を見せ始めている。
積雪は未だ30cmほど残っていて、モービルがなくては不自由なのだが、後1カ月もすればモービルの使えない気候が到来する。
サビタ号は痩せ細っている。例年のことだが、今の時期馬たちは秋に蓄えたエネルギーを使い果たしてスリムになる。サビタは特別に流産で痩せ細ったのだと思う。でも体調は持ち直したようで元気にしている。
ピンロクは特別に調教をしていない。でも毎日午前中は接触することに。子どもを宿しているカエデ号はその後も順調で、これが唯一の出産予定馬。
何時ごろ出産なのかさっぱり分からない。昨年流産してから、交尾を見ていないので、出産日を推測できない。とにかく出産を待つだけ。頼りない限りです。
川瀬さんも馬の出産には余り関わらなかったように思っている。放牧していると、そういう風になるのでしょう。親馬の傍に子馬がついて演習場内を駆け巡る。それを見て出産を知る。それが常だったのでは。
サビタは馬齢20歳になるでしょう。カエデ号も確か20歳。私の乏しい馬の知識では後5年くらいは寿命が残っていると思っている。
と、すると我が残り時間と似たか寄ったりか。サビタの姿を見ていると我が身と重なる。事故を起さないで頑張らなくては。
4月下旬には100本のベリー苗木が届く。後はピートモスの注文。春は直ぐそこまで来ている。
11年3月4日記
ピンロク帰る
3月1日、ピンロク川瀬西牧場に帰る。昨12月3日、西牧場から送り出す時は家畜車に乗せるのに一苦労。3年半も頭絡を知らずに育った馬に頭絡をかけて家畜車に乗せるのは一苦労です。それをすませて駅前牧場に預ける。それからほぼ3カ月で西牧場に帰った。
今朝は9時半頃駅前牧場に、ピンロクを家畜車に乗せるのに時間で1分。それを見た家畜商のSさんがびっくり、「ピンロク」こちらこちらと引き綱を軽く引くと、さっと家畜車に。
それから直ぐに矢臼別に向けて出発、東牧場に着いたのは10時前。未だ西牧場には車は入れない。盆踊り広場にピンロクを下した。5mほどの引き綱がついている。これを放してやろうとしたがピンロクはもう一目散で前進。東牧場を二度、三度行ったり来たりしていたが、その内に西に向かって一目散。
すぐさまモービルで追いかけたが、姿は見えず。何処をどう駆けたかモービルの轍にはピンロクの足跡は見えない。5分後に西牧場に着いたモービル、その先にピンロクが居る。仲間たちに久し振りの挨拶。5mの引き綱を放して、3カ月前のフリースタイルに。
これからが調教の正念場、西牧場で毎日接することで先ずはピンロクと会話を続けること。
4月末には100本のブルーベリーが届く。その移植も大仕事だと思っている。ピンロクの調教も帰っては来たが一段落とは言えない。
調教の先輩は木阿弥になりかねないと、忠告してくれた。明日からは庭先が調教場、頑張ろう私、そして頑張れピンロクです。
11年2月25日記
悲しい話
16日にサビタが横転したまま、喘いでいたことは書いた。22日朝8時半頃、駅前牧場に向かうべくモービルで西牧場の北出口に向かった。虫の知らせと言うか何時もは振り返ることもない出入り口でポニー馬群を振り返って見た。サビタに異変があったようだ。
この日は珍しく、朝一番でポニー群に配合飼料を本の少し与えた。その時は気付かなかったサビタの後ろ足、鮮血で真っ赤に。
上手くモービルの方向転換をして乾草置き場に向かう。サビタも配合飼料を食べ終わって乾草置き場に帰ってきた。
既に早産した、めんこい体重5kg程の遺体が食べ残した乾草の上に。サビタは何回かなめる仕草を。例年通りなら4月下旬から5月に出産するサビタ、3カ月は早い、助かろう筈がない。
16日の横臥不起立の事故が元での早産だろうと、俄か獣医は考える。
サビタには塩を与えて現場から離れさせ、遺体はとりあえず現場から仮置き場に運ぶ。これで22日朝の嫌な仕事は終えた。悲しい出来事です。夕刻、サビタは元気にしていたし、23日朝も元気に見える。
昨年のアカネに続いて連続の早産事故。アカネの早産は現場を見ることもなく、何時の間にかだった。が今年は現場を目撃した。悲しい牧場の話です。
ポニーを飼い始めて20年、子どものポニーを3頭、親ポニーを1頭、4頭のポニーを見送った事になる。夫々に悲しい思いを秘めて、一人で送った。
調教を始めてポニーたちに対する想いも変わった。もっと愛情を以て接しなくては、そんな想いになったこの頃です。
遅ればせながら。
11年2月18日記
雪が降る
もっと降るかと思ったが、本の少し降った。そんな感じの降雪でした。今のところ道東地方は雪が少ない。その内にドカンと降るのかも知れんが。
今週は駅前牧場行きは週一くらいにして、西牧場の計画をもう少し詰めなくては。
1.ブルーベリー園の増株計画。100本か50本か。
2.作付け予定、花豆、大根、人参、ジャガイモ、カボチャ等昨年並みにか。
3.円馬場の建設。調教用の馬場造り、さてどうする。
以上の事など、今の内に詰めておきたい。
14日はパウダーの雪が20cmくらい降ったか。モービルの走り具合は快適で、カンジキで歩いていた時の降雪とは感覚が大違い。モービルに乗って、新雪を走ると気分は爽快、ルンルン気分です。カンジキの歩行では喘ぎ喘ぎの通行だったのに。
油断は禁物、殺鼠剤のベリー樹幹への再散布や、作付けの練り直しをしなくては。
馬は2頭が生まれる予定、今年は生れ落ちた時が調教のスタート、これを如何に新しく取り組むかが大きな課題。
3年も放置しては自分の好きな様に調教は難しいと、再認識。ピンロクは今も呼称には反応なし。知らん顔です。
ここに来て、西部劇の様な馬、の調教目標は何処かに吹っ飛んで、考え込んでいます。
ですから今年は西牧場の在り様、改めて考えなくては。
16日、午後3時40分頃、駅前市街から西牧場に帰る。今日はモービルの置き場は北からの車庫入り日。そのまま北側から車庫に入ったら妊娠8カ月のサビタ号を死なすところだった。たまたま毎日与える配合飼料がなくなり、駅前から買って帰ったばかり。で、それを貯蔵庫に置くべく自宅玄関先にモービルを廻した。
そしたら、ポニー群が私の周りに。数えたら1頭足りない。どうして? と餌場に回って見た。 姿を見せないのはサビタ号。食べかけの乾草ロールを背に食い散らした乾草に埋まるように横になって、前足、後足を空中に突き上げて、元気なくもがいているではないか。モービルから飛び降りて、たてがみを両手で持って回転させた。何時間この状態でもがいたのか分からない。直ぐには立つことが出来なかった。が5分もしたら、歩行が出来た。この時間に事故を見つけられなかったら、サビタは死んでいたろう。ラッキーだった。
今は午後08時25分、今夜はもう一度見回りにいってこよう。7頭皆元気。一安心。
11年2月11日記
2月8日雪が
昨夕から久しぶりに雪が降った。積雪15cmか。べた雪で駅前への道は危なっかしい。圧雪で何時滑るんではないかと、ひやりひやりの走行でした。
7日は駅前牧場で雪の降る中、ピンロクを大型馬の中に放牧した。これは牧場主のアドバイスによってだった。
所用で夕刻、駅前に出た。2kmの寄り道なのでピンロクを見に行った。気になっていた通りピンロクは牧柵の外に出ていた。2カ月経っても大型馬には馴染めず4頭組みに電気牧柵の外に追いやられた模様。
しかし私が牧場に着いてからはいたってスムーズ、ピンロクと呼ぶと傍に直ぐ寄って来た。欲目に見て、これが調教の効果なのかも、そんな風に。
それで牧場内放牧は取り止めて、再び小屋の中に繋ぐことに。
残り期間は今月と3月中を考えている。その間に鞍をかけること、呼び名に反応すること、この二つを覚えてくれたら良しとしよう。あまり多くは望まない。
鞍かけは未だ一度も試みていない。その内にです。
西牧場の馬たちは毎冬のように、放置されたまま。残り乾草は4ロールになった。4月までに1ロールか2ロールを餌場に出さなくては足りないかも。
母馬2頭は流産もなく今は順調に腹が膨らんでいる。元気が何よりです。
スノーモービルで東牧場に行く様になって駅前市街への所用時間、夏場より少ない。何時もは冬場、西牧場と東牧場が徒歩で30分でした。
モービルに慣れると3年前までの冬が嘘のよう。どの様に考えるべきなのか?。得だったの、損だったの。
11年2月4日記
新しい挑戦、調教
1月中は午前中を駅前で過し、午後は矢臼別に帰る。ただそれだけで何も進展なしに1カ月が過ぎた。駅前行きはピンロク号の調教の為だが、成果が上がったようには思えない。
3年半も気ままに育ったポニーが、たったの2カ月で飼い主の意を酌めは余りにも勝手。
とは思うが、今朝などはピンロクに今にも蹴られそうになって慌てた。ほうほうの体で身をかわしたが、馬を扱いなれた人はそんな時は直ぐ「叱り付ける」と。
近づけと言っても近づかなかったり、一寸した仕草で怯えるのは飼い主を恐れている為で、そういう関係では上手く行かないともいう。
今色々と、調教術を教わっている人は、飼い主に近づくことで馬にとって好いことが有る、嬉しいことが有る、それを知らしめることが大切と。
おいしい物を食べさすのも一つだし、マッサージをしてやるのも一つだという。つまり馬の喜ぶことをしてやることだと。
西部劇に出てくる様な馬にする、簡単ではない。名前を読んだら呼ばれた人の前に来る馬。前者は乗馬が出来る馬であり、後者は何処に居ても声さえとどけば直ぐ身近に吹っ飛んでくる馬である。ピンロクには重い課題です。
楽しいことだろうな、そうなれば。2月も頑張ってみよう。
西牧場の7頭は毎朝顔を合わすだけの、20年前と変わらない付き合いです。配合飼料を1日に一度与えるだけの付き合いでは、手を触れることも出来ない関係で終ってしまう。
今年からはその関係を少しは変えてみよう。怪我をしないように。
11年1月28日記
調教に大きな変化なし
年が開けて元旦こそ矢臼別で終日過したが、その後は殆ど駅前牧場に顔を出している。ピンロクの調教のために。
しかし名前の呼びかけに応えようとしないピンロクで、これから先は何を主に教えれば良いか、素人調教師は迷っています。
右回転歩行、左回転歩行も充分出来るようになった。それに止まれも聞くようになった。後ろに下がることも良く聞き分ける。しかし前に進めが今一で、指図をした人に接近する距離も少し開きすぎ。
3年半も頭絡を知らないで育った馬だから、調教の進み具合もこの程度で上出来なのかも知れんが、今一ばかり。
駅前牧場に預ける期間は残り2月、3月の2カ月間。何を集中的に訓練すると良いのか、一番の目的は呼び名を読んだら呼ばれた場所にピンロクが来ること。
勿論鞍をかけて乗馬を許容する馬にすることも大きな目標です。これはピンロクにとって大変なことに違いない。馬の能力に詳しい方にとってはピンロクの出来が如何程か分かるでしょう。がこちとらそのことでは知識ゼロに等しい。
ピンロクの出来を言う前に自身の学習・馬の知識を責めるべきなのかも。いずれにしても調教の引き出しに今は何も無い。
分かってきたことは愛情を以って接しないと言うことを聞いてくれない。そんなことだけは少し分かってきた。
今日も、明日も駅前牧場に行こう。(27日)
西牧場の馬たちは5ロール目の乾草を食べ始めた。雪が浅いので時々笹を食べに行くようだ。7頭皆元気です。元気が何より。
11年1月21日記
ピンロク脱走
1月13日夜、20時頃だったか駅前牧場から電話があった。ピンロクの預け先からです。ピンロクが馬小屋から逃げたというのです。よく話を聞くと、捕まえたけれど馬小屋には確保できず、電気牧柵の効いている牧場内にいて、今夜はこのまま置くという。
少しは人の言うことを聞く馬になったかと思っていたが、あまり効果がないことをこの時知った。
14日は朝早く駅前に出て、ピンロクの捕獲に一所懸命。広い牧場の北西端に短いロープ付きで突っ立ていた。50mほど手前にトロッター種の雌馬がいて、それがポンロクの行く手を遮るように見詰めていた。
50日ほどになるが何時も大型馬とは別行動なので折り合いが悪く、一群とは行動を共にしない。それでトロッターの4頭を馬小屋に入れロープに繋いだ。で馬小屋の外に出たらピンロクが直ぐ側に。
ピンロクだけを隔離したままの50日では仲間にはなりきれない。どの種の馬とでも仲良くなれる、が調教の目標でもあるが、まだまだ先の話のよう。
西部劇に出てくるような馬にしたい、これが目標なのだが、素人調教師には荷が重い。親戚にこの話をすると、乗りかかった船を直ぐ辞めるようなことのない様に、と励まされた。
3年半好きなようにして育った矢臼別の馬です。2月3月の2カ月で呼び名に反応して、鞍の架けられる馬になるや、ならずや。
西牧場の馬たちは10ロール中の4ロールを食べた。専ら乾草に食いついている。4月までこれで、6ロールで足りるかどうか気になるが、7頭皆元気なのが良い。
雪もその後降らない。積雪30cmくらいでここまできた。その内ドカ雪が降るのかな。それまでは駅前に通おうか。
11年1月14日記
ピンロクが呼び名に反応するか
西牧場には8頭のポニー群が居て、ピンロク号は駅前牧場に出張中。調教の知識のない、頼りない私が調教師の真似をしている。
師走の3日に預けたので40日ほどが過ぎた。元日は休んだが今年に入って連日出前調教をしている。20分から30分の授業時間をとっている。
別海町にも馬と話が出来たり、その上犬や猫と話が出来る人が居て、時々その人の話を聞きに牧場に立ち寄る。
最近分かったことだが、その牧場の馬は呼び名を聞き分ける。その馬場はピンロクの預け先、駅前牧場への途中にあって、昨年11月の中旬に立ち寄った時のこと。
10頭の馬を飼っているんだが、10頭とも自分の名前を聞き分けるではないか。驚きました。馬は名を呼ばれると、呼ばれた方向に自分の耳を向けて反応する。そして来いと指示を出すと、呼ばれた人に向かって歩き出す。
呼ばれた馬だけが反応するから、お見事としか言いようがない。この人は猫にも犬にも躾が出来ていて会話が出来る。
ピンロクにもそれが出来ると言ってくれる。が4歳近くまで矢臼別の原野で放置されていたピンロクが果たして自分の名前を聞き分けるところまで??。
当分は大雪もなさそう、毎日通うことにしようか。
途中で止めたら、木阿弥さんだという。ピンロクがどこまで変身するか楽しみ。
11年1月7日記
西牧場、新年の計
明けたと思ったらもう7日になった。もたもたしてる訳ではない。ちゃんと計は出来上がっている。
今年の菜園の計画は例年通りの作付けで変わりはない。変わるのは農園の作付面積です。ブルーベリ園を倍の面積にしたこと。
それに菜園の面積も増やした。高齢者の仲間入りをしてるんだから規模縮小が妥当だが反対のことをすることに。
ブルーベリーは現在、約100株だから今年中に200株にしたい、そういう計画です。
後一つの計画はピンロク号の調教を4月まで行って、人間の言うことを聞く馬に育てること。その上での話しだが、西牧場に円馬場を造ってピンロクに続く馬を調教すること。
老体に鞭打つ様な事はしたくないが、周りの人に助けられて新たな新年の計画に取り組みたい。
元日はピンロク号の調教はお休みにした。ところが新年早々、ピンロクは小屋から脱走して牧場内にいたらしい。ロープの結束が悪くて脱走を。でも牧場外にでなくて良かった。
30日前までは人に触らせない馬だったピンロクですから、少しは人に馴染んだのかも。4月までに何とか飼い主の言葉が分かるようにしたい、そんな思いで駅前牧場通いを続けよう。
後一つの計は展望台の予算の話です。10年前に作って頂いた青写真の展望台が2011年でどれだけの金額で建設できるか。
これはウン千万円の話で桁が違う話なので簡単ではない。が事は始めないことには前に進まない。
夢は大きい方が良いと言う。大きく打って出ました。ははは。
10年12月31日記
殺鼠剤を撒く
今日は27日、殺鼠剤をベリーの根元に撒く。1っ昨年この作業を手抜したばかりに、ベリーの新芽を食べ尽くされた。雪が解けた春先に、木の回りにはおがくずを撒いた如くに新芽が食い荒されていた。野鼠の仕業でした。
前年に35kgの収穫があって、期待した昨年が3kg、そして本年が110kgのブルーベリーの収穫でした。
殺鼠剤を手抜したした事が収量を極端に減らした一因だと思っている。だから今冬も手抜は厳禁です。
鹿は新設したフェンスを何度か乗り越えて侵入した。あと少し補強しなくてはいけないと思っている。
苦労して侵入しても旨味のないことが分かれば、侵入はしなくなるだろう。馬の調教の真似を始めて、ふとその様なことを思う。
駅前牧場に預けたピンロクの調教、27日で11回目になる。20km離れた牧場に通うのも楽ではない、でも通える間は馬との会話を続けよう。
西部劇に出てくるような馬を飼ってみたい、長年の夢だったんだから。ひょっとしたら来年はその夢が叶うかも。
怪我をしないように注意万端で今週も駅前牧場に通うことにしよう。馬との会話で具体的なことを書くと、手綱の振りで前進、後退が出来るようになったし、前足も後足も蹄を持って蹄裏を見られるになった。
その内に鞍を背中に載せても驚かないようにしたい。未だ鞍は用意していないが。
10年12月24日記
調教6回目、少し変わったピンロク
20日夜、といっても17時頃から40分ほどピンロクが帯広から見えた調教の先生の指導を受けた。先生は馬の削蹄師でもあって、午後3時から約40分で4頭のトロッター種の削蹄を終えた。凄い。
冬の午後4時は薄暗い。それからは照明を準備しないとD型ハウスの中では仕事にならない。T獣医は専ら照明の準備で、私は薄暗い中でじーっと若いトロッターの調教を見ていた。
小1時間、削蹄作業を物陰から見ていたので先生がどの様に馬と接するかは少しは分かっていた。
馬と話が出来る人が方々に居ることが分かってきた。駅前牧場には未調教の馬が1頭いて、それが終ったのが17時頃。
遅くなったのでピンロクの今日の調教は止そうかと思った。がT獣医の勧めもあってピンロクを小屋から調教場所へと引いてきた。
40分ほどでピンロクの調教、接触は終わった。
そして今日は21日、9時に駅前牧場に着いた。そして40分ほど調教の先生がしていたように、真似ることをにした。
前に進むように手綱を引くとピンロクは前に、後に動くようにと手綱をしゃくり上げると後方に。停まれも声を掛けると停まる。合図の後に静止したら指先でのスキンシップを必ず返す。
一人での調教は2回目だが、今日の調教は手応えありです。
明日の天気は曇り。20日の大雨で先日降った雪は積雪ゼロに。
22日午前中、7回目の調教を約40分間行う。出来は今一だったが、飼い主の言うことが少し分かってきたか。
10年12月17日記
雪よ早く降れ
15日朝8時、居間のカーテンを開けると、地面が半分白色に。先週11日の土曜日にも少し雪が降った。だから今冬2度目の小雪が降ったことになる。もっとどさっと降って欲しいのだが、なかなかこちとらの思うようには降ってくれない。
今、西牧場には7頭のポニーがいて毎朝「とりで会館」の北側に顔を揃える。子牛用の配合飼料を1日に一度、本のちょっぴり与えて挨拶を交わすことにしていて、必ず顔を見せる。
冬には「とりで会館」東側に乾草の餌場があって40センチも雪が積もると彼らはその乾草置き場からは離れないで4月の雪解けまで乾草を主食に過す。
ピンロクは20km離れた駅前に修業の旅に出ているので、これが西牧場に帰ると総勢は8頭になる。
調教が思い通りに進むようなら、来年は西牧場内に調教用のパドックを作り、馴致術を自前で行う。
又一つ仕事が増えることになるが、今はそんな事を構想している。鬼に笑われそうだがこれは来夏の構想です。
その前の、雪解け直後にはブルーベリーの移植もしなくてはいかん。想いだけは頭の中を駆け巡る師走半ばです。
どこまで出来るか、来年も忙しい年になりそう。
10年12月10日記
身内の女中奉公
2日夕刻には菜園のフェンス拡張工事も終えた。この日、駅前市街でブルーベリーの栽培を教わった先輩農家に会う。久しく会っていなかった。「やあ、やあ」で始って、ブルーベリーの出来の話に。今年は豊作で600kgを収穫、と。
金物店内での話で、早々にお別れした。が大きな情報を頂いた。ベリーの苗木、1本1600円が別のルートで700円で買えると言う。後日、新ルートを教わることに。来春はやるぞう、とルンルン気分に。
3日朝、7時過ぎに駅前に行く。ピンロク号(雄3歳・虚勢)を載せて駅前の牧場へ走る家畜車に追走。そして10時にはピンロクを馬小屋に納めた。一冬の調教が上手く続けられるか少し不安を抱きながら矢臼別に帰った。
ピンロクを人様に預けて本の少し、近親者の別れの味わいを。ピンロクが扱いやすい馬になってくれるよう、そんな思いで帰途に。
3日夕刻もう一度、ピンロクの馬小屋に。今まで原野を歩き回っていたのが、今夜からは小屋に繋がれての生活。この時刻大粒の横殴りの雨が降り続いた。当分は時々訪問してみよう。
4日夕刻ピンロクを見に行く。馬小屋から脱走、牧場内に出て、トロッター種4頭とおっかけっこ。大型馬4頭に追われて牧場内でにらめっこ中だった。
頭絡は付いているが短いロープはなし。私は電牧を潜って牧場内に、ピンロクに接近すると簡単に頭絡を掴ませた。
電気牧柵を潜るのが大変だったが、電柵のお陰で牧場外に出なかった訳で、助かりました。何とも気苦労の多いピンロクの牧場預けです。
終戦直後のことだが、紀州の田舎から阪神方面に義務教育を終えた女性が女中奉公に出る風習があった。
ピンロクの一冬の調教は女中奉公に似ている。上手く勤まるかどうか。
10年12月03日記
馬を捕まえる
30日、12月2日の馬の市に備えて2頭の馬を捕獲する。最近知り合った友人は馬を上手に飼っていて、名前を呼ぶだけで応える。10頭の馬を飼っているがどれも皆、それが出来る。
だから頭絡を付けるに困ることはない。何時も馬と触れ合っているので接触は自由に出来る。
それに引き換えわが西牧場の馬たちは殆ど接触する機会はない。母馬が接触できない馬なので子馬も親の後方に回って大きくなる。
馬飼いをしているとは言えない状態で西牧場で大きくなる。野生馬同然です。だから市場に馬を出す時は川瀬流で、馬囲いに誘い込んで、投げ縄ならぬ竿の先に縄を仕掛けて捕獲する。
今更、この方式を全面変更する気はないけれど、せめて2、3頭はその都度頭絡を付けて馬との接触が出来るようにと、そんな思いに。さて、俄かに上手く行くかどうか。
08時に台所の北側の窓から覗くと馬が目に入った。早、配合飼料を欲しがって顔を見せたのだ。
8時半には馬囲いに誘導して9頭を囲いの中に。囲いは万全、破られないことを確認して雌1歳半と雄3歳半を捕獲する。頭絡を付けたら後は車に積むことが大仕事。
9時頃、家畜商を兼業している酪農家のSさんが馬囲いに到着。嫌がる馬を家畜車に載せて大仕事は無事に終了した。この間約30分。
1頭は市場に、1頭は駅前の牧場に一冬預ける事になる。
これが上手く行くと来シーズンも2頭は調教に出すことに。初めての試みだが、期待するところが大きい。
言うことをきく馬に育てる。矢臼別では画期的なことなのです。
10年11月26日記
堆肥運び
金、土、日と少しずつ堆肥を運んで軽トラックで14回ほど運び込んだ。これは計画の半分で、今週中に残りを運び込みたい。
週の初めは月曜日としているので今週末は堆肥運びで日程は一杯。無理の利く年齢ではない。計画に追われて無理はしないこと。
家の周りには立木が多い。それに馬の有刺鉄線柵もあって冬に活躍するスノーモービルの通路を確保するのも今冬の課題。昨年まで使っていたルートがベリー園拡張で変わったから。
雪が降る前にやっておかなくていかん事が出てくる。寒くなるとチエンソーのエンジンも起動が厄介。で24日はチエンソーの調整で1日を棒に振った。
25日は草刈機で馬の捕獲場を整えなくては。次から次とその日が近づくと、やっておかなくてはいけない事が見えてくる。
西洋の暦では11月の第4木曜日が感謝祭とか。西牧場では明日の金曜日を感謝祭として一人だけの祝日としよう。
釧路に出る機会があって、ベリー園の拡張でボランテァに与った友人に会う。来春のベリー移植にも手を貸してくれると言う。嬉しい会話を交わすことが出来た。
何だかんだとスイスイとは進まないけど、西牧場の畑の作業は終わりに近づいている。今年も沢山の恵を頂いた。少しは畑から頂いた恵に御礼をしないと先細りとなってしまう。
堆肥運びは畑に対する一番の御礼だと思って励みます。
10年11月19日記
薪に屋根をかける
14、15、16日と3日がかりで薪に屋根をかける。この薪が無くなると春になる。細くても柱を建てておかないと、薪を運び出す度に屋根が下がって仕事が出来ない。昨冬まではそうだった。
この薪置き場は自宅屋根からの雪が落ちる軒先。薪置き場の屋根には傾斜が必要。
それで、1間X4間の面積で高さが1.3mの片流れ屋根に作った。屋根板は厚さ12mmべニヤ板。20年目にして初めての試み。
板の上に防水シートをかければ濡れ損は防げる。良く乾燥した薪を焚く、これは寒い冬の最高の贅沢です。
そして17日からは堆肥運びを。今年は少し堆肥の搬入が少なかった。暑すぎて収量に影響したとも聞くが、堆肥の量が少なかったのも気にかかった。それで今秋は軽トラックで20台はたっぷり運び入れて、来春に備えたい。
馬の餌場周りに堆肥が見えなくて困っていたが、実は堆肥がたっぷり溜まっていることが分かった。これを放置する手はない。で今週末は堆肥運びに全力投球をする。そして月末は馬の捕獲に気合を入れる。怪我をしないように。
ブルーベリー園の拡張は春先まで先送り。土が凍りだしたのでやむなくです。
本当は今秋にベリーの為の土作りをして、来春には苗木を移植したかった。がそれは果たせなかった。
1シーズン遅れたことになる。でも、焦らないことにしよう。着実にことを進める事が大切で、来春は幾らかのベリー苗木の移植を実施したい。
のんきな言い訳を言ってますねぇ。ははは。
10年11月12日記
無理はしないこと
今日は日曜日、燃料の薪を積み直した。灯油の様にコックをひねると給油が楽々とは行かない。毎冬のことだが薪は居間の窓際に積むことにしている。2日分くらいはストーブ横の木箱に入れて置くが、屋外の置き場は居間の窓際になる。ここには2カ月位の消費分を置く。だからここの薪を焚き尽くすと春が近い。
薪置き場は玄関の周りにもあって冬場は薪に囲まれて冬を越す。今冬は今月6日から薪ストーブを稼働した。室温20℃〜25℃を目標にストーブの空気口の調節をする。居間、寝室、風呂、便所、炊事場は1階で同時暖房。冷蔵庫の置き場は引き戸を閉めて冷たく。
これで冬支度は完了です。もう少し寒くなると北側の窓、南側の窓や玄関にも夜間はスタイロフォーム(断熱材)を使って室内の暖気を外に逃がさない工夫をする。
外はマイナスでも室内は初夏の気温に保つ。今月中には冬支度を終りたい。
8日午後1時から3時まで、乾草10ロールを倉庫から餌場に運んだ。と言っても乗用トラックを使って倉庫からロープ掛けで引き出しただけ。
以前は丁寧に並べていたが、昨年からは適当に、あちらこちらに引き出して終わり。
堆肥運びや馬の捕獲はこれから先だが、気を揉まないことにした。出来ればやる、疲れたら休む。とは言え馬の捕獲は秋の必須作業だ。
40代の人にその事を話したら、年寄りみたいなことを、と言われた。それで、年寄りだもんと言っておいた。
無理はしないことにしています。
10年11月5日記
今冬は馬を調教に
30日、大根を収穫する。2畝に残っていた大根、半分を畑の中に作った室に収めた。ステンレス製の廃棄湯船を畑の中に埋め込んで、それを室代わりにした。
初めての試みで上手く行くかどうかは未知。埋めた湯船に大根と人参を八割方入れた。来年春先までは充分に賄える量です。
問題は上手く湿度を保てるかどうか、土を適量入れて保存に努めたい。勿論蓋はステンレスで覆った木蓋をした。
10年も前か、近所の酪農家に教えてもらった貯蔵法で大根などを蓄えたことがある。この時は野鼠の標的になって、ネズミの食糧庫にしてしまったことを思い出す。今回の室はその様なことは起こらないと思っている。
堆肥の搬入や馬の捕獲作業などが残っている。冬がそこまで来てて、忙しい11月になりそう。
農作業がひと段落はもう少し先の話です。
11月1日、じっこんの獣医師の家に寄ると、馬の話となった。そして今冬は3歳半の雄馬を駅前の牧場に預ける話に落ち着く。
西牧場のポニーは野良犬同様で躾ができていない。これを乗用馬に変身させる考えだ。そうすることで矢臼別平和公園を乗馬で楽しむ、そんな公園構想を話題に。もちろん大型馬の乗馬もその構想に入れたいが、先ずは西牧場のポニーを乗用馬に調教する。そんなことで話が弾みました。
この調教が上手く行くと数年で川瀬牧場が大きく変身する。川瀬牧場の馬は人の手に負えないが常識でしたから。
調教が上手く行くと来年も調教馬を駅前に送ることに。又楽しみが一つ増えました。
10年10月29日記
仕事が捗らない秋
26日、日本海側は雪とか。そして太平洋側も怪しい。昨年より6日早い降雪とか。暑い夏といってたら、もう秋、そして冬が。
大根も人参も2畝が畑に残っていて、花豆の杖も未だ畑の中に残っている。ここに来て西牧場では問題が解決しないままに。
井戸の給水ポンプが短時間しか休まないで蛇口を開けもしないのに、ポンプが起動する。14秒停止して10秒運転。この調子では1昼夜で10時間もポンプが運転することになる。
ポンプの圧力センサーが働いて放って置けば終日、これを繰り返す。これを放置は出来ない。
9月から修理を始めたが一向に改善が見られず23日〜今日26日まで連日、ポンプの修理に日中の時間を取られてしまう。
23日は街の修理屋さんに日が暮れてから援軍を頼んだ、が解決せず。自力で24日も25日も解決せず。今日26日ようやく少し改善の兆しが見えた。停止時間20分で10秒の運転時間になった。これだと1昼夜で12分の運転時間になる。電気代金もポンプの消耗も大きく抑えられる。
でも未だ全面解決とは言いがたい。それが27日の午前中に、2分毎に運転を始るではないか。又、何処かがおかしい。
27日午後1時からポンプと配管の点検を始める。ポンプの出口に付いているバルブを閉めると完全にポンプが止まる事を再確認した。
そして分かったことは「とりで会館」への配管のストップバルが洩れていることでした。これを突き止めるのに数時間かかったことになる。
この漏れを直して20分間は起動、運転をしないことが分かった。このペースだと1昼夜で12分間の運転。100%の解決では無くても、少しは気が休まる。
人参の収穫は27日午後3時に終了した。残りは大根少々。
今秋、水道ポンプには苦労しました。が未だ井戸では課題が残っている。それは又の機会に。原野で暮らすと色んなことで試されます。ははは!。
10年10月22日記
快晴の天気には
17日日曜日、今日は農作業をしなくては、と最後のジャガイモ、1畝を掘る。今春一番に種下しをした畝だったが、やはり出来は半作。これでジャガイモは掘り終えた。残りは大根、人参だ。
18日は秋の検診で釧路へ。19日は駅前へ出て通信のラベル作りの段取りをする。約200通の矢臼別平和公園通信の宛名ラベルで、3カ月に一度の公園通信の発行に備えて。
収穫作業を少し延ばして、と軽く見ていたが印刷機がトラブル。教わった様に遣ったのだが、ラベルが刷り上らない。で今日は空振りに終わった。
PCの師匠はインクのヘッドが目詰まりを起しているのでは、と言う。でこんな時は1昼夜待つと良いと。
午後になって収穫作業も気が入らないので、新聞を読んで日が暮れた。もう一度20日はラベルプリントのやり直し。
もう少しで収穫は終るし、一人だけの収穫祭が待つ西牧場、なのになぁ。
20日、収穫には最高の天気だったが、駅前に出てプリンターの調子をうかがった。結果は不調、黒インクが反応なし。
最終の野菜収穫を棒にふって、久方ぶりに酪農交流会に出席した。人様はどう思われたかはしらねど、西別岳の全容が見える牧場で、すばらしいと思って撮ったのが写真ページの景色です。
矢臼別からも二階屋根に上れば西別岳は見えるとおもう。でも地上からは見ることが出来ない。林が立て込んでいて。
虹別のK 牧場で、いい眺めを満喫、昼食も美味、そんな10月の酪農交流会でした。
10年10月15日記
西牧場の収穫作業
最終段階に入った西牧場菜園の作業、11日現在で畑に残るのはジャガイモ1畝、大根2畝、人参4畝で、豆収穫は夕刻に終った。カボチャ、それに温室内にはトマトが少々。
12日花豆の鞘剥き、昨夜テレビを観ながら1時間余、12日午前中2時間でほぼ終る。その気に成れば今週中に収穫作業は全部終る。が無理は禁物。
堆肥の持込と馬の捕獲が残るがこれは11月に入ってからでも出来る。そう思っている。
13日、雨の降らない天気だったけれど眠不調で終日休んだ。最後のジャガイモを掘り、人参も掘ってが予定だった、がソファーに座ってテレビを観て・・・終った。
何のことはない昼食後、2時から3時半までソファーの上で寝てしまった。明日14日は雨天の絵模様が出ている。
川瀬さんがよく言ってた、眠りたい時に眠る、私はそうしていると。紀州の親戚に眠不調を話すとこの人も高齢だが、好きなようにするが一番と。 そんなこんなで、気力が右肩下がりの住人です。
ベリー園の株数を倍増する計画もあって、現在進行中だ。今秋の自力だけでのベリー園の拡張は荷が過ぎるように思えてきた。これも無理は禁物、外からの労力の導入を考えなくては。
と言ったことがあり、西牧場の住人、思案の日々を過しています。
フェンスを作った時のように、ベリー園の土作りも援農隊を頼めば。一人で拡張ではなく同志を募ればいい。
取り敢えずはフェンス作りの友人に話してみよう。一人でも援軍が来てくれると作業は2倍捗る。今秋は援軍を募ろう。
何でも自力主義はそろそろお別れしよう。
10年10月8日記
降りそうで降らなかった日曜日
今日は休息日と決め込んで仕事は何もしなかった。月曜日からは頑張らなくては。
ところが明日は雨日和と来ている。だから2連休の休息日になる。
ジャガイモが3畝、大根が2畝、人参が3畝、それに花豆の取り残しが少々。カボチャの収穫はほぼ終った。数にして13個か。
何時も野球の日本シリーズが行われる時が矢臼別の収穫期だ。これが終わると収穫祭を一人で行う。来年に備えて堆肥の持込等があってあまりのんびりも出来ない。
今年はあまりあくせくしないでボツボツやろう。
火曜日、快晴、9時からジャガイモ堀り。春先一番に種おろしをしたジャガイモ。粒は小粒でやはり収量は半作。半分は小さすぎて言うところの商品価値は無に等しい。馬たちに与えることにする。残るは2畝。今週中にはジャガイモの収穫を終えたい。
6日、ジャガイモ堀を1畝する。18年間、株を1本だてにすることを知らないで今日まで来た。1本だてにするのは芋を大きくする為だと言う。株が多いと芋が大きくならないと。植えたら最後、何もしないで土寄せだけをしてジャガイモを収穫してきた。
今日テレビで1本だてにする話を聞いた。来年の楽しみが出来ました。
今日掘ったところは春先一番に種を下した所。小振りだったが数は8から10個付いていた。並作だったと言える。
来春は1本だてにしてみようか。研究心の無さにはびっくり。穴があったら入りたい。
10年10月1日記
ベリー園の鹿避け
26日夕刻、鹿避けのフェンスが完成しました。ついこの間まで暑い暑いと言っていたのに26日は台風12号の後で北風びゅーびゅーの肌寒い天気に。12時半から16時半までかかって車の出入り口が出来上がりました。後は植える場所にベリーに適した土を仕組んで来春に備える。
紀州の親戚にブルーベリー園の拡張の話をしたら、年を取って拡張などしなくて良いのにと意見された。
自分の為ではなく、ここに来る人の為に植えないとベリーは大きくならないから、と答えておいた。
話はジャガイモのことになります。先にも書いたように小粒で数も少なくて、作付けの半分を収穫した時点で半作のようです。最も早く種を下した畝が4畝ほど残っている。これを掘ると芋の出来が決まる。大根と人参はそのまま残っている。カボチャも移植したのは5株でした。3個は取り込んだが後幾つ採れるやら。
菜園の拡張も試みようとしているので、西牧場の農作業はてんやわんやの状況なのかも。年相応に計画しないと、過労に成りかねない。最近疲れるのは心身ともにストレスが溜まっているのかも。あれもしなくてはいけない、これもしなくてはいけないと、そんな事ばかりの日々。
28日、雨模様。薪割りや一寸し仕事をして1日は過ぎてゆく。雨は最高の休養日です。金土日の3飲酒日は多すぎると親戚に言われた。休養日に飲み過ぎだと。
西牧場で1日でも長く菜園を続ける為にも、日曜日は飲酒日から除くことも思案中。そうすれば疲れもストレスも解消するかも。
10年9月24日記
川瀬牧場の住人
事情があって東牧場のWさんは川瀬宅を不在にしています。16日から10日間ほど2頭の牛の飲み水を私が補給することに。だから来週、1週間は何時もは二人の住人が西牧場の一人になります。少し心細い感じに。
この状態は良くない状態なんです。再来週は二人に戻る。何のことはない住人が一人、今までにもあったこと。06年は夏場2カ月も川瀬さん一人の時があった。私が奥州市に行っていた時のことだ。
もう今は居ないエーコさんの看病で、奥州市に7、8月と居て、矢臼別を留守にした。時には川瀬牧場も住人が一人になる。が誰も居なくなる、それだけは避けたい。
不在地主では矢臼別の闘いは間が抜ける。闘いにならない。常々そう思っている。
18日、牛の水やりは毎朝、時間にして30分、さあ出かけよう。その後は花豆とジャガイモの収穫です。天気予報、明日は雨模様。着々と収穫を重ねないといけない。
19日、昨日は終日曇天でジャガイモ、花豆の収穫はせず。そして本日は雨模様です。
20日、ジャガイモの4畝、除草をする。花豆の鞘を30分摘み採り。変色した鞘を放置すると豆が芽を出す。
21日、今日も雨模様。が雨降らず。午後は拡張ベリー園のフェンス作り。残るは出入り口の製作。思えば、移植する箇所の土作りもしなくてはならないし、仕事が目白押しに並んでいる。まあ時間を旨く使って、コツコツ遣ることにしよう。
10年9月17日記
花豆の収穫
今秋は9月8日から花豆の収穫を始めた。昨秋は10月初旬に始めているから略1カ月、早いことに。これは今春早く種下しをしたからだと思う。秋霜が降りる前に作業は終るだろう。4日ほど毎朝枯れた鞘を取り込むが、一つの鞘には2、3粒しか入っていない。時には4個、5個の鞘もあるけれど。初めてそんな事に気付く。毎秋、25kgから35gの花豆を収穫はしているけれど。
例えば30分鞘を摘み取ると、たっぷり1時間をかけないと実にはならない。それから乾燥、選別などして我が家の花豆となる。
これを親戚、知人に送ると姿を変えて地方の産品が送られてくる。知人友人には押し売りにならないよう注意が必要です。
今の所、花豆の収穫は順調です。ブルーベリーと同じで毎日取り込むことが求められる。今日は茶色に変色した鞘を採り切ったと思っても、日が改まると又変色している。
ジャガイモの収穫も始めなくては8月中に葉は枯れたので、そろそろ掘ってみようか。
12日、仕事は花豆の採り込みを30分した。そして鞘をむくこと約1時間。日曜日の仕事は1時間半で終わり。
ジャガイモ、人参、カボチャ、温室内のトマト、キュウリで夏野菜の収穫は終わる。未だそっくり残ったままだが。
日曜日はしっかり休んだので、月水木金は収穫作業で頑張るぞ。
月曜日、人参とジャガイモを小鍋に入れて料理出来る量を収穫。
久しぶりにカレー料理を、旨かった。
これぞ家庭菜園の醍醐味です。
10年9月10日記
拡張工事と収穫
9月4日、釧路から援農で西牧場に。公園クラブ会員でもあるSさんが単身で来園してくれました。ブルーベリー園のフェンス張り作業をサポートする為です。
8時半から始めたフェンス張り作業、13時に昼食、14時30分作業再開。16時30分頃に4日の作業を終了する。9割方フェンス張りは出来た。後は鉄柱に針金で固縛すれば完了する。
夕食は二人してビールで乾杯。これで来年は100本余の若いノースランドの苗を移植出来るだろう。
今夜はとりで会館に宿泊。明日、日曜日も援農作業をしてくれる。
5日、8時より菜園拡張の鉄柱を10数本、現菜園の南側に打ち込む。作業を終えたのは11時頃、2日続きの作業で疲れたので今回の援農作業は一段落として終ることにした。
拡張作業が落成したら又報告します。釧路のSさん有難うございました。
7日、朝の一番の仕事は温室内を見て、次ぎはカボチャの成り具合を見て、次ぎは花豆、となる。トマトやキュウリは毎日収穫して食卓に。この日気付いたことは花豆が早出来上がっている。茶色に変色した花豆は採り込まないと、いかん。雨露に放置すると芽を出すからだ。
8日早朝から豆の収穫を始める。杖の最上段では花が咲いているのに、下段、中段には出来上がった豆が。次、次と収穫の楽しみがやって来る。
カボチャの話をすると、初めの頃に実を付けた2個がすっかり野鼠の食糧に、そして後から成ったのが6個ほど大きくなっている。
最終的には霜が降る頃にならないと実りの結果は分からない。
10年9月3日記
農作業の安全を
ベリー摘みも先週で終った。振り返ると、8月中はベリーに係りきりだった。9月からは気持ちを一新して菜園とベリー園の草刈りなど来年に備えなくては。もちろんベリー園の拡張工事もしなくては。
野菜の収穫はジャガイモ、人参、大根、花豆等などこれからだ。とにかくブルーベリーだけは収穫を終えた。総収量は昨年の3.5kg、一昨年の35kgを超えて
103kgでした。
この内30kgほどは他人の手によったが、残りは自分の手で収穫した。時には3時間も4時間もかけて摘み取り、あと水洗いして冷凍庫に。そして方々に宅配した。ストック用の冷凍庫がなかったから。
春先からどのように実を結ぶのか気になったが、めでたしめでたしで終える事が出来た。
ベリー園をどのように管理するかは何も分かっていないので、素人なりに出来栄えを確かめなくては、と思っている。
秋が近づいて、何時も気に係るのは馬の捕獲作業、市場に出す馬を捕獲しなくてはならぬ。これが大きな負担になりつつある。
農作業の順序から言うと、先ずは草刈り、ベリー園のフエンス張り、そして馬の捕獲、そして野菜の収穫。西牧場は仕事が一杯です。
菜園の管理は何時も一人でやってきた。何時もは駅前市街に居たエーコさんに何かと話した。が今秋はその話し相手が居ない。例年とは何かが違う。怪我をしないようにしよう。
9月1日、午後4時、ブルーベリー園で今年3回目の除草作業を完了、来年に備える。
10年8月27日記
援軍来る
11日にベリー摘みに来てくれた、釧路の友人がベリー園拡張の援軍で21日再度西牧場に。前にも書きましたが、ベリー園の拡張は鹿害の防護フエンスの杭打ちから始めなくてはなりません。鉄製杭の提供と杭打ちの作業をするべくの訪問です。
21日はよく働いた。10時から仕事を始めて12時から13時は昼食休憩。13時から18時までベリー園拡張の杭打ち作業、最後はベリー摘み。杭打ちの援軍(2人組)が帰ったのは日が暮れてから。
お陰で30本の杭を打ち120本のベリーの移植が可能な面積を囲うことができた。
近い週にもう一度援軍が来てくれる。フェンスとバラセン(有刺鉄線)を揃えたらって事です。ベリー園の面積は略2倍に、で5年後の収穫を見込んでの計画です。
賞味期限を75歳と宣言して、見果てぬ夢に投資です。誰かがこの園を引き継いでくれる。そう思うとやる気満々です。
ベリーの収穫は今週で終わるでしょう。8月1日から毎日、25日まで摘まない日はなかった。
総括は9月にしましょう。
10年8月20日記
ひたすらベリー摘み
14、15日時間にして2時間から2時間半、毎日摘みとらないと摘みとりの旬を失う。だから今週は連日ベリー摘みをする。
台風4号は南の海上を東に去ったので風害もなかった。
16日、ピカピカの晴天。午前中1.5kg。午後夕刻1kgを摘んで本日のベリー摘みを終わる。明日はベリー摘みのお客さんが来る予定。残り僅かのベリーの実。喜んでもらえるかどうか。あと100株はベリーを増やさないと、そう思う。
17日、11時頃大人三人、2歳くらいの子供二人が西牧場に。約1時間居て帰られた。半分は摘み残したので、夕刻今日の分を摘みとった。正直、もう摘み取りは充分味わった。だが、摘み取り作業は毎日続けないと。
18日、19日、実の熟す量は峠を越したが、それでも2kg位は熟す。ベリー酒を造ったり、ジャムを作ったりしないと、収穫物の収拾が付かない。こんなに採れるとは。
実は春先に少し大きめの冷凍庫が故障して、現在使用の冷凍庫は3分の1の容量。冷凍保存が利かない。
末生りで、収穫も今週で終るだろうがな。
10年8月13日
べりーの成り具合は上々
9日べりー6.5kg。午前中ベリー摘み、延べ4時間ほど。ああ疲れた。でも8日とは打って変って涼しい。7日、8日の暑さには参った。この両日はとりで会館に宿泊しているお客さんに摘み採りをしてもらった。こちらはその分助かった。
10日は町内の友人に連絡して、正午まで2時間ほど摘んでもらった。明日は釧路の友人に連絡したら来てくれると言う。
今週中がブルーベリー園の摘み採りの最適時、と思う。
11日、釧路の友人が雨の中、西牧場に来てくれる。ベリー摘みです。この日の収量、約6kg。今夏は豊作です。
秋になって初めて菜園の出来不出来が言えるのですが、中間報告は先ず先ず。このまま順調に過ぎますように。
ブルーベリーは園を拡張しても、1年、2年でおいそれとベリーの収穫は出来ない。5年は最低かかる。でも拡張を試みない限り株数は増えない。こちとら賞味期限は後3年に迫っているが来春は株を増やそう。そんな思いにさせてくれる今夏の豊作。
12日、5時からベリーを摘み始めて、休み休み終ったのが11時半頃。収穫約7kg。今週で収穫も峠を越して来週で採り尽くすだろう。
台風4号が近づくがベリー園の被害は出ないだろうと楽観している。花豆の風害に注意しないと。
花豆はこれからなので、少し心配。この豆は本州の友人が楽しみにしていてくれるので、上手く育って欲しい。頑張れ花豆。
10年8月6日記
ベリー園その後
31日、ベリー0.8Kg収穫、所要時間45分。
今の時期川瀬牧場は虻が全盛の季節です。彼らが毎年毎年どのようにして子孫を残しているか、そのメカニズムは知らない。が盆踊りの前にはグーン!!と数が増えて、外で仕事していると、集って来る。仕事は朝早くか夕刻に限る。半袖シャツで仕事などありえない。
馬たちも虻の来襲を避けて入り口をカーテンで遮った馬小屋に昼間は退避する。馬小屋にいない時は林の中の暗い所に一団になって時を過す。
だから演習場の中も虻の襲来で大変だろう、と思う。
1日、ベリー1.6Kg収穫、所要時間90分。悲鳴とまでは行かぬが、丸まった姿勢で背中が痛む。休憩を入れなくては。当分は連日実が熟す。
2日収穫1kg。夕刻大根畝の除草と間引きを実施。雑草も大根と同じ背丈に。毎度のことだが携帯ラジオの良いのを持っていると、農作業をしながら国会中継を聞けるのだが。そうすると仕事をしながら最新の情報を入手できる。
今は熱中症が騒がれている。暑い日中は屋内で休むのも好い。虻と熱中症を避けて当分は無理をしないことにしよう。
3日、ベリー収穫1.8kg、所要時間90分。中で休憩をしないと背中が痛くなる。夕刻大根とジャガイモの畝で除草をする。やはり除草作業がベリー園でもだが、今夏は上手く出来ていない。
4日、6時から1時間ベリーを摘む。1kgの収穫。
5日、予約の友人がベリー狩りをキャンセル。日中にベリーの収穫。2.8kg。疲れた。当分は続きそう。嬉しい悲鳴。
熱中症には要注意。
10年7月30日記
馬の冬餌準備完了
27日午後3時頃、大きな音をたてて大型トラクターに引かれたワゴン車が西牧場に。ワゴン車には乾草が満載です。酪農家のSさんが冬用の馬の餌を運んできてくれたのだ。
朝8時から11時までブルーベリーの根元の除草、施肥をし、午後も1時から3時まで同じ作業をしていたら、乾草が運ばれてきた。1時間ほどで倉庫入れをすませて、本日の作業は終了。先ずは冬用の餌、餌倉庫に納まった。Sさん有難う。
今の季節、屋外で仕事すると玉の汗が吹き出る。内地では熱中症で亡くなる高齢者が多い。高齢者の仲間入りをしている私も要注意。
ブルーベリーは残り10本ほどが根元の除草と施肥作業が残っている。なのに喜んで好いのか、困ったことに実が濃紺色に何本かの木が色付き始めた。
だから、もう28日からは採り始めなくては。これは忙しくなる。盆踊りには収穫していた年もあった。決して早すぎはしない。
乾草を運んでくれたSさんには帰り際に、カリフラワーやブロッコリーやセロリ等を適当に採って、持ち帰ってもらった。一人では食べきらない我が菜園の収穫物。
最も近い東牧場のWさん、他所から頂いて野菜は間に合ってるとか。沢山採れると駅前の友人宅にでも運ぼうか。
キュウリ、大根の間引き、等これからは余る。夏場は何処も野菜で溢れている。都会暮らしの人にとっては、全て金がなくては手に入らない野菜なのだが。
28日、朝一番の仕事はベリーの見回りから。30分で250gm採取する。これがこれから日々続くだろう。昨年は全収穫たったの3kgだったブルーベリー、今夏はどこまで伸びるか。
10年7月23日記
熱中症に気をつけねば
今日17日は農作業を何もせず。が見回りだけはした。カボチャが4個ほど実を付けた。大きくなるかどうかはこれからの話。受粉に成功したかどうかは後数日経ないと。昨年は受粉に失敗したのか実の成りが半数だった。今年は人工授粉でも仕掛けてやる積り。だから毎日見回りが必須。
18日、カボチャ3株で3個の実がなっている。さてこのまま大きくなるかどうか。トマトはミニトマトを20個ほど収穫した。
19日、温室内では新たに蒔いたキュウリ、18株が双葉に生長した。
20日、ブルーベリーの根元に枯れ草を積む。残りは半分、60株はあろうか。熱中症にかからないように注意しないと。日が照り付けると、軽作業でも玉の汗が出る。
21日、5月初旬に蒔いたキュウリ、夕刻に初収穫する。今日からは自前のキュウリで間に合う。
夕食にはキュウリもみを作り、料理はその一品のみで。酒を飲まない日はこれだけで充分。とは言えお粗末だと思う食生活。
22日、雨模様。カボチャ、3個の雌花が咲く。現在実が大きくなっているのは2個のみ。受粉の状況がよくない。人口受粉も上手く行っていない。蜂の飛行に全てをお任せしよう。
残る除草作業は人参の4畝。露地に蒔いた大根2畝。これは間引きが必要な時期に。親指大に成長した。もう野菜をスーパーで買い求めることはない。
人参と大根の間引き作業が当分の課題。熱中症に気をつけながら。
10年7月16日記
今日も草刈り
13日8時から外に出て先ずは温室内を見て、次いでカボチャを見て、その次はキャベツの虫の付き具合を。青虫の被害はなし。蝶が子孫を残す為にキャベツに産卵して青虫に成ったところで除去をする。ブロッコリーが被害を受けていたので青虫を除去した。除去では今一見えない、実は親指と人指し指による圧殺だ。
その次はジャガイモの土寄せを。殆ど終ったが、雨の重みで伸びた茎が倒壊した。月曜日の土砂降りで60cmほどに良く育ったのが3畝で倒壊。例年だが3日もすると持ち直して上方に茎が立ち上がる。
9時半からブルーベリー園の草刈りを。草刈り機で2時間ほど。園の面積の6割方を午前中に終える。午後は2時から4時半まで草刈りと温室内の整理を。8日に蒔いたキュウリ、はや芽を出した。
温室内、4分の1を小松菜に占拠されていたが、13日、キュウリ用に整地した。少し堆肥を持ち込んで地力を増やしてやらなくては。小松菜の後にキュウリを移植しよう。
露地野菜の生育も早いけれど、雑草の生育も早い。もう一度草刈りをしなくてはならないかも。
家の周りの草刈りもやらなくては。1カ月もしない間に盆踊りが迫っている。札幌の友人が8月3日から「とりで会館」に泊まりたいと電話があった。
7月18、19日の連休にお客さんが見えそうだし、25日には岩手のお客さんも見える。西牧場は忙しくなりそう。
これは菜園?雑草園?、と訊かれる事のないよう、除草を確りしておかないと。
今週も、草刈りに全力投球です。
10年7月09日記
草刈りの繰り返し
4日午前中にブルーベリー園の2回目の草刈りを終える。樹幹根元えの堆肥の施肥は不十分なので、この仕事はこれからの課題。
課題といえば、園の拡大がある。青写真は出来ているが、未だ手がつかない。今の園の南側に倍の面積で拡大する計画です。暇を見つけて、凍てつきが始る11月までが今夏の作業日程。
西牧場の菜園はフエンスで囲まないといけない。先ずは鹿害から守るフェンスの設置作業から。
草刈り作業をするだけで大粒の汗が流れる。ジャガイモも早いのは花を咲かせた。遅まきのものは未だ土寄せも終らない、背丈は精々20cm。これが3畝残っている。
紫花豆の花が地上30cmほどで蕾を見せて、背丈は私より高くなった。
だから今は毎朝が楽しみです。どれだけ成長したか、外気温が20℃を超えるとその成長は凄まじい。
今日は5日、朝から快晴の天気。終ったと思ってたブルーベリー園の草刈り、残り10本があった。それを午前中にやる。
6日は朝から曇天。人参の除草作業を始める。午前中2畝、午後2畝、夕刻4時半これも今日で完了する。膝を曲げて座った姿勢で4時間は身体にきつい。単純作業なのだが。
7日、カボチャの周りの草刈りをする。今年は5株で幾つのカボチャを収穫できるやら。あと5株は充分に植えられたのに。
8日、朝からと言っても8時半から温室内にキュウリの種を20粒ほど蒔く。秋口に食べるキュウリだ。今までこんな事をしたことは無い。上手く行くかどうか。
ブルーベリー園の草刈りが待っている。草刈りの繰り返し。
10年7月02日記
熱中症に注意を
25日午前中ジャガイモの土寄せをほぼ終る。天気もからっとした、梅雨明けの感じに。でも花豆、温室内の手入れは未だ。
26日は午前10時頃から残り土寄せと除草作業をする。1カ月前は冬の装束で今は夏真っ盛り。草取り作業をしたが、じりじりと眼鏡に汗の粒が流れる。2時間足らずで作業は取り止めた。
そして午後は休んだ。夕刻のニュースで隣町で農作業していた人が熱中症で亡くなったと。私も何度か目まいをしたので、さっと引き上げた。暑い土曜日でした。
27日、朝の涼しい内に2時間かけて花豆と人参の畝の除草をする。夕刻にも1時間ほど。残りは花豆の2畝になった。28日には終るだろう。
28日、6時から8時まで花豆の除草を。次いでキャベツやブロッコリーの除草も。カボチャと温室内を除いて一通り除草は終った。
ブルーベリーは早草が伸びて、二度目の草刈りをしなくてはいかん。何とも忙しいことよ。
ベリーの実は鈴なり。このまま行くと豊作間違いなし。酪農家にベリーの皮算用の話をしたら、それがないと農業はやれない、よとのたまわれた。
そうなんだ、皮算用して当たり前なんだと。とにかく今夏はブルーベリーの生育が楽しみです。
ジャガイモの土寄せ、どうするれば沢山の芋が付くのか、土寄せ方にも興味がつきない。今年は幹の周りにびっしり土が行く届くように土寄せを、その分時間もかかる。
1年に一度の収穫、上手く行きますように。皮算用ばかりです。
10年6月25日記
ようやく夏らしく
除草作業におおわらわ。17日にジャガイモを3畝に植えた。未だカボチャは温室内。(19日)
20日朝、5株のカボチャを露地に移植する。
21日からはジャガイモの土寄せだ。大きく伸びたのは30cmにもなった。放置はできない。それに雑草も伸びるのが早い。除草と土寄せを同時にする。
確か14日に蒔いた大根、人参が19日には芽を出した。気温が上がると成長が早い。温室の中ではトマトがピンポン玉の大きさになっているし、成長の遅かったキュウリも20cmほどに背丈を伸ばした。寸暇を惜しんで手立てをしてやらねば。(21日)
22日午前中と午後3時半から1時間ほどジャガイモの除草と土寄せ作業をする。久しぶりに青空が見えて作業をすると汗だく。
23日、ジャガイモの除草と土寄せを急がなくては。芽を出さない芋と土寄せが急がれる芋。海兵隊の監視とお客さんの応対で野菜たちも少し調子を狂わせているかも。
何も慌てることはない、3日もすれば上手く行くだろう。天気の方は梅雨のようで、からりとしない。が雨が降らない間は除草と土寄せを頑張る。
ブルーベリーは花が半分散ってしまった。これも2回目の除草が望まれる。除草した枯れ草を根元に積んでやると肥料として良いことは以前新聞で目にしたことがある。
草刈り、草刈りの続く西牧場です。忘れてた、温室内も手を加えないと。ああ忙しい初夏の矢臼別。
10年6月18日記
遅れを取り戻した菜園
11日午前中、3時間をかけてブルーベリー園の草刈りをする。といっても果樹の周りのみ。花が草に隠れる程に伸びたから。釣鐘のように咲いた花が草に隠れてはいけない。
このまま行くと豊作。花の咲き具合が昨夏とは違う。早狸の皮算用をしているが。まあ楽しみです。
12日早朝は霧。昼間は快晴。釧路、標茶、函館から蕨採りのお客さんが11人ほど。昼食は水楢の日陰で輪になって。お客さんたちは昼食後夫々に蕨を採って帰られた。
私は午後も一時草刈りをし、2時半にはベリー園の草刈りを終えた。実にすがすがしい1日でした。
13日快晴の天候。午前中10時から1時間半、午後は30分ほどかけて草の生えた畝に耕運機を走らせる。これで種蒔きは何時でも可能。午後は暑いので休むことに。
14日、早朝曇り空。人参を4畝、大根を2畝に種蒔きをする。所要時間1時間半。これで残る畝は3畝。ジャガイモを追加植え付けすることに。後残るは温室からのカボチャの移植だ。これで今夏の作付けは終る。小豆を植えたかったが今夏は諦める。
温室内の手入れが少し遅れているがこれも今から精を出すことにしよう。温室は秋遅くまで管理を上手くすれば夏物を作れるから。
監視行動で2週間は遅れたけれど生活に悪影響は無い。
ジャガイモとカボチャの移植を2、3日の内に終えれば万々歳。
後は雑草を作っているのかい、と言われないように除草作業を怠らないこと。
10年6月11日記
さあ種蒔きだ
監視行動が終ったので残る9日からの週末は草刈り、種蒔き等に全力投入です。花豆は97%は芽を出した。それに眠り込んでいたジャガイモ、所々で芽を出している。9畝ほど残していた種の蒔いていない畝、雑草が所狭しと、満杯になりそう。面倒だが、あと1時間ほど耕運機を使えば更地で又蘇る。少し耕運機を持ち込むのが面倒だが、機械に頼ることにしよう。
その内に選挙の仕事も舞い込むだろう。ビラ撒き、看板立て等自分に出来ることはやらなくては。
6月5日朝、玄関先の柵の周りにポニー7頭が姿を見せているのにサビタ号の顔が見えない。慌てて柵の外に出て、辺りを見渡す。と乾草置き場にたたずむサビタ、その側らに寝そべる、サビタのこっこ。側に寄ると立ち上がった。直ぐ乳を飲む。これで余程のことがない限り、元気に育つ。
腹の張り具合が小さくて流産と思い込んだ時もあったサビタ、これで私も少しは元気が出る。何時もならエーコさんに第一報だが、今回は監視テントの仲間に話した。
今日は9日、海兵隊射撃監視チームは昨夜、解いた。本日からは主な仕事は農業です。野菜を育て雑草は除去する。
生業に精を出す、そうしないと信用をなくす話を監視テントの閑談で聞いた。西牧場も早く態勢を立て直さなくては、10日の遅れを取り戻そう。
監視行動の2週間で川瀬牧場周辺は新緑に包まれた。ようやく初夏らしく。先ずは大根と人参の種蒔きを。
9日、10日は花豆の杖立て、ブルーベリー園の草刈りを始めた。
10年6月4日記
のんびり農業
畑作業は監視中は休業。
5月31日、待ちに待ったカッコウの鳴声、朝4時半に聞く。昨年の初鳴きは25日だった。しかし昨夜は霜予想が出て温室内には電熱器を準備した。使うこともなく朝を迎えたが。
花豆の芽出しを毎朝見ている。が今朝も芽出しは確認できなかった。
6月1日朝早く花豆の畝を見て回る。約千粒の内2、3の発芽を見つける。これなら順調に芽を出すのでは。ようやく冬の気温から春の気温になりつつある。
それにしてもこれだけ不順だと先が思いやられる。
海兵隊の監視は9日まで、10日からは残っている10畝に種蒔きだ。
今年はブルーベリーの花芽を毎日観察している。今のところ花芽は育っている。そう思って、ブルーベリーへの期待は大きい。
ジャガイモの芽出しも遅い。1週間の天気予報でお日様マークが続くのでこれからはぐんぐん芽を出してくれると、これも期待ばかり。
菜園とフェンスの間の通り道、巾約2mの牧草があって、伸びるのが早い。勿論ベリー園の中も牧草が伸び放題。これもあっと言う間に20cmから30cmに。監視行動が終ったら種蒔きと草刈りで忙しくなるだろう。
健康管理に留意してこれらを10日以降に順序良くこなさなくては。矢臼別の他人のふんどし農業、結構楽しんでいます。のんびり行こう、、っと。
10年5月28日記
ツツドリ鳴く
16日だったと思う、ツツドリがポッポー!ポッポー!と鳴声を聞かせてくれた。ジュビ、ジュビ、ジュビ、を繰り返して飛ぶオウジシギ。
ホーホケキョ、を繰り返す鶯。簡単に真似鳴き声もかけない小鳥の声、声。姿は見せるが鳴かないカッコウ。
矢臼別の原野は賑やかになった。人参や大根は未だ植え付けを終えないまま、27日が過ぎようとしている。
蒔きもしないのに,人参や大根用に残した耕運済みの畝に野草が新芽を出している。花豆だけは思い切って今夏も15日に種を蒔いた。2週近く過ぎるのに未だ芽を出さない。低音が影響か。
桜は昨日24日に満開、私が名付けたクイーン桜も25日に満開になった。
生憎の雨で満開が台無しです。一人だけの花見を考えていたのに、それも今夏は見送った。待ち望むカッコウの初鳴きは何時のことやら。連日の低音続きでは、未だ先のよう。
1週間予報だと28日までは雨模様、雨続きと低音の関係で花豆の発芽も遅れている。残る大根、人参などのも、種蒔きは先に延びる。
監視行動の合間に種蒔きとは。何とも忙しい今夏の農作業。どちらを主にしようか?。監視行動かな。10日遅れで大根、人参が収穫できない、そんなことはあるまい。
監視の面々が多ければ、2時間ほど休みを取って種蒔きをすれば良い。監視の面々が少ない時は監視テントに座る。
カッコウが鳴いたら種を蒔く。それで今夏は行こう。
気楽な矢臼別農業。
10年5月21日記
16日にも東牧場へ
馬たちは東牧場の草を食べに行く。16日朝、Wさんから電話が、又越境です。午前10時過ぎだったか。平和池のゲートは開いたまま。おそらくこの日の越境は平和池のゲートを越して行ったのだろう。前日に西牧場にお客さんがあって。何らかの理由でゲートが開いたままに、そこに馬たちが通りかかった。ゲートが開いていたので東牧場に入った。
後一つ平和池のゲートが閉じていても東牧場に行ける道は三股ゲートと風連橋ゲートの開放があると、茶内線を歩いて東牧場に通じる。上記二つのゲートは5月8日から18日、開いたままだった。
だから馬たちは西牧場から北へ1.5km歩くと風連橋ゲートに達し、風連橋を渡らず茶内線を1.7km南に下ると東牧場に入る。
この道を覚えたようです。でもWさんの設けた牛の電気牧柵を壊すのが問題。でこの北ルートからの越境を食い止めないといけない。次々と課題が重なる今夏です。
作付けの方は順調に消化している。ジャガイモは11畝を植えつけた。花豆も1000粒は蒔いた。残るは10畝。大根、人参、等を蒔けばパチンコじゃないけど今夏の予定玉は終了だ。
馬たち8頭は病気もなく順調に餌を食んではいるが、越境問題を解決しないといけん。それに菜園の拡張問題これも今夏の課題です。
菜園を拡張するには鹿の侵入を防ぐ金網の張巡らしから。13年前には簡単に出来たことが、今は少しおっくう。
実はブルーベリー園の拡張だが、園拡張は金網フェンスの設置からです。矢臼別での農園は野生動物からの防護無しにはありえない。本の少し厄介なのです。
フェンスで囲わないと鹿や兎の菜園になってしまう。ははは。
10年5月14日記
馬が東牧場に
5月10日8時過ぎ、東のWさんから電話が。ポニーたちが東牧場に居るという。平和池から東側、東牧場に行かないようにゲートを設けている。なのに、越して行った? 朝ご飯は未だだったが、見に行く。と全8頭が東牧場の広場に居る。
ゲートはちゃんと閉まっている。何時ゲートを通過して行ったのか。町道の茶内線にも足跡が。どの辺りまで行ったかを調べるに、上風連橋の袂まで。橋の袂から東牧場に向かう足跡ばかり。
馬達は土曜、日曜と東に居た気配。何時どのようにして平和池のゲートを越して行ったのか?、何時も車がゲートを通過したら閉めていたのに。
5月11日午前10時半頃、ジャガイモを植えていたら、郵便さんが、馬が東に居ると言う。昨日馬が東牧場に越境した話しをしておいたので教えてくれた。平和池のゲートは閉まっていたと言う。
何十年も居て、西から東へは平和池のゲートを経て通行する。これが私の常識でした。今年は違う。馬たちは東へ行く別の道を覚えたらしい。馬たち、例年なら西牧場から西方へも出てゆくのに、今年は牧場西側の囲い込みが厳しくて、西には出てゆけない。
それで今夏は東方向への道を馬たちは探ったのかも。川瀬さんの馬たちもそうだったが、美味い餌を求める事に懸けては抜群の感覚を持っている。
馬の東牧場への越境、牛用の電気牧柵を壊すので困る。何とかしなくては。
ジャガイモの植え付けが、あと少し。昨年の花豆の植え付けは14日。昨年並みに種下しは出来るが、遅霜の不安を払拭できるかどうか。天気予報を見極めないと。
10年5月7日記
温室内は満杯
2日午前中、温室にトマト、茄子夫々10株を移植する。3日01時頃、外気温2℃、降霜が心配で室内加温の為に電熱器を据え付ける。台所で使っている蚊取り線香型の電熱器だ。
4時半頃、温度計が0度に近づいたので温室に入ると、セットした電熱器のお陰で1.5℃を保っている。
昨年は移植したトマトを何株か谷地ネズミに食い倒された。それで今年は殺鼠剤を撒いて齧り害の予防線を張った。
3日、未だ太陽は昇っていなかったが、鶯の初鳴きをきいた。啄木鳥はドラミングを盛んに。
2日には露地にジャガイモを1畝植えた。親の泣きたくなるような小粒の芋だったけれど、メークインをまとめて。この後、3日はキタアカリ100個を、1畝に。4日も100個を1畝に植えた。男爵、紅玉、等が屋内の室にあって。ジャガイモには、この後7畝を準備している。
6日、7日は雨天の予想が。キャベツやブロッコリーの移植は5日夕刻が最適。苗は温室内に待機中。
ゴールデンウイークは畑作業でてんてこ舞い。これは少し大げさ、精々3時間の農作業です。遊びのような農作業。
川瀬さんが健在なら軽トラックで基地散歩が組まれていたのだが。もうそれは無い。出来ない分、どのように演習場が変化していくのか、それは分からない。
ま!今の時期、しっかり農作業に専念しよう。
10年4月30日記
耕運機を使う
26日、27日の2日間で畑に耕運機をかける。26日は北よりの風が強くてドングリの落ち葉が飛び回ったけれど、27日は快晴で無風、最高の農作業日でした。毎年のように26畝に三度耕耘機をかけて空気鋤き込んだり、堆肥を鋤き込んだり。1日3時間、2日で約6時間の作業です。
これで今夏の土作りは終了です。
後は花豆、大根、ジャガイモ、キャベツ、ブロッコリー等々を、晩霜を避けて如何に早く種蒔きをするか。これが収穫の決め手になる。昨年は花豆で上手くやった。10日も早く蒔いたが霜にやれることもなく、秋に収穫した。
温室の中の話だが、3日に蒔いたキュウリ、19株芽を出したが27日現在全滅した。霜害で枯れてしまった。で26日新規蒔き直しでキュウリを再度蒔いた。
露地ものでは失敗は禁物、5月露地の種蒔きは慎重にやらなくては。
思ったとおりに作業は順調です。後は種蒔きを如何に早くして、霜を避けるか、キュウリの失敗はしたくない。
馬はサビタ号が1時間ほど群から遅れて顔を見せず、又原野で倒れたか?と心配した。が、元気な顔を見せてくれた。腹も小さくなって今年は子馬の出産はゼロだろう。
21日の降雪の日にサビタは流産したのでは?と思っている。馬の飼い主としては頼りない話だが。それだけに1時間も群から遅れて牧場に帰ると何か事故が?っと考えてしまう。
妊娠問題はどうでも良い、サビタさえ居てくれれば。子供は来年生まれるさ。天候は不順だけど、農作業は順調です。
10年4月23日記
温室が稼動する
3日に蒔いた小松菜が10日芽を出し。キュウリは17日芽を出した。街に出ると年中、季節に関係なしに何でも手に入る時代。でもここに居ると自分で作ってみたくなる。
温室内にはネギに韮もあって間もなく収穫できるほど新芽を出した。
先日川瀬牧場に1.7kmの茶内線で路肩に福寿草が咲いているのを見つけた。今年は旬を外さないようにアイヌネギを採りに行かねば。自宅から400mほど南に川幅1mほどの小川があって、ここは西牧場のネギの穴場です。
雪解けが進むと西牧場も忙しくなる。先週の金曜日からスノーモービルは車庫に納めた。路面に雪が無くなったから。これからは自家用車の出番だ。
今月の大きな課題は堆肥の菜園への搬入と耕運。これを今月中に、種蒔きを5月上旬に終える事が出来たら、上出来です。
軽トラック、耕運機の整備が順調であれば良いのだが。このようなことをしながら西牧場の春が動き出す。
昨年の道路の整備が良くて、半月早く車が西牧場に入った。少しずつ農作業を始めることとしよう。
4月19日午前中、昨秋持ち込んでいた堆肥を菜園に散布。夕刻駅前に出た。農協の野菜売り場でキャベツが一玉320円、高い値段がついていた。高くてもその内に買わなくてはなるまい。
キャベツも自家製の苗を植えようか。忙しくなる。
10年4月16日記
12日菜園の雪解ける
未だ車が菜園の中を走れる状態では無い。しかし雪は全部解けた。早く堆肥を持ち込んで、今月中に堆肥を散布、耕運を実施することだ。
ブルーベリーの方は未だ雪が少し残っている。やはり灰を撒いたか、どうかで雪解け速度が異なる。今年の新芽の残り具合を調べた。昨年は8割方前年に出た新芽をネズミの齧り害で食べられていた。しかし今年は110本ほどの株数で、齧り害の見られる株は僅か2本。これで秋の収穫を話すのは早すぎだが、昨春とは違って若芽が100%近く残っている。だから、期待が持てそう。
馬たちには新たに乾草を出さないで2週間が過ぎようとしている。笹が顔を出しているので乾草のロールは出さなくとも飢える事は無い。今冬は〆て10ロールで終りそう。
温室内では1週間を経て小松菜が芽を出した。キュウリは未だ動きが見えない。その内に芽を出すだろうが。
雪が目に見えて消えた。その分井戸の水深も増えた。14日現在、111cmになった。もう水の心配はせずにすむ。
餌置き場からの堆肥の運搬が4月中の課題です。毎年欠かしたことのない農作業だ。化学肥料ゼロの西牧場の習しは続けたい。その為に馬を飼ったんだから。
今年の出産はサビタ号1頭のみ。カエデ号は何時流産したのか、知らない内に。1月頃までは明らかに腹は膨らんでいたのに。
こんなことも初めての経験。色んなのことがあるもんだ。
10年4月09日記
3日キュウリの種を蒔く
と言っても温室の中での話。これが大きくなって何時の日に自家製のキュウリとして食卓に上ることか。
未だ菜園の露地は本の一部が地面を見せただけで雪が20cm以上残っていて作業どころではない。
これは私の感です、どうも地上からの雪解け水の地下浸透が遅れているのでは?と思う節がある。訳は井戸の水深が思うように増えないことから。昨年などは水深が130cmもあったのに、今年は未だ60cmです。
温室の中で分かったこと、昨秋の小松菜から落ちた種が4、5本、芽を出していた。が今は耕運が必要とスコップで上下を返して枯れ草や空気を鋤き込んだ。だから己ばえは可哀相に地下に戻された。鋤を入れた後、取って置いた、秋の種を2坪ほどに蒔いた。この小松菜が食卓に最初に上がる自家野菜になるでしょう。
馬の餌は乾草を秋から〆て10ロールを出した。そしてもう元の姿は無い。食べ残しが半ロール分ほどか。この後1ロールを出そか出そまいか、4月に入ってから思案中なのです。
雪も浅くなって馬達は餌場から離れて林の中にも足を踏み入れている。美味そうな新しい乾草を出す、が雪解けが早く林の笹に向かう。思案のしどころです。
7日朝は7cmの積雪。あちこちに見えていた秋の枯れ草が雪の下に。8日朝、乾草が無くなったからか、笹の方が顔を出したからか、乾草置き場はもぬけの殻。
雪が解けたら、忙しくなる。その時に備えて体調を整えよう。
10年4月02日記
暑さ寒さも彼岸まで
北の国でもこの言葉はよく言い得て、日が長くなるだけでなく空気も緩んでくる。春の彼岸はぐんぐんと雪を解かす。
ビニールハウスの中、南側の出入り口は半壊の状態だが、晴れた日には50℃を優に超える。朝早くは氷点下に下がるが、早く整地をして種を蒔くと美味しい野菜が食べられる。
グータラ生活から早く切り替え、15坪の畑地作りを。昨秋の収穫後がそのままだから。
30日は午前10時から、出入り口のビニール張替え、キュウリ、トマト等の枯れ枝を外に出し、耕運の準備をする。
曇天でも温室内は気温30℃くらいに。夜間少し加熱してやればもう夏野菜は育つ。今年は少しは自力で苗も作ってみようか。温室内にバケツ1杯の灰が残っていて、それは露地に撒いた。
31日、4月1日の2日で温室の耕運を完了した。
昨秋、馬糞を菜園内に持ち込んでいないので5月は忙しい。霜にうたれないように、種を早く蒔く。これが収穫を多くする秘訣だが、我が菜園はそこまで考えなくとも良いだろう。それに生活が懸かっている訳でもないから。
でも色んなことを試したい気持ちはある。昨年はブルーベリー園が散々だった。毎年行っていた殺鼠剤の散布をしなかったばかりに新芽を食い荒されて、それが為に、と考えている。
さて今年は殺鼠剤は撒いた。が、どういう結果が出ることやら。もう今秋の応えは出ているかも知れない。
とにかく西牧場の菜園、動き出した。今夏も頑張ろう。
10年3月26日記
未だ雪が40cmも
先週、薪ストーブから取り出した灰、トタンのバケツ1杯を菜園に撒いた。何時もなら2、3杯を撒くところだが、手抜きの灰撒きになってしまった。
が、この作業の効果は抜群で、菜園はすり鉢のように雪嵩が下がっている。西牧場の野菜苗は毎夏、他所から貰ったトマト、ブロッコリー、ピーマン、茄子、カボチャ、キャベツ、カリフラワー等々、頂き物ばかり。
舟三の菜園は「他力本願菜園」と毎夏、冷やかしたエーコさん、今夏はもう居ない。今年も苗の予約を早く入れておかなくては。
自ら種を下すのは、花豆、大根、人参、ジャガイモ等でこれらは昨年並みに植えつける予定でいる。
ブルーベリーの増稙は菜園からでる剪定で出た株を移植することで賄い、新苗は買わないで、と考えている。
温室の中は昨年秋の枯れたままの姿で。今週はこの温室の整地をしなくては。
何かの度にエーコさんが脳裏に浮かんで、それ以後の行動を規制される。けれど今夏も菜園を賑やかにしよう。そんな気持ちになってきた。
雪の深い所は60cmもあって4月中は雪の菜園だろうけど。
10年3月19日記
彼岸がそこまで
後2日で春分の日だ。雪が未だ60cmも積もっていて地面が顔を出すのは30日も先か。
とは言え昼間は気温がプラスになって雪解けは早い。
太陽も北半球の上空に懸かって、日照時間も多くなる。川瀬さんとはよく話したことだが、太陽の位置によって気持ちがグーン、と変わる。
12月の冬至が過ぎると、さあ太陽はこちら、北に向かった、と。寒さはその日から益々厳しくなるが、長年北の国で暮らしてその様に思って暮らしたのでしょう。生まれは南の岐阜ですから。
私も太陽が今、天球上の何処に位置しているかで、気分が変わるタイプです。冬至からは北向きに動き出す。すると何だか気分が安らぐ。春分からはいよいよ天頂に近づく訳で暖かさを感じる。
逆に夏至が過ぎるとお天道様は南に帰られるかと、何だか寂しくなる。毎年これを繰り返して農作業をしている。
今春と言うか今夏と言うか、西牧場の菜園はどんな具合に展開するのか、未だ何も具体化していない。例年通りに野菜作りをしたいとは思っているが。
今年もジャガイモ、大根、花豆、キャベツ、カボチャ、ブロッコリー、そして温室でのキューリ、トマトなど。お決まりの畑作だ。
先週も書いたとおり、ブルーベリーの増植の件だ。本当は昨秋に増やす園を造っておくべきだった。移植の後で鹿害を防ぐフェンス作りでは上手く無い。
そんな事を今、漸く考えている。少しテンポが遅れている農民の頭。頑張らなくては、でも無理をしないで造園計画は遅らせるか。
10年3月12日記
5日、10、11日雪模様
5日朝の暗い時間から雪が降って、30cmは優に積もった。この日は福祉牛乳の給付日で、それに合わせて1週間の食糧も用足し。
東牧場に向かったのは午後1時半頃。未だ除雪車は走ってなかったけれど、東牧場に車が入っていて4輪駆動にするとどうにか駅前まで走れた。午後は降雪が少なく夕刻には止んだ。
モービルのお陰で、今年は東牧場への行き来は楽ちんです。交通では楽ちんだけど、馬の餌出しは人力です。3日もしたら乾草がゼロに。除雪作業に加えて、3ロールほど出さなくてはなるまい。今週は乾草出しで一働きしなくては。
7日、午前中1ロールを30分で出す。後2ロール出す予定だったが、取り敢えず1ロールを出してこの日の作業は中止。訳は1本を出すのにフーフー言ったから。
最近は直ぐ体力がないと口にする。言いたくないのだが、体力の衰えは明らか。ボツボツやろうと、延期した。
ここに来て分かった事だが、今夏の出産は1頭かも。空腹は初めてのことだ。1頭の腹、膨れ具合が空に見える。
8日朝居間のカーテンを開けると、温室の屋根に10cmの雪が。金曜、月曜の2日で40cmの降雪が。今日は9日、午前中、乾草1ロールを出して止めた。
ブルーベリーの苗も仕入れなくては。確かな造園計画は出来ていない。けれど、長野県からの苗の買い入れは3月末が期限。しっかり造園も考えなくては。
10、11日の降雪は約30cmで、粉雪だったし風が強かったので温室の除雪はしなくて済んだ。
10年3月5日記
気温が上がると
2月26日は昼間の気温が3℃から5℃に。11時30分頃、東牧場へスノーモービルで出かける。前の日までかなり固まって走り易かった1.4kmの雪道、ゆるんでいることが分かる。注意に注意を重ねて東牧場には無事に。駅前市街で用を足して、夕刻は4時頃に東牧場から西に向かってモービルに乗る。
平和池の側を無事に通過して後はどうにかこうにか。ところが、西牧場でタラブル発生。車庫ではモービルを北向きに止める。それで菜園を時計回りに旋回して南から車庫入りする。150mで車庫の地点で、モービルは傾いて停車。馬の餌場の近くで、徒歩で家にとって帰し、4分の雪堀り作業でモービルは前進可能に。雪の緩みが旋回を阻んだのです。
平和池の隘路でなくてよかった。気温が上がった日は雪の解け具合に注意しないと危ない。
28日は気温が下がって、雪面はコンクリート舗装に。日曜日だったが郵便屋さん、ユウパックを東牧場から徒歩で配達してくれた。中身は故郷・紀州からの秋刀魚の押し寿司。ありがたきかな故郷の親戚です。
一番の感謝はユウパックを配達してくれた郵便屋さんに。ここで頑張れるのは東牧場の「近くの他人様」や周辺の酪農家、それに全国に居てくれる平和公園クラブ会員の方々の励ましです。
矢臼別にも春が近づいている、そんな気配を感じるこの頃です。
モービルでの外出は楽々だけど、雪解けの日は要注意です。
10年2月26日記
屋内作業を
矢臼別平和公園クラブ通信、1月発行予定が延び延びで、1カ月遅れで発行に。22日推敲を経て、23日に8時間掛けて210部を印刷。24日は封筒入れを終えて、全国向け25日発送しました。
封筒入れ作業中、テレビは観ないで、黙々と屋内作業を。途中、午前中に時間を割いてHPで使う菜園の風景撮影もした。今年は1月初旬にどかっと雪が降って、その後大雪は降らないけれど、例年よりは降雪量は多いように思う。
積雪は50ないし60センチはあってブルーベリーは雪の中が多い。昨冬は殺鼠剤の撒き遅れで、鼠に新芽を齧られて3kgの実しか採れなかった。
今冬は一応予定通りに殺鼠剤を木の根元に撒いて、齧り害には手を打った積りです。24日菜園を見て回ったけれど、雪が解けてからでないと齧りの害は分からない。
馬の話をすると、繁殖馬は2頭いて、共にお腹が大きくなってきた。4月、5月には2頭のこっこポニーが生まれるだろう。鶏は現在3羽いて、夏場に卵を産んだが、今は全く産まない。
川瀬西牧場としては何事も無き様で時は過ぎている。けれど、住人の内実は大きな災害が発生中で、今も右往左往しています。
でもクラブ通信の発送で一区切りがつくだろう、そんな思いを膨らませました。
一人で屋内作業に精を出す。何かをしているとトラウマから解き放たれる。態勢を立て直さなくては。早く元気になりますように。
10年2月19日記
草出し作業
雪の降る前に乾草ロールを出さなきゃ。
16日街に出て用足しのあと 、馬飼いの友人宅に寄る。昨年夏からの御無沙汰で突然の訪問でした。
友人の話では今冬の乾草は値段が高くて大変だと。一昨年は確か1ロール4000円で購入したけれど、昨秋の値段は1万5千円とか。これにはびっくり。訪問した友人は大型馬を7頭も飼っていて、1頭が1カ月に1本を食べるという。
我が西牧場のポニー達は12月に7本出して今もそれを食べているのだから食費で考えると、2分の1で済んでいることになる。それに今冬食べさせている乾草は10年も15年も前に牧草地を沢山所有している畜産家から無料で頂いた草ですから、大助かりです。
とは言え今年の秋には来年用に乾草を蓄えなくてはならない。それこそ乾草の値段、高止まりは西牧場にとっても大変です。
雪が消えて青草が芽吹くと馬達は乾草には見向きもしない。だから雪が消えると乾草を餌場に出すこともない、餌代を心配しないで馬を飼える。
いよいよ明日17日は乾草を餌場に出すことにしよう。新しい草を出すと馬達は一度匂いを嗅いだ草は食べようとしない。
食べ残しのないように、新しい草を出さないで我慢する、これが餌出しの奥儀です。
何のことはない、出さなきゃいいのだが。今回は取り合えず2ロールを出した。
10年2月12日記
猛吹雪の7日
久しぶりの地吹雪を観ました。日曜日は外出することが多かったが、年が明けてから未だ日曜外出をしたことが無い。日曜外出は町の将棋例会への顔出しです。気分的にその気にならないことと、地吹雪の外出は無い。それこそ何もしないで1日を過した。
本来ならばブルーベリーの増稙計画や馬の捕獲やらを考えて、今春の計画で頭の使うことの多い時期なのに、ただぼんやりと過す毎日が多い。金曜日に街に出ることは守っているけれど、その他は全く無計画にだらだらと。
矢臼別平和公園通信を1月に発行の予定が、これも未だ原稿を調えないで1カ月は遅れそう。
もう時間の経つのは矢の如しで、明けたと思った2010年が1カ月半も過ぎた。時速80kmも90kmものスピードで、師走に向かって走り続けている。
少しは胸の内も落ちついてきた。あせらないで過ぎる時間を見計ることに。
馬たちの乾草は2本が餌場に。2週間持ってくれれば良いのだが。
何かをすることで、トラウマを忘却できればどんなに有り難いか。経験者は時間が経てば本来の姿に戻るから、と教えてくれるのだが。
今日8日の天候は昨日とは打って変って、静かな、ゆったりとした矢臼別です。
だのに、心中はトラウマは続くのだろうか。早く心も天気になーれ。
10年2月5日記
車社会の功罪
後、半年したら西牧場に転居して21年になる。平成元年の6月10日に転居した。それ以来、昨冬までは40cmの降雪が予想されると、その前日に東牧場の車庫に車を置いて、1.4kmの団結道路は徒歩で行ったり来たりした。
しかし昨冬からはスノーモービルを使うことに。
川瀬さんが冬場、西牧場で暮らすのは大変だからと東牧場に転居したのは50歳の頃。だのに「浦さんは同い年でその跡に転居したのだから・・」とその意気を称えてくれました。
しかしその私も20年目にしてスノーモービルの利用者になった。もう川瀬さんも居ないし、エーコさんも居ないので1mの積雪で団結道路を降雪初日に「歩くスキー」やカンジキで1.4kmを1時間で歩いて移動する厳しさを分かってくれる人はいない。
今年はスノーモービル2年生、モービルが雪に埋まってその周りを掘ることも無く、5分間で東牧場に出て、尚車に乗り換えて20km先の駅前市街に買い物に出かけたりする。
今までの徒歩による冬の生活が嘘のように思える。セルモーターがパワー不足で手動でエンジン起動をすることが多いけれど、徒歩で50分、60分かけて歩いて出かけたことが、たったの5分で東牧場に着くのだから、楽ちんです。
「スポーツマンが車に乗り始めてから体力を落とした」と言う話を思い出す。重量挙げで金メダル取った人の話だ。
私も昨冬からモービルを利用する分、基礎体力を冬につける習慣を失った訳で、要注意だと戒めている。
今から西牧場で何年頑張れるか、環境の変化に注意をしないと。
10年1月29日記
草出しの段取りを
昨年12月に7本出した乾草のロール、25日現在、4本を平らげて残りは3本。2月中には食べつくす。
馬たち、春の4月にはクマ笹が顔を出して乾草には興味を示さなくなる。それまでは乾草を餌場に置いてやれねばならない。
今、乾草の保管倉庫の入り口付近に50cmの積雪があって、これを除去しないことには乾草の搬出は難しい。
乾草は転がして出せるように3本ほどは倉庫の入り口に用意している。巾2m、長さ10m余の除雪をすれば良い。
27日朝08時30分から30分間、11時から30分、餌場の除雪作業を。現時点で乾草の残量は約2本。2月、3月の乾草は6本が必要だろうか。
出し過ぎると無駄にすることが多い。だから今出ている乾草を食べつくすまで出さないように。次の降雪前まで出来るだけ我慢しなくては。
倉庫からの雪道約10mはきれいに除雪を終えた。食べ切るまで乾草は出さない。
10年1月22日記
雪を掘る
7日に1時間ほど、12日だったか1時間半ほど時間をかけてビニール温室の除雪をした。毎冬何度か雪が降った翌日に除雪をしてビニールハウスの屋根を楽にしてやる。そうしないと潰れてしまうからだ。
僅かに15坪の面積を暖かくする仕掛けだが、潰してしまうと数万円のビニール代金が必要だし1人での張替えがまた大変。そんなこんなで極力雪下ろしをして初夏に備えることにしている。
07年師走の6日に腰椎の圧迫骨折をして以来、1人での仕事には細心の注意を払うことにしている。
エーコさんには事前に連絡をして仕事を終えた時、無事に済んだ、と連絡をしたものです。今年からはその相手が居なくなった。今は紀州に住む姉に連絡をして、無事を伝えることに。
最も近くに住んでいるWさんにも声を掛ける様にしている。遠くの親戚より近くの他人です。近くに住んでる人に世話になることばかりですから。
1人で雪堀をしても体調を整えていると危ないことはない、そう思っている。春までには何回か除雪をすることがあるだろう。
落ち込まないで1人だけの矢臼別を乗り切ろう。そんな気持ちで今週も。モービルで事故を起すことのないように。
正月、早22日も過ぎた。心身は共にダメージを受けて、何時もより早く時が過ぎ、何年も老け込んだ様に思う。
これではいけないとは思うが今はいたし方無しです。
10年1月15日記
スノーモービル働く
雪が浅い間は難無く乗りこなしていたが、1月6、7日の雪で積雪が約1m程になった。昨年同じ程度の積雪で旋回時に動けなくなった。その不安が頭をよぎったので、購入先の先輩に乗り方を改めて教わった。
右方向に進もうとする時は重心を右に移動する、右に傾くように。
8日は午後から深い雪の中で試乗した。角度で15度程の方向転換で身動き出来ず。車庫から50mで、傾きを直す為に雪堀を5分間。再出発して東牧場までの中間で、また動けなくなる。やはり傾いて、しかも沈んで停止。2回目の雪堀は7分くらいかかったか。
とにかくモービル本体を水平に保つようにしないといけない。東牧場まで残りの700mには3箇所のカーブがある。これを乗り切って無事、東牧場に。さっと走れば所要時間は5分間。
轍がつくと、後はその上を走りやすく、1昨年までのように降雪初日、1時間のカンジキ徒歩で疲れ果てることは無い。
しかしこの団結道路には道路両脇に鉄柱が立っていて、これに触れないようにしなくては。西牧場に来られた方にはお分かりと思います。業務隊が団結道路の両側にトラロープを張り巡らしています。このロープの支柱が鉄製なのです。これにぶつけたら、命を取られかねません。
夏場は簡単に撤去できる鉄柱、冬場はコンクリート盤に埋め込まれた鉄柱に。これにモービルのスキー板を引っ掛けたら大変です。
モービルは上手く乗れば、便利な乗り物。郵便屋さんは轍を徒歩で、私も穏やかな日は徒歩で出かけます。
モービルは雪道を固めてくれる役割も、で大助かり。
10年1月8日記
大雪の矢臼別
昨夜から降り始めた雪、明けて6日朝も降り続いています。今冬は暮れに20センチほど降った後、殺鼠剤をブルーベリーの根際に撒いた。で、今春は齧り害は避けうるものと、考えてる。
馬たちは12月中に乾草ロール1本を平らげ、乾草の消費が思ったよりも進んでいた。そんな折に大雪ですから4月の雪解けまでは乾草が主食になるだろう。それで3月中に乾草の補給が必要かも。
鶏小屋にはチャボが4羽いて、卵は産まないが元気にしている。これは亡くなったエーコさんの発案で飼いだした小型の鶏です。家禽の寿命を全うさせようと今も飼い続けている。
その発案の主が今は居ない、が続けられるかぎり飼ってやろう。
今年はスノーモービルを使い始めて2年目、トラブルも無く順調に乗りこなしている。今回のような降雪だと初日のカンジキ歩行は1時間で東牧場に、帰りも1時間で西牧場に。降雪の後は2、3回の踏み固めが終わらないと、行き来が大変だった。
モービルだと5分で片道OK、その分脚力は弱くなるけれど、確かに疲れることは無い。
昨年は運転に不慣れで、5回ほど雪の中に沈んだ250kgほどの車体を180度方向変換するに疲れ果てた。今年はそのようなミスはしないぞ、と気を引き締めて運転している。
今年からは特に東牧場までの交通は注意を要する。モービルは確かに便利だけど20k/hから30k/hのスピードで、しかも林の中を走るだけに運転には細心の注意を払わなくては。
今日6日は終日雪が降るという天気予報。時化たときは海に船を出さないように、ここでは屋外に出ないことが身の安全を守る原則。ですから吹雪く時は外に出ない。
10年1月元旦記
今年の抱負を
健康管理、西牧場の改革、公園活動の構想などに絞って少し。
先ずは健康管理について、昨年2月から始めた「四休三飲」これは中々自分にとっては良い取り決めだと思う。時たま禁を破るけれど。昨年は1回。餅つき望年会の火曜日でした。月火水木を休んで金土日の三飲は中々上手く出来ていて週末に飲めるし盆踊りも上手く三飲日に当てっていて都合が良くビールを飲める。
西牧場の改革では果樹園の拡大と放牧馬の馴致作業を行うこと。果樹園の拡大はその気に成ってやれば出来る事で既に拡張図は出来ている。馬の馴致は5kmほど離れた牧場の友人が力を貸してくれる。これは少し難しい課題だけれど、西牧場としては試みたい。
公園構想については夢が広がる。森林浴道路の建設は既に打上げているけれど、今年からは「ぐれっと展望台」を建造することです。これは大金のかかる仕事です。
既に設計図は手元にあります。これを5年計画で自己の労力で建てる事。資材費だけで済む。これは川瀬流です。「ぐれっと」とは、360度見渡せると言う意味で青森で使われる言葉です。
新年に当って思うことは沢山ありますが、出来そうなことから順に、でも「ぐれっと展望台」の建造は最も難物です。
畑田先生のお話で、「夢は大きいほど良い」がありました。資金はどれ程かこれからのことで、業者に試算してもらいます。
他人の褌で相撲を取るのが矢臼別流でもあります。その節は全国に改めてカンパを訴えます。その時はよろしくお願いします。
気楽ですねぇ、ははは。
09年12月25日記
19日雪が
10cmほど積もった。今冬二度目の積雪。日本海側は大雪らしいが、道東は雪無しに等しい。ただここ2、3日は寒い。今日も「平和の家」に出かける。床の修理を毎日コツコツだ。
20日、21日も「平和の家」で10時から15時半まで。今日も床、壁補修終わらず。
22日も11時から15時30分「平和の家」に。壁、床の補修が終わる。10日から始った床の補修作業ようやく終わった。
でも水道管の配管換えや石油ストーブのタンク取替え、風呂の給湯機の石油タンクの取り付け等あと少し作業が残っている。
22日夕刻、気が付いたことを、もう日没前だった、駅前に向かうべく川瀬宅に差し掛かったら右に入り込んだ車の轍。誰かが車で来たようです。
「自衛隊は憲法違反」と描いたD型ハウスの向こう側に立派な宿泊所があって、ここへの給電目的で配線がされたようです。
早くからその作業が終わっていたのかも知れないけど、気付いたのはこの時。この家の持ち主も年末には反戦キャンプを張るんだな、そんな想像をした。
「平和の家」の完全復旧も急がなくては、そんな気持ちで夜道を駅前市街へ。明日の作業、配管材料の買い付けです。道は雪道、要注意。
23日は残り作業をするために、9時には東牧場に。今日こそと水道管の補修をと始めたら、新たなるパイプの破損に、がっかり。24日も配管工事復旧ならず。
本年中の完全復活は成るだろうが、良くないことが続く。
09年12月18日記
今週は「平和の家」の修理を
先週の木曜日から「平和の家」の修理を再開した。足寄町のTさん達の応援で床が復旧し、その後工事を中断していた。
自分が主になってやらない限り工事は進まない。川瀬さんが健在な内は財政面を考えるだけで事は運んだ。毎日少しずつ工事は進捗して何時の間にやら完成、川瀬さんが建築を一手に引き受けて遣ってくれた。
私もそれに習って、少しでも良い、時間が出来たら「平和の家」に行くことに。コンセントをどように取り付けるか、初めての経験、他の部屋で使われているコンセントをばらして仕様を真似るしか無い。
家を住み易くするには手がかかる。川瀬さんは私が知ってるだけでも5軒は建てている。建築士の免許は持っていなかったけれど、実績はプロでした。
14日、15日も9時出勤、昼食後2時間休んで再開。帰りは18時半頃。16時には暗くなる、夜道に終業時間は関係なし。只ストーブのない家は冷える。早くストーブを試運転したいが。
16日も出かける。9時〜12時が午前の仕事。居間と台所、風呂への通路の壁復旧は略終わった。
残り作業は天井と床の隅々に飾り材を取り付けること。取り外したものを復旧するのだ。午後は買い物に作業は休む。あと少しで修理作業は終わる。
17日朝も 9時には現場に。居間と便所への通路を片付けて台所の仕上げに移る。がここでハプニングが。水道配管の破裂を発見する。昨日床に氷が落ちていておや?とは思ったのだが、今朝の気温ー16℃には参りました。本日の修理完工はお預けです。
ストーブを使える所までは進み、あと少しという所で水道管修理とは。参った参った。 修理完工は来週になりそう。
09年12月11日記
原野で虚勢手術
3日午前中に2頭のポニーを捕獲する。しかしこの日が市場日で間に合わず。次の市場は来年の2月という。捕まえたのは雄2歳半と雌半歳の何れも母親はサビタ号です。雄2歳半は身体は小型でも馬力は強い。
市場に出すのは止めてもよいが、このまま去勢しないとポニーの群としては拙い。折角捕まえたんだから、と去勢して西牧場で飼うことにする。半歳の雌馬は来年まで牧場に置くことにして頭絡をかけて解放する。
友人の獣医師Tさんが西牧場に見えたのは16時45分頃。明るい内にと言う話になっていたけれど、師走の日没は早い。馬囲いの中に捕獲された2歳半の雄、生まれて2年半後に初めて縄を掛けられたので、尋常ではない。
先ずは麻酔薬を皮下注射、15分後に血管注射を。それでも眠ってはくれないので、胴体にロープをかけて横倒しにして、前脚は自由だが後脚はロープで動きを止め、しっぽもロープで動きを止めて。
私はポニーの頭に腰を下ろし、勿論馬は頭絡で動きを止めてはいるが、初めての経験。
手術場のライティグはトラックのヘッドランプと獣医さんのヘッドランプ。原野の気温は−2℃ほど。
手術の終わったのは1時間後の18時でした。久しく使うことの無かった頭絡をつけた姿で暗闇の馬囲いに2歳半のポニーを放置した。
21時頃様子を見に行ったら、姿は無かった。緊張の中での手術、寒さは感じなかったけれど、獣医さんの仕事には脱帽です。
翌日、手術代金は? と伺ったら、公園クラブへのカンパだと言って金額分からずでした。
1昨年から3頭目の虚勢手術。周りの方に助けられる川瀬西牧場です。
捕獲作業で残るは3歳半の雄馬です。この馬には1歳から馬囲いを突破されていて、捕獲から逃げるのが上手いのです。こちらはその上を行かなくては。
09年12月4日記
乾草を倉庫から
今週は雪も雨もない天気が続く。漸く朝はマイナス気温に、地面も固くなったので11月30日10時から乾草ロールを冬の餌場に出した。初日は6ロールを例年の場所に。特別変わった事も無く仕事は出来たが、情けないことに、2時間半の作業中に三度ほど転倒した。
最近は珍しいことではないけれど、若い時には考えられなかったことが最近は茶飯事になってしまった。年を取ったのだなぁ、と転んでは思う。怪我するでもなく、単なる転倒なのだが。はっはっはっ。
今年の餌出しは全部で10ロールを計画していたが12月1日に1ロールを出して、全部で7ロールで餌出を終わった。3頭を市場に出したら残るは5頭だから餌は少なくてもOK.。
残る仕事は、馬の市場出し。それが終わると西牧場も予定作業は全て終わる。それ、残る3頭を市場に出すことが最も難題です。
川瀬さんが馬飼いを止めたのは1995年ですから69歳の時です。私の馬飼いもそろそろ終わりに近づいているのかも。
でも川瀬牧場の「馬飼い」は平和に生きる象徴のように思っています。ですから怪我をしないように極力馬飼いを続けたい。そう思っています。
前回の馬捕獲でも転倒をしました。転倒が多いのです。そのことに細心の注意を払って今年最後の馬捕獲に挑みます。
どれだけ思ってみても、自分一人で馬捕獲が出来なくなったら、馬飼いは止めなくてはならない。そんな思いをしながら。
実は3日は馬捕獲をしました。がその話は次週に。
09年11月27日記
四休、三飲の一週
少し牧場の話からはそれるかも知れないが、今秋は「四休、三飲の一週」を書いておきます。
表題の意味するところは月から木曜日の四日はノンアルコール日、金から日曜日の三日はアルコールを飲める日です。
本年2月から4月は三休四飲だったのを5月からは四休三飲に、現在もこれを続けている。若い頃に徳川夢声の書いたエッセ-で一昼夜アルコールを断てる人はアル中ではない、と。
2月までは毎晩飲んでいたのを三休四飲を試み、血液検査の結果を診て四休三飲に切り替えた。
これを書いたのは他でもありません、ここ1カ月というもの駅前市街に出て行く事が多い。アルコールを飲んでいては車の運転が出来ない。街に出て行く事を制限される。
エーコさんが駅前市街に岩手県から帰還したのが1カ月前です。この間暖房用の石油ストーブがトラブル続き。
北海道暮らしで今の時期ストーブ無しでは暮らして行けません。
5年間使わなかった石油ストーブは、石油が来ていない。オイルサーバーが運転しない。ゴミが油面安定器に。ある時は隣の部屋に付いているストーブを使う。そして調子の好いオイルサーバーに取り替える。そして最後はもうトラブルなしの筈なのに、24日夕刻はストーブのオイル受け皿が溢れる寸前のオイル洩れの状態。
火災は発生寸前に食い止めたけれど、危機一髪でした。
エーコさんも頑張ったが、矢臼別の住人も頑張りました。四休三飲が無かったら対応出来なかったろう石油ストーブのトラブル続き。
ストーブのメーカー名は伏せておきますが、火力セイブを掛けた状態で石油漏れを起す製品は欠陥商品だと思う。
洩れる箇所は突き止めました。詳しくは後日。四休三飲の効果は抜群でした。
09年11月20日記
最後の収穫はキャベツ
11月16日21時頃、懐中電灯を手に菜園に。明日の朝は氷点下になる。最後のキャベツとブロッコリーを収穫する為に畑に行く。30秒もしたら現場です。キャベツを3個、ブロッコリーを3個取り込む。先週キャベツを3個取り込んでいるので合計6個を収穫した。
これで菜園の収穫は完了した。心配していたキャベツの巻具合は先ず先ずで当分、青物は自家製で間に合う。I牧場から頂いた苗は秋遅くに実を結びました。
これで、いよいよ馬の捕獲が大仕事になった。捕獲予定は雄3頭、雌3頭の合計6頭です。
囲い込みの木柵補強も17日に終えたので、捕獲作業が待ってます。捕獲の難敵は雄の3歳馬だ。これは1歳の時に捕獲に失敗した馬で力も強くて油断ならない。
怪我をしないように、上手く捕獲をと願っている。後の仕事は冬場の馬たちの餌を倉庫から出して餌場に整える事。これは例年の仕事で苦になったことない。トラックが西牧場に居る間はこれが良く働く。
堆肥運びは残念ながら今秋は見送ることにした。その分来春は忙しい。それにブルーベリー園の拡張も頭の中だけで案が動いただけで終わった。
あれもこれもと思案が胸中を飛び交うが、実施されなかった。農作業のない冬場に改めて計画を練りぬいて、来春に備えることにしたい。
これは平和公園構想とも関わることだが、ここに来て西牧場に展望台を建てる構想が胸中に浮かぶ。これを考えると、公園構想が次々と、先に先にと走り出す。
相手が相手ならこちらもこちら、夢は膨らむのです。
09年11月13日記
平和の家の床修理
西牧場の農作業は堆肥の持ち込みは未だ、馬の捕獲は現在囲い込みの柵修理中、等々仕事は残したまま。が今週は東牧場の「平和の家」の床修理に8、9日の二日間をかけて復旧に努めています。
足寄から二方が、「平和の家」に泊り込みで、床修理に来てくれています。ですから私事で時間を割けない等は言って居れません。
9日朝は8時20分頃に現場に着いた。と、応援の二方は早仕事をされていました。仕事が進んでいますね?と訊きますと、昨夜も少し遣ったから、でした。頭が下がります。
午後の1時頃だったか持込の昼食を頂く。そして30分も休まずに床張を再開です。お陰様で夕刻4時には8畳間、6畳間、通路の1畳の床を張り終えました。
後残り仕事は壁の化粧板張り、ストーブの煙突穴(外壁)の修正などが。これらは私の1人作業で出来る。思えば壁修理に取り掛かって1年ぶりに床だけは復旧しました。
足寄の応援隊が来てくれなかったら、1年ぶりの復旧は無理だったでしょう。矢臼別の生活は沢山の方に支えられています。そのことを再認識しました。
思えば川瀬さんがついこの間まで槌音を響かせていた「平和の家」、今は次の引継ぎ手が槌音を響かせています。
川瀬さん高い所から見守って下さい、援軍は周りに沢山います。そんな床修理の現場に鳥取県の会員様からカンパが届きました。郵便屋さん私の車を見て届けてくれました。
「平和の家」の床修理、9分通りの復旧をお知らせして、今週の報告とします。
足寄の応援のお二方には深くお礼を申し上げます。
09年11月6日記
2日朝−2.5℃
今秋何度目かの氷点下。畑に残っていた最後の収穫、キャベツを4個、ブロッコリー2個を取り込む。これで今年の収穫作業を終わる。
取り込んだ花豆も乾燥を終えた。総量花豆は30kgを記録した。これは並作以上と思っている。
堆肥の菜園への搬入作業は終わっていないが、3日朝の冷え込みからすると、早しばれが始っていて、予定通り仕事が出来るかどうか、少し心配。その気になってやれば3日もあれば終わるのだが。
小さな菜園と言えども、堆肥の持ち込みは軽トラックを利用する。そのトラックのエンジンが起動しない。単なる導通の不良かと思っていたら電池の力不足だという。で電池の取替えとなった。
まあここで菜園をやる上で必要な車、もう少し投資が必要か。
未だ雪は先の話だが、馬小屋として使っていたスペースをスノーモービルの車庫に転用することに。昨年秋から薪置き場にしていた、が車庫に衣替え。2日にこの作業を終えた。
置いていた薪は家の周りに積み直して、薪の準備は万端。残るは石油ストーブの500リッタータンクを満タンにすると、冬の燃料は準備完了だ。これスタンドに頼めばその日に整う。
ただベリー園の拡大計画などそのままになっている。これを具体化させないといけない。地面が凍て付くと穴掘りが出来ないのでフェンスの設置などが春先にずれ込んでしまう。
矢臼別での冬の作業は、凍土になることを頭に入れておかないと。人力でやる屋外作業は凍土にはお手上げです。機械を使うと色んな仕事が出来るが、カネが掛る。
終わることのない農作業って感じです。でもここに居て農作業をしない、はない。土地を利用しないと。
09年10月30日記
22日豆の杖を倒す。
菜園に残るはキャベツのみ。24日昼過ぎ、480本の豆の杖を倉庫に取り込んで今年の農作業は略終了。キャベツは二度の霜降にも負けずに未だ成長を続けている。もう少し頑張ると最後の野菜収穫になろうか。
残る秋の大仕事は冬用の薪の準備と馬の市場出しだ。薪の準備とはストーブに近い場所に薪を備えることで、コックを開くと灯油を燃焼できる石油ストーブとの違いです。
玄関周りや居間に近い窓際に薪を積んで極力手近に用意する。
馬の市場出しは4頭を捕獲して11月中には市場に出さなくては、と思っている。皆、顔馴染のめんこい奴らだが、牧場の管理上は悲しい別れをしなくてはならない。
非力になることを年々思い知るこの頃だが、色んな点で馬の捕獲作業は要注意です。とにかく怪我をしないようにしなくては。
先週土曜日には豆の杖を取り込んだことを機に一人だけのミニ感謝祭をした。でも後何回か仕事を終える毎に感謝祭が続きそうな西牧場です。
楽しみだった小豆の収穫は不良品も含めて、約600gでした。立派な小豆は僅かに200g、400gほどが親指の爪を痛めた青い鞘から取り出した出来の悪い小豆。
でも小豆を粒餡で食べる、は実現しそう。来年はもう少し早く蒔けば良い。それが今年の教訓です。
確かに雨の多い夏で、日照時間も少なめで少し作物の収量は少なかったけれど、まぁまぁの収穫でした。
今は来年も頑張るゾウ!、そんな気持ちになっています。
09年10月23日記
豆が霜にあたる
10月の12日に一回目、16日に二回目の霜が降りた。秋キャベツは元気にしているが、花豆も小豆も100%生育は止まった。花豆は8割方取り込んだが、小豆は9割5分方青いままで霜に当たった。
青いまま一つ残らず鞘を取りこんで、実を取り出したら、両手の親指の爪が痛む。2時間ほどの作業だったが。果たして上手く乾燥するや否や。
居間で乾かして、何が何でも粒餡にして試食したい。その思いが爪の痛みも乗り越えてです。
花豆の取り込みは青い鞘2割方が残っている。これを取り込んで収穫作業は終わる。
残念なのは小豆が稔り切らなかったこと。花豆との作付けの日時が30日も遅かった小豆。それに日照時間が少なかった今夏の天候、責めて後10日霜が降りなかったら、等と思ってみても、後の祭り。
カボチャは親が泣くようなのも含めて、(これは坊ちゃんカボチャと言って野球ボール大のサイズなのだが、味は抜群)、24個ほど取り込んだ。一株に一個の収穫でした。
収穫作業は程なく終わるが、来春に備えて堆肥の持込やベリー園の拡張準備などが待ち構えている。鹿対策などがあって、フェンスを設けなくてはならず果樹園の拡大は鹿の被害を防ぐフェンスの設置から掛らなくては。
花豆は後少し残しているが、24kg程の収穫が出来ようか。早蒔きしたのが並作に繋がったと今は思っている。
例年はジャガイモの採り込み時期なのに早く収穫を終えた今秋、一人だけの感謝祭は近々にすることとしよう。何だかんだ、と言いながら沢山の恵を得た。感謝しなくては。
09年10月16日記
規模拡大の構想
久しぶりに他所のブルーベリー園(別海町内)を見学した。西牧場でブルーベリー園を始める基に成ったブルーベリー園で、樹齢は20年を超えている。10年は年上の果樹園です。
どのように同じ樹種が成長しているのか、それを見たかったのです。樹の幹周りは太いし背丈も倍はある。樹齢20数年はこうなんだ、とぐるりと見て回った。
何年か前に見た時はなかった新しいベリー園が出来ていて、ベリー園の行く末を見たように思った。
ブルーベリーの別海、という地方での有望性のことです。冬場の気候条件を上手く過せば夏場にベリーを収穫できる。20年余前に始めたブルーベリー園が果樹栽培として有望であるからこそ規模拡大をしたのではないか。この読みは当っている、と思う。
そこで思ったのは西牧場でもベリー園の拡大構想です。現在は100本のブルーベリーですから、200本くらいにしたい。
エーコさんの言葉を借りると腫れ物と商売は大きくなったら潰れると言う。大阪商人の言葉らしいが、ベリーの増株はそれ程心配もなかろう、と思っている。
大きくしなけりゃ良かったのに、は方々で見かける事例だ。馬は縮小に入りながら、果樹は拡大では一寸変だと思われるかも。でもついつい規模拡大の事を考える。
農業地として放置されてきた西牧場、ブルーベリー園にする、この構想は進めていいのでは、と思う。
植えて置きさえすれば、樹は基本的に生長する。来年はその方向で増株を考えています。
次の住人のことを考えるとベリー園に夢を託したくなるのです。
09年10月9日記
残るは小豆とカボチャ、キャベツ
6日午後3時、人参の収穫を終える。2畝で50kgは取り込んだか。ジャガイモは310kgほど。友人知人には秋の挨拶を一通り済ませた。
残る収穫は花豆と小豆と秋キャベツだがキャベツの収穫は当てにならない。未だ巻きはじめていないからだ。
昨日辺りから霜注意報が天気予報に出始めたから、これから巻き始めても間に合わないだろう。と思う。苗を貰ってくるのが少し遅すぎたよう。
花豆は収穫中だし、小豆も黄色く成り始め我が菜園での初収穫が出来そう。カボチャは既に出来上がっているのが10個ほどあって、半作には違いないが先日初物をカレーに煮込んで食べたら美味しかった。
10月も20日過ぎには全収穫作業を終えることが出来ようか。
あっと言う間に10月が過ぎて、その内に雪のシーズンになる。もう随分前から思っていることだが、時間が早く過ぎて、なのにやるべき仕事が消化できずに気持ちだけが空回りする。
老人の一人仕事なのだから、欲張らずにのんびり考えて、ゆっくりマイペースで良いものを、と思う。
最後は来年の為の堆肥運びと馬の市場への出荷、そして乾草ロール出し作業。これで今年の農作業は終わる。
皆終わって、今秋の収穫祭はもっと先のことになろうか。
09年10月2日記
収穫の秋
9月に入って始めたジャガイモ堀、25日午前中に16畝作付けの8畝を掘り終えた。中間報告をすると、親の泣くような細かいのも含めて160kgを取り込んだ。
今秋、ジャガイモの収穫で気付いた異変、両手の指関節が痛むこと。19年来のジャガイモ収穫方は両手に軍手をはめて手掘りをする、でした。
昨年までは指の関節が痛むようなことは無かった。これは初めての経験です。川瀬さんはスコップを使うと言っていたけれど、西牧場では収穫方で器具を使った試しはない。芋に疵は付かないし、堀残すようなことも無い。
畑で、掘った後3、4時間日光浴を。その後各々に付いている土を落として我が屋内に取り込む。そうしないとネズミに齧られる。
例年1000株を作付して、5個乃至6個の芋を収穫するから5千個から6千個のジャガイモを両手で処理する。そうして来たのです。
花豆、ブルーベリー、そしてジャガイモ、人参、どの作物も収穫は両手が主役です。今まで感じた事の無かった関節の痛みです。
残る半分のジャガイモ収穫作業、1週間で終えて引き続き花豆の収穫も続けなくては。楽しみと同じだけ苦の部分も付いてきます。
指の関節の痛みを初めて体験する秋ですが、挨拶代わりの西牧場の恵が姿を変えて矢臼別に帰ってくる。恵の押し売りは避けなくてはいけないが。
少し労りながら、手掘りで収穫を続けよう。
27日、午前2畝を掘る。1畝はレッド・ムーン、1畝はメークイン。出来は良くない。昼食にその出来の良くない親の泣くような芋を試食する。こまいが味に遜色なし。少し気が休まる。
28日も1畝。出来は予想に反して1畝で12kg。これで由としよう。
09年9月25日記
人参の収穫
例年は4畝蒔いていた人参、今年は2畝に蒔いた。1昨年は人参とリンゴのジュースが健康に良いとの情報で3カ月ほど続けたことがある。がどうしてか今は止めてしまった。
只今は人参はカレー料理に使うことが多い。20日午後、人参を1畝掘ることにした。3寸人参でこじんまり出来上がっている。収量は25kgほどか。いつもに比べて腐った人参が多い。
西牧場の菜園で採れる人参を殊の外喜んでくれる人がいて、秋の挨拶代わりに少しお裾分けをする。
今秋は作付けが半分、その上不作だったので関西の友人には送れない。
21日、10時頃から昼までジャガイモを2畝を掘る。19年続けているワセシロは腐りが少ない。というより腐りゼロに等しい。この日はキタアカリも1畝掘ったが、これは粒が小さくて腐りの多さに、泣きたくなる。
天候不順も大きな理由でしょうが、種芋の品質が悪かったのかも知れん。その様な事を掘りながら思った。
人参の畝の直ぐ隣に小豆が今も青々していて、4、5日の間に鞘の膨らみが見る見る増した。そう思って楽しみにしているけれど、20日宗谷の方では霜が降りたと言うニュース。
さて如何程の収穫が出来ることやら、カボチャ、花豆、小豆、キャベツ、霜が下りたら発育は止まる。
人参、それにジャガイモも出来上がっているから、少ないなりに収穫が出来る。未だ実を結ばないものは霜が降りたらおじゃんです。
後2週間は霜が降りませんように。天気予報で注意するようになど言ってくれても、打つべき手は無いのですから。
09年9月18日記
今年の天気は
今夏は雨降り日が多かった。お陰で井戸水の心配はしなくてよい。水の心配なし、これ程有り難いことはない。昨年の今頃は井戸の水深は110cmほど。それが今は240cmもあって昨年の倍の水深だ。だから来年の春まで水の心配は不要と高をくくっている。
しかし14日ジャガイモ、初顔のキタアカリを1畝掘ってみて、がっかり。昨年までは捨てたサイズを集めても30kgに満たない収量だ。
例年、小サイズのジャガイモを好む友人に、これはサトミさん用等と言って収穫した。だが今年はそのサイズを一段と小さくしたサイズにしないと1畝30kgは収穫できない。そのような出来であることが分かった。
一株で8個の芋、小粒でその内大きいのが3個も腐っていては泣きたくなる。30kgは1畝で採れる等、やはり狸算に終わりそうだ。
雨が多かった所為だけでなく、土地の出来具合に問題があるのかも知れん。厩堆肥の投入が自慢の菜園なのに。
そこは俄か百姓の知恵の無さで、20年この方馬糞一筋の土作りで遣って来た。とにかく芋の腐りの多さには参る。
長く放置をすると腐食が一層進むと判断、今秋は畑に寝かすことはせず、毎日掘ることに。
雲って、後晴れると言うパターンはゼロに等しい。曇れば必ず降るが今夏の天気の流れで、井戸の水枯れは心配しないのだが。
未だ今夏の菜園の収量については、花豆、人参、カボチャ、小豆が生育中で判定はもう少し先になる。
今日17日はピカピカの晴れ日和。豆もカボチャもニコニコ顔に違いない。少し晴天が続いてくれないと。実が大きくならない。
小豆の粒餡を上手に作れるようになっただけに自前の小豆に期待しているのです。
09年9月11日記
ジャガイモ堀り
いつもの夏はオホーツク高気圧が張り出して、道東は南よりの風が吹いてさっぱりした天気が続く。そしてその内に太平洋高気圧が日本を覆って暑い天気が続く。これが日本列島の気圧配置でした。これが今年はそうはならなかった。太平洋高気圧の張り出しが弱い為に低気圧が必要以上に列島を通過した。それが日照時間を少なくし、との気象庁の解説だった。
芋堀は葉っぱが枯れた後もそのままに寝かせて10月中頃に収穫したものが、今年は早めに掘らないと腐食が進行するかもしれない。
1畝の試し掘りは親が泣く様なのも含めて30kgを収穫した。16畝中6畝は収穫を望めないので今年の狸算は300kgか。早い目の芋掘りをして今秋の収穫を確かめたいと思っている。
これで生計を立てているんだと大変な秋になるところ、それにブルーベリーは摘みとろうとしても4kgで樹にはもう実はゼロに。昨年の十分の一作です。
後、花豆と人参は並作を、カボチャは今年も半作で、最後小豆は未知数です。秋取りキャベツは今からどれだけ生育するか。
化学肥料に頼らない馬糞農業と少し自慢の西牧場の菜園でしたが、日照不足には勝てないし、ジャガイモの腐食には凹んでしまう。
繁殖の為に来ていたポニー親子、9月2日に親だけが姿を見せた。がこの日は西牧場にお客さんが見えて、馬との付き合いが出来ないままに見失った。連れてきた子馬は原野で倒れたようだ。
9日09時頃、演習場域、北の草地で30分ほど馬を呼ぶ。母馬はコッコ馬の倒れた場所から動けないでいるのだろう。40分程待ったが姿を見せず。
11時頃、菜園で草刈り機を使っていたら、いつの間にやら母馬がとりで会館の前に。母馬が元気でホッ、少し気が楽に。
09年9月4日記
家の周りが池のように
9月1日朝、家の周りが池のように水が溜まっている。台風11号が接近して降水量が多いためだ。池のようになっても2日も経てばきれいに土面に替わる。砂漠の様な、とは言えないけれど矢臼別の原野は水の浸透は早い。2日夕刻には池の様だった水溜り、見事に水面はなくなった。
午後からはジャガイモ(男爵)を1畝掘る。思っていた以上に腐食した芋が多い。一株で1個ないしは2個も腐食芋が混じっている。でも30kgは収穫できそう。芋は小粒が多い。
1週間予想では雨降りがない。例年は野球日本シリーズを聞きながらのジャガイモ収穫作業。腐食イモの多いのが気に掛る。今週中にワセシロも試しに1畝掘ってみようか。何れにしてもジャガイモの収穫は波乱含みのよう。雨日和の多かったことが例年と違う。
先の話に戻ります。今年の天気は曇ったら雨降りだった。だから井戸の水は枯れる心配はなさそう。7月までの降水量で昨年の年間降水量と略同等だった(780mm程)ので、8月からの降水量は皆余禄です。だから来る冬は水の心配はしなくてよいと思っている。
09年8月28記
ジャガイモ枯れる
22日キタアカリの試し掘りをした。何と1株に12個も、重量にして780gです。これには驚きました。1畝に最低60個は植えたので、1株500gと少なめに見積もっても、1畝で30kgです。5畝で150kg。
ワセシロも5畝が並みの作なら30kgx5で150kg。合計300kgです。
後残るはできの悪かった6畝。25日の試し掘りで他の畝の3分の1有りや無しや。50kgか60kgか。とすればジャガイモの皮算用は350kg程に。9月末には収量がはっきりするだろう。それまでは皮算用で楽しもう。
悲惨なのはブルーベリー、4回の摘み取りで3kgを収穫。昨年は約30kgもでした。この落ち込みにはがっかりです。
この不作は一重に殺鼠剤の散布を怠った故と考えている。新芽がことごとく齧られてしまったのだから。今年の夏は来年に備える充電の時間としたい。
残るは花豆と人参、カボチャ、秋キャベツの出来具合だ。未だ楽しみが残っている、夏の終わりに。
後、西牧場の話題を書くと、雌のポニーが繁殖の為、15日から西牧場に来ていること。20日間くらい預かって上手く種付けが終わったらいいのですがねぇ。我が西牧場のポニー群とは反りが合わずに子連れで2頭が虻の多い牧場暮らしをしている。
青草は豊富だし、飼い主は沢山の配合飼料も運んでくれて、至れり尽くしなのだが、問題は早く発情が来て、種が止まることなんです。
ついでに西牧場のポニーのことを話すと、雌2頭、雄3頭を市場に出さなくてはならない。雪の来る前に残る大仕事です。
未だ夏が終わらないのに晩秋の話になってしまったけれど。
09年8月21日記
終戦記念日に
15日は朝から人参の間引きをして、雑草も抜いてこれで秋の収穫を待つばかりに。間引きした人参は一二三漬けにした。
ブルーベリー園の草刈りは略終わっているが実の摘み取りは一度しただけ。300gほどで終わった。後どれだけ収量があることやら。
15日夕刻、ジャガイモの試し掘りをした。柄の大きく生らなかった男爵も、柄が大きくなったワセシロも小振りだが、7個付いていた。これなら思った以上に収穫は出来そう。男爵は枯れ始めていて、どうやら初年度の男爵種はどれだけ採れることやら。
でも早速、夜カレーにして味わったら、先ず先ずの味です。出来は悪くても自給100%の食糧生産は見込めるだろう。
米は作れないけれど、ジャガイモの生産高はポーランドやドイツ並に食しても、自給可能だ。例年300〜400kgは菜園で生産しているから。
二株ほど試し掘りして秋の収量を予測するのは早計でしょうが、米をでなくジャガイモを主食にできたら、ここは食糧では独立できる。
船乗りの時は、ご飯を食べないと食事をした気持ちになれず困った。が人生晩年になって何を食べても一食と済ませる様になった。今秋からは芋食を増やそう。
北海道は何時でも独立できるなどと考えたりする。が、日本の食糧自給率は40%という。我が家の自給率を正確に計算したことなどないけれど、6割が外国からの輸入で賄っているとは情けない限り。
昔、オイルショックの時には家の庭に畳3条ほどの畑を作って野菜を作った。終戦直後の食糧難を思って、少しでも自家生産をと小さな我が家の庭に、芝生は一切植えなかった。
今は、その気になれば色んな作物を作れる矢臼別の菜園です。
09年8月14日記
道は良くなった
7月31日に砂利舗装が終わって、川瀬西牧場も乗用車で気持ちよく走りこめるようになった。その後大雨は降らずに小雨程度で経過した。団結道路は盆踊りで他所の車も走ったので一段と砂利が固まって、先ず先ずの砂利舗装となりました。
雨が降ると所々に水溜りが出来るだろうが、その部分を補修しながら、道路の管理をしなくてはならない。
今年の盆踊りでも基地散歩がプログラムされていて、数えた訳ではないけれど40人くらいの方が9日7時半頃に西牧場まで来られた。西牧場に存在する樹齢二百年とも三百年とも言われるドングリの樹を案内する役目を仰せつかって、その役を果たした。
旧川瀬宅から200mほど南に歩くとその大木の下に。胸高直径が3.8mのドングリの樹があって、その根元に立つと大きさが実感できる。
何年か前写真で紹介した、これが柏だと別海町のNO.1だし楢だとNO.3になる。
見学者の意見は半々で、樹種の正確な判定は先送りに。いずれにしても別海町で周りを笹に覆われて原野に立つドングリの樹はここだけではなかろうか。
私が借り受けた西牧場内5町歩のポニーの放牧地を除いて、13、4年前になろうか川瀬さん西牧場内の雑木を木材業者に売却した。借り受けた5町歩外に立つ巨木だったが、幹にテープを結んでこれは伐らない様に、と伐採を禁じた。
川瀬さんもこの巨木には愛着を感じたのでしょう。お陰で今は西牧場の宝物、別海町の宝物だと思う。これからも初めて西牧場を訪れる方にはこの樹の存在を紹介したい。
道が良くなったので案内もしやすいです。
09年8月7日記
45回目の盆踊り
今年の盆おどりは大きな節目の盆踊りになりそうです。
節目とは川瀬氾二さんが居ない初めての盆おどりとなるからです。私は22回目から参加していますが、3年前の盆は矢臼別を2カ月ほど留守にして参加は出来なかった。
転居の始まりは、川瀬さんが還暦を迎えた時の盆おどりの挨拶で、「移住してくる人は歓迎します」、でした。
そして転居から20年、何時も川瀬さんの隣人として西牧場で暮らしたことになります。
特に晩年の10年余は支部が同じだったこともあり、特にここ5年程は一週間に一度は川瀬宅に寄せてもらった。それで娘さん以上に顔を会わせる機会が多かった、のでは。
最後に川瀬さんと話を交わしたのは釧路孝仁会記念病院で、08年10月20日が最後となりました。くも膜下出血術後の12日目で、いつも通りの会話が出来ました。
昼食後で比較的元気な様子で安心しました。支部会議での会話の始まり「何か変わったことは? 」で会話が始り、必ず体調の話と・・となります。
この日も「川瀬さん例の頭が重たい感じはとれましたか?」と訊きますと、「それがとれないんだよな」・・でした。
病室は四人部屋で、3人の方が昼食の後で在室していました。いつもの支部会議の話には進めませんので、話の続きは矢臼別に帰ってから、と話して10分か15分後に部屋を出ました。
この日から数日、病状が急変して昏睡の状態になりました。その後三回ほどベッドサイドに寄り添いましたが話すことは出来ませんでした。
私の田舎の初盆は8月の13日に精霊を迎えて、15日の夜送る。紀州では、海辺で灯篭舟を流し西方浄土に送る習しです。
川瀬さんとネルソンさんを追悼する盆おどり、矢臼別ではどうなるのでしょうか。
09年7月31日記
団結道路
この呼び名は今から38年ほど前、川瀬さんの娘さんが小学校に入学する時に、東と西牧場を繋ぐ通行路に付けられた名前だと聞きます。当時、東牧場には杉野芳夫さんが健在で東牧場からは町道茶内線に繋がり、2kmほど先現在の上風蓮橋の近くの草地の中に小学校が在ったと聞く。
その小学校の玄関には憲法9条が掲げられていたとも聞いた。
当時、町役場がブルドーダーを投入して通学路として現在の路線を切り開いたと、川瀬さんから聞いた。
それに比べると、現在行われている団結道路の補修は矢臼別公園クラブの財政で賄われていて、取り組みが大いに異なる。
西牧場に居を構える個人の生活負担ということで、社会的保障は現在はゼロ。個人的な生活欲でこの地に住んで20年。それで別海町に道を補修してくれとも言えず、今回は矢臼別平和公園クラブに頼んで、補修をする事になった。大変ありがたいことです。
28日現在、朝5時から10トンほど砂利を積載するキャタピラー付きのダンプカーのエンジン音が聞こえる。月半ばから始った工事が今も続いています。
この工事をする人たち、天気が良くなると、酪農家の草刈り、草運びをします。草に手が付かない降雨の日に、団結道路の補修です。
盆おどりも1週間後に迫ってきました。どんな団結道路に生まれ変わることやら。川瀬さんが天上の高い所から高みの見物をしている筈です。笑われないようにしないと。
30日朝、08時頃舗装工事の出来具合を見るために東牧場に向かった。あれだけ積み上げていた砂利は見事に団結道路の納まって、走りやすい道路になっていた。
31日朝、砂利舗装工事は竣工したようです。
09年7月24日記
井戸掘りの話
18日川瀬東牧場で待望の井戸掘りが大きく動いた。水脈を掘り中て、ついにコンクリート管を埋設した。
この日10時から排水ポンプ2台で水の排出を始め、11時半掘り方を開始。13時半掘り方を終える。天候は小雨降るの中で。昼食休憩後、14時30分作業再開、井戸底の整地をする。井戸の深さ6.2mで砂利を20cmほど埋め戻して、掘り方作業を終了する。
15時頃だったか、いよいよコンクリート管の据付です。4トンクレーン車の出番です。1トンの重量のコンクリート管の据付は難しい。この日はプロのクレーン運転者を現場に呼んでいた。簡単に納まった訳ではないが、6本のコンクリート管が埋め戻された。作業が終わったのは17時半。コンクリート管の周り3mまでは砂利で埋め戻された。
残る埋め戻し作業は19日予定でしたが、この日は朝から雨降りの悪天候で、埋め戻し作業は26日に延期されました。
私は外野席の応援団ですが4年がかりの井戸掘り作業、どうやら矢臼別平和盆おどりの前に竣工しそうです。
労組の宿泊所は川瀬東牧場の「自衛隊は憲法違反」の大看板の描かれたD型ハウスの南側にあって、盆おどり広場からは見えない。東牧場では最も新しい建物で立派です。
そこで使われる水の確保で井戸水が求められていたのです。
宿泊所の直近で掘った井戸が良い水脈に中らず、4年越しの井戸が今夏、新しいポイントで水脈に。これで労組の方たち宿泊所での水に困ることはないでしょう。
快適な宿泊所になって沢山の方に川瀬牧場が利用されることを期待します。未だ給水設備の竣工ではありませんが、井戸掘りの朗報をお伝えします。
09年7月17日記
3週間後は
川瀬さんが元気だった頃は、「もう盆おどりが直ぐそこまでやって来た」など言っていました。が、その川瀬さん今夏は居ない。第45回の矢臼別平和盆おどり、宣伝ポスターを見ると、故川瀬氾二さんとアレン・ネルソンさん追悼の冠が付いている。
彼岸に向かわれた日付から言うとネルソンさんが本年3月25日、川瀬さんは4月20日だった。詳しくは知らないけれどネルソンさんは石川のお寺に葬られた、と言うので仏式の旅立ちをされたことになる。川瀬さんは宗教色のない彼岸への旅立ちだった。
川瀬さんのことで言うと、お葬式の事は業者と生前に契約を取り交わした話を本人から直接聞いていた。
奥さん、普美子さんの葬式を踏襲して宗教色のない質素な儀式を取り決めていたのです。
私は第22回矢臼別平和盆おどりから川瀬牧場に足を運んでいて、その時からの矢臼別ファンです。今夏はどのような追悼盆おどりが催されるか楽しみです。
ネルソンさんは確か10年前からの盆おどり参加ではなかったろうか。ネルソンさんの書かれた本を読むとベトナム戦での後遺症で普通の社会生活に戻れなくて困ったこと。そして漸く病を克服されて反戦活動に全力投球された方でした。
英語を話せない私は会釈を交わして毎夏の前夜祭を共に過しました。盆おどりの度に、あのくりっとした瞳を思い出すことでしょう。
川瀬さんのことは、ここ矢臼別で暮らす間は折に触れて書くことに。今も時々、「あっそうだ川瀬さんは居ないんだ」と。
8月7、8、9日が今夏の矢臼別盆おどり日程です。何時も話すことですが7日が前夜祭、この宵からの参加をお勧めします。
戦争をしない日本を創る運動を誓い合う盆おどりです。来場を待ってまーす。
09年7月10日記
川瀬西牧場への道路
7月8日朝8時半、道路補修の為の下見に業者が見えた。自分の車はトラックで4輪駆動車、でも春先の悪路は凍土が抜けるまで通行は出来ない土道。
しかし今夏はどの種の車でも通行できるように砂利舗装をして通行の便をよくしようとの計画です。
例えば宅配業者は東牧場までは365日配達は可能だが、西牧場は冬場は私が東牧場へ受け取りに行くことが多い。ユウパックの場合でも私が途中まで出向くことにしている。
1.4kmを橇に載せて配達は一苦労なのです。従って昨冬からはスノーモービルを使うことにした。
夏場はどうか、普通乗用車で天気の日は入れても、雨降りの日はおぼつかない。19年はどうにかこうにかやってきた。そして今も自分だけなら良い。でも今年の夏からは、というより盆踊りからはすんなり車が通行できるようにしたい。
後々、西牧場で暮らす人の為にも道は重要な生活条件です。で思い切って砂利舗装をすることに。これは公園クラブの事業の一環でもあります。
下見に入る業者がどういう見立てをするか? その答は直ぐ出るものと考えています。
1時間の下見で業者は工事段取りをたてました。ダンプカーで運んだ砂利を仮置きする場所が必要ということです。川瀬さん健在なりし時は一言で済んだ事が、今はそうは行かない。
関係者に連絡を取って、一段落13日から1週間の予定で工事は進みます。
完工予定は7月20日、川瀬西牧場もこの道が砂利舗装されると出入りのしやすい住宅になります。
先ずは盆踊りのお客さんが喜んでくれます。
09年7月3日記
家畜商のSさんの話
26日、街で用を足しての帰り道、Sさん宅に寄った。天気がからりと晴れ上がって草刈り日和。もう夕刻の搾乳の時間が近かった。草刈り場に行って話す機会があった。
今年は思った以上に草の収量が多いという。昨年一番草の収量が極端に少ないと聞いたのも今頃の話で。今夏は、初めて聞く話だがこれは朗報です。
これで以って今夏の草の収量を推量するのは少し乱暴かも知れないが、何か合点が行く節がある。
我が西牧場では三日に上げず井戸の水位を測っている。昨日はついに3m37cmを記録した。過去5年間で最高値を記録したことに。
昨年は何十年振りの降水の少ない年だった。私の直感、降水量に関係ありと。日照時間にも関係ありだろうけど、水が少ないと植物は生育しない。昨年6月27日は井戸の水深は71cmだった。
我が川瀬西牧場の菜園はブルーベリーのネズミ齧り害とジャガイモの生育不調で少し暗い雰囲気だが、今年の降水の具合は草の出来には良いようで何より。そんな思いになっている。
29日、20kmほど北側に位置する牧場の友人に草の出来具合を尋ねたら、草の出来は昨年よりは良いと言う。今夏の降水量が収量の多い理由らしい。私の読みと同じだ。
ジャガイモの生育不調は別の機会に話すことに。最終的には秋の収穫期に結論が出るのでしょう。で今一部で発芽状態が良くないのはそれなりの理由があるのです。
農業は難しい。遣り損なうとその夏は一巻の終わり。で遣り直しは来年の話になります。
ブル−ベリーの減収は来夏に期すより手はない。今夏はその為の充電の時間だ。来年を期して頑張ろう。
09年6月26日記
二度目の草刈り
気温が上がらなくて作物の生育が思うように進まない。だのに畑の周りや、ブルーベリー園の雑草は生育が早い。畑の畦は一度目を放置したので、もう出穂している。
とにかく草刈り機を使って6時間をかけないと二度目の草刈りは終わりそうにない。ブルーベリーはおおよそ110本が新芽を出して、ネズミのかじり害で死滅するところまでは至らなかった。
でも花芽を出したのは本の一輪も含めて50本余しか。枯れて死んでしまった訳ではないと来年を期して元気な果樹にしなくてはと思っている。
その為にも草刈りをちゃんとして樹の周りを調えてやらなくては。
草刈り機では行えない人参や花豆、ジャガイモの土寄せ、除草は手作業が主です。これに時間をかけないと良い畑にはならない。
天気になったら、除草作業を始めなくては。6月24日、ピカピカの天候。午前中は菜園の北と南の畦をきれいに草刈り機で、午後はブルーベリー園の除草を半分終える。
25日午前中にはブルーベリ園も果樹の根元を除いて除草が終わる。後は根元をきれいに除草することだ。
それが終わると、大根、人参、小豆、等々の除草が待っている。お天道様が顔を出すと土に根を張る生き物は成育が盛んに。だから除草作業を順々に進めないと雑草を作ることになってしまう。
今夏の課題は雑草は作らないこと、だから除草だけは努めないと。
09年6月19日記
西牧場は仕事が山積
12日朝、11日から降り続く雨。家の周りは池のように水が溜まる。13日、14日と雨模様が続く。とりで会館には11日から蕨採りのお客さんがいて、14日午前中に道南の方が帰られた。
釧路からも13日に蕨採りの方が西牧場に見えて日帰りされた。雨日和でも皆さん心得ていて雨具持参でそれなりの収穫をされて帰って行かれた。
私もだが、いま川瀬西牧場で困っていることは平和池の辺りで土道が未だにぬかるんで普通の車では通行「意の如くならず」です。
土道が水溜りになって、排水が容易に進まないと田圃状が進んで益々路面が悪化することです。
平和池の曲がり角がそのようになって、未だに春先からの悪路が解決していない。私と郵便屋さんは問題なく通行できているけれど、普通乗用車ではこの曲がり角を突破できない。
昨日、15日は2時間ほど時間を使って、少し補修をした。でも自分のトラックでも不安が一杯の道路事情です。
20年間曲りなりに東と西牧場を繋ぐ団結道路を使って生活を繋いできた。でもこれを機会に道の補修を本格的にしなくては、とつくづく思う悪路です。
蕨採りのお客さんは3人だった。そういう方にせめて車で会館まで来れる様な道にしなくては、と思う。
川瀬西牧場を知らない人が多いのは1.5kmの悪路が大きな理由かも知れない。東牧場に見えた方に西牧場を宣伝したことも無いのですが。
今夏は東と西を繋ぐ団結道路の補修も大きな課題になりそう。
それでなくとも忙しい畑作の日々なのに。
09年6月12日記
カボチャの移植先
6月5日、午前中と午後の2回に分けて温室の南側の畑地を耕した。耕運機をかけたのは10年も前か、移植する所だけを除草して1.2mの間隔で20株ほどを例年移植してきた。
今年は三島鍬で全面耕運した。かつてなかったことだ。60平方mほどだが、約3時間は掛った。
後は馬の冬の餌場から堆肥を運ばなくては、そうしたら移植だ。既にドングリの枯葉は適度に鋤き込んだ。
温室の中は早小松菜が収穫できる。これは夕食前に片手に一握り、これで夕食の惣菜が一品。熱いお湯に1分半湯通し、これにカツオ節を振り掛けると出来上がり。
レタスも何時収穫していいほどに成長した。これも近日、頂こう。トマトも実を付けているが、収穫するところまでは。
気を付けなくてはいけないのは、下手にするとカラスに初物を失敬されることだ。昨夏は初物をカラスに取られた。要注意。
カラスが温室の直ぐ隣のドングリの木の上部に巣を作って、昨日から夫婦して餌を運んでいる。
6月6日夕刻、カボチャの移植終える。20株を移植したが果たして秋には何個のカボチャを収穫することやら。
小豆も一部が芽を出している。とにかく気温が上昇しないので発芽の勢いが悪い。その内に勢いよく伸びるだろう。
これで初夏の農作業の第一段階は終わりだ。
09年6月5日記
27、30日と午前中
カッコーが鳴く。花豆は順調に芽を出し、22日に種おろしした大根が芽を出した。これも順調。人参は未だ。
播きもしない雑草も芽を出して緑一面になろうとしている。今夏の大目標は自分が播いた種以外の成長はさせない。これが大目標だ。どれだけこの仕事を成し遂げられるか、課題としたい。
例年困るというか手が掛かるのは人参の除草作業。少し気を抜くと人参が雑草に負けてしまうからだ。未だ人参は芽を出さないがもう花豆は5cmほどに背丈を伸ばした。そろそろ杖を立ててやらねば。今年も500本は必要。
今日は5月31日、雨降りだ。6月1日晴れ。午前中花豆の杖立て、約900粒の花豆に480本の杖を立て終わる。午後の3時頃だった。これさえしておけば、勿論除草作業を抜きには語れないが秋には花豆の収穫が出来る。だからこれを終えると今年も豆が取れた感じになる。
終日良い天気だった。カッコーが西の方で鳴いていた。数は精々2羽ほどか。以前は四方八方から聞こえたものだが。
遅い霜に何時襲われるかも、そんな天候が続く初夏だが、我が菜園の作業はカボチャの温室から露地への移植だけになった。
カボチャの畑には堆肥をもう少し持ち込んで、万全の構えで今夏は挑みたい。
今日1日、早朝は雨降り、午後はよく晴れた。2日も午前中は晴れ、午後は曇り、カッコーがよく鳴いた。そろそろカボチャの移植をしなくちゃ。そうしたら菜園の第1ラウンドは終了だ。
09年5月29日記
22日作付け終わる
雨が降る前に、と思っていた今夏の作付けを終わった。泣いても笑ってもである。カッコーは姿は見れど鳴く声を知らずです。
2日から種おろしをしたジャガイモ、今日22日ようやく芽を出した。隣町から頂いてきたメークインだ。16畝も種おろしをしたジャガイモ、今年はどのような結果を出すことやら。
最後に残っていた小豆、人参、大根も、22日に種おろしを。
23、24日と天気予報通り雨が降った。5月2日から始めたジャガイモの種おろし、これからは勢い良く芽を出すだろう。
菜園南側の林、25日には雨が上がって朝日に深緑が輝いている。今朝は未だ馬群は姿を見せないが、昨夕4時頃サビタ号が雌コッコを連れて牧場内に帰ってきた。早朝は単身だったので24日の出産に間違いない。これで今夏の出産は無事に終了。おっぱいも飲んでいるし、めんこい雌コッコだ。
残るはカボチャの露地への移植だけ。今年は虫媒に気を付けなくては、と考えている。昨年のカボチャの不作は天候不順に因る虫媒の不良では等と考えた。今夏は数少ないカボチャの株数、人工授粉を考えている。
26日、最初に植えたメークイン、あっちにもこっちにも芽を出した。キタアカリや男爵は眠ったまま。これからは毎日が楽しみ、地面のひび割れを探して回る。
27日朝、14日に種をおろした花豆が芽を出した。カッコーが鳴かないので心配していたら、28日朝8時43分、カッコーの初鳴き。大きな声で「鳴いたー」を連呼。ほっとしました。
今夏は雑草の駆除に精を出さなくては、農民は雑草を放置してはいけない、そう思う。
09年5月22日記
草刈りを急がなくては
ブルーベリー園がもう20cmにも青草が伸びて草刈りをしなくてはいけないほどに。とにかく暖かいと思っていても冬のような強風が吹いたり、カッコーが姿を見せているのに鳴かないし、今夏も気候が定まらない。
14日の午前中2時間ほど時間を掛けて花豆を蒔いた。昨年より3日早くだ。昨年早蒔きで収量が多かったので、今年はもう一段と早蒔きを決行した。
残るは、人参、大根、小豆、それにカボチャの露地への移植だ。これが終わると西菜園の作付けは一段落。
が先にも書いた通りで草刈りがもう迫っている。ブルーベリー園はネズミの齧り害で若い枝がことごとく噛み切られていて、坊主に等しい姿です。これでは今夏は実が生る筈がない。そう今は思っている。
完全に枯れた幹は5本に満たないが、被害を受けた果樹は100本余。早く立て直す夏にする為にも手は抜けない。
今週中には予定の種蒔きを終えて、除草の作業や花豆の杖立て作業に備えたい。
何だかんだと忙しい週だったが、昨19日行者ニンニクを採りに行った。30cmほどに葉っぱが伸びて1週間は採る時季を失したが、2kgほど収穫、ついでにコゴミも初収穫。何れも西牧場内で採れる山菜です。
今の季節、西牧場の菜園は忙しい。汗を流しながら小豆の種下ろしを一畝半にした。全くの新しい品種の種おろしです。未だカッコーは鳴かないが。
09年5月15日記
作付けは順調に
先月27日には雪が30cmも積もって、これは何事と思ったけれど、10日現在、作付けは順調です。
温室内は既に夏野菜の苗で満席。露地の27畝も略種下ろしは終わった。種蒔きのタイミングを見計らっているのは花豆の6畝、昨年は17日に種下ろしをしているので1週間早めて10日に決行しようかと。が思案した。
大根、人参が3畝ほど、これで露地ものは終わるが、順調に経過している。ただ心配なのはブルーベリー園です。未だ正確な被害は分からない、新芽がどれだけ出るか、越冬の準備を怠った付けは厳しい。折角始った収穫は何年も先に延びそう、ネズミの齧り害が酷いから。
昨年5月10日に霜が降りた。今夏は5月11日、朝3時−2℃、霜が降りた。早速薄明かりの中を畑に見に行った。萎れずに頑張ってるキャベツとブロッコリーたち。どうやら凌いでくれた。ほっ!!。
12、13日と久しぶりの降水があった。あっという間に枯れ草の地面が深緑に変化します。黒い地面が雑草の新芽で覆われるのもあっという間にです。
残る植え付けは人参、大根、小豆、小松菜の移植などです。11日の霜には冷や汗ものだったけれど、晴れたら一気に種下ろしを試みよう。
カッコーの姿は見かけるが、未だ鳴かない。昨年は花豆の種下ろしは17日、今年もその頃にしようか。
ところが13日夕刻、4時から10分間ほど雹が降った。畑が白一色に。そして雷が近くに落ちた。
今のところ作付けは順調なんだが、天候が定まらない矢臼別。
09年5月8日記
今年も褌農業
5月1日、例年頂く、トマト、茄子、カボチャ、ブロッコリー、キャベツ等々の苗をたっぷりと隣町のSさんから頂いた。車で1時間、午後1時に出かけて、少し歓談して帰ったら4時半だった。
この苗で昨年並みに我が西菜園は賑やかに成る筈です。
おまけにジャガイモのメークインまで頂いた。それに紅玉も。私は17年も同じ畑から取れたものを種芋にしてきたが、Sさんは新しい芋を毎年使うと言う。これも初めて聞いた。
私の我流農業は人に聞かれると「おかしなことをしているのかも」なのです。花豆も毎年次の播種に1000粒を残す。これがもう15年も16年も続いている。
自分の畑で出来たものを続けて使う。遺伝学的には良くないことなのか?知らぬが仏なのか、無知は怖いもの知らずです。
昨年はカッコーの鳴く前に花豆を蒔いて、上手く行った。今年も早く蒔いてやろうと考えている。Sさんは早ジャガイモを植え付けたと話していた。
今日は2日、先ずはジャガイモから植え付けを始めよう。霜には強い。12日前に30cmも雪が積もった。畑作と気象は切っても切れない関係です。船乗り稼業も気象とは深い係わりでした。
ここ矢臼別で冒険をする必要は何もない。
古い習し、カッコーが鳴いてから種を蒔くが、無難です。でも昨年は収量が増えた。今年も挑戦してみるか。
5月3日、西牧場は種下しで忙しい。朝7時頃芋の畝を切っていたら、鶯が初鳴きを。
夕刻には、男爵芋、キタアカリの種芋を15kgずつ買って帰った。
遊びのような畑作だが、これで今夏も楽しく過せます。
09年5月1日記
4月25日準備は出来た
今夏も菜園の畑の耕し作業は終わった。昨年は26畝だったが、同じ面積で27畝が出来上がった。
大体作るものは決っている。花豆、人参、大根、ジャガイモ、キャベツ、カボチャ、これらが露地物として。温室内はピーマン、トマト、キュウリ、これらが常連だ。
オオジシギが早姿を見せているし、カラスは巣作りに精を出している。矢臼別の風物でオオジシギの翼の風切り音は欠かせない。
が4月26日の低気圧の来襲は景色を一変させた。午前9時頃から時々降っていた雪が午後の3時頃から吹雪いて、夕刻には冬景色に変った。
野うさぎは外套が茶褐色に変っているので、雪の中では目立つ。雪が消えるまでは保身が大変だろう。
畑に植える品目は同じでも毎年植える場所は替える事にしている。それに今年はジャガイモの品種も思い切って替える事にした。
馬の出産はサビタ号が未だ。これは5月の中旬には出産だろう。
カエデ号の子どもは13日生まれだから略3週間、それにしてもこの雪にはびっくりしてるに違いない、初めてだから。
世間様ではGWとやらで賑やかだが、こちとらは畑作業で大忙しだ。作付けが終わったらゆっくり花見でもしよう。
4月27日朝、どうやら積雪、30cmは降ったようだ。未だ降り続いている。カエデ号の子どもが気にかかる。雪は3日も経てば消えると思っているのだが。
これで農作業も一服です。
09年4月24日記
川瀬氾二さん逝く
20日は西牧場の菜園で畑を耕す予定でいた。堆肥を畑に撒き終り、午前中は耕そうと。
いつもなら5時頃からネットで新聞を見てる筈なのに。この朝は6時30分、未だ眠っていた。起きたのは電話の音で。
川瀬宅に住んでいるWさんから、いきなり「川瀬さんのシンケイシの連絡」が病院からあって娘さんが病院に向かった、と。「シンテイシ」が「シンケイシ」と聞こえて理解できないままに川瀬さんに異変があったと判断した。
そしてWさんから2回目の電話が鳴ったのは8時過ぎ。朝の6時に亡くなったと。そして11時頃川瀬宅に帰ることを知った。
この日の来ることは覚悟できていたけれど、あまりにも突然でした。早い目にと10時過ぎに伺うと、はや川瀬さんは2階の会議に使われる部屋に寝かされていた。
知人のY夫人が顔を見せてくれた。物言わぬ川瀬さんの顔、とうとうこの時が来たのだ。昨年10月まで見た顔はもうこれからは見ることはない。一つの時代が終わったのだと思った。
今日から新しい川瀬牧場が始るんだと頭に刻んだ。
20日仮通夜、21日7時から通夜。21日10時お別れの儀式。11時雨の降る中を火葬場に。12時火葬の始まり、13時30分お骨拾い。14時15分矢臼別川瀬牧場にお骨になって帰る。
ここに川瀬さんの56年間の入植生活は幕を降ろしました。
川瀬牧場から35kmほど離れた別海町市街に娘さん夫婦とその子どもさん3人がいて、健在です。そして川瀬牧場には借家をしたり借地をして東牧場にはWさんが。西牧場には私が居て新たな川瀬牧場が22日からスタートしました。
22日午後4時頃まで降りしきっていた雨も太陽の沈む頃にはぴたりと止みました。
新しい川瀬牧場の始まりを西牧場自宅で再確認しました。
川瀬さん安らかにお休みください。明日からは私達が頑張ります。
菜園への堆肥持込(19日記)
温室内には軽トラック一車分の堆肥を手始めに持ち込んだ。初日は4車分を菜園に持ち込んだ。このペースでなら充分継続可能な畑仕事だ。
4月1日、温室内に蒔いたカボチャとキュウリが芽を出した。カボチャは15日に、キュウリは18日のこと。後者は4、5年前の残り種で発芽は無理かと思った。が10数粒蒔いた内2粒が顔を出した。カボチャは何十粒も蒔いたのでこれからにょきにょき芽を出すだろう。
1日の堆肥の持込を軽トラック4車分と決めている。が初日4車、2日目2車、3日目2車で予定のペースから落ちている。がこれはポニーたちが餌場に顔を出すと、作業を中断する。
とにかく金網で囲まれた菜園に隙あらば入りたくて、ゲートの開閉が思うに任せられない。で中断する。
少なくとも残り、8車分は持ち込んで、確りと土作りをしたい。
昨年はカッコーの鳴く10日も前に花豆を蒔いた。それで、今にも霜が降るのでは、と気を揉んだ。が霜の降りることもなくそれが良かったのか、花豆は豊作だった。
今年も少し早い目に種下ろしを、と考えている。やり直しは大誤算で、要注意です。
ブルーベリーはさっぱり新芽が動いていない。それで、どのような結果が出るか分からない。齧られていない樹幹がないほどに齧り害を受けているから。
ここ数年、最も期待度の高い菜園の品目だっただけに、気になる新芽の季節です。
昨年は別海地方のブルーベリーは不作でした。不作の理由は分からず。今夏のブルーベリーは齧り害ですから気象には関係なし。初めてのことだけにどんな結果が出ることやら。
09年4月17日記
西牧場の土作り
「その他」のページにBMWの技術の話を書いたが、畑の土作りをどうするかは農業者に課せられた大きな課題です。
20年近くジャガイモ作りをしてきたが、ここ18年は化学肥料を使ったことがない。友人が使っている化学肥料を本の少し使った、19年も前の話だ。
例年、キャベツやカボチャ、トマト、キュウリ等々の苗を頂くS夫人は毎年西牧場の畑で肥料は何を使っているのか、とよく訊かれる。
馬糞の堆肥だけだと話すと不思議がる。花豆もジャガイモも、まあまあの出来で秋の収穫を終える。S夫人は化学肥料を使っている為か、西牧場で化学肥料を一切使わず、並の収穫が不可解なようです。
私の胸中には畑作農業をやるなら家畜の堆肥なくしてやってはいけない、がこびり付いていて、転居の翌年からポニーの飼育を始めました。
当初、西牧場近辺には川瀬さんの馬が積み上げてくれた馬糞があり、それらを拾い集めたものです。自分がポニーを飼い始めてからは、それこそ自前の家畜堆肥で他に肥料を求めず、時には自家鶏糞も本の少し使って、19年ほどを過したことになる。
理屈は分からないが一つ覚えでやってきた。が先日、BMWの技術の話を聞いていて、土作りでは馬の堆肥の使用が理に適っていたように思う。
今春は未だ堆肥の搬入が終わっていない。堆肥は乾草餌場の周辺に積み重なっている。今冬の新しいものでなく、ワインではないが2年物、3年物をたっぷり持ち込まなくては。
しかし堆肥場は未だ抜けないでカチンカチンです。早く抜けろ。
09年4月10日記
温室の中には
4月4日、温室内で乾いた土に水を散布。出入り口を閉めていると、室温は50℃を超える。それ程に日中温度が上がる為か、昨秋2、3株残した小松菜の跡に小松菜が芽を出した。もう3年くらいこの遣り方が続く。
カボチャとキュウリの種、前者は自前の種、後者は何年も前、店先で買った残り種を。発芽するかどうかを確かめる為に4月1日に蒔いた。
夜は0℃近くまで気温は下がるし、昼間は50℃超の真夏の気温になる。かつて今の時期に種など蒔いたことはなかった。こんなに早く温室を整えた事もなかったが。
ブルーベリーが齧り害を受けた反省から、短い夏を充分に利用しようと言う気持ちが日々みなぎるからかも知れない。
とにかく新芽にはネズミの齧り害を予想して、殺鼠剤を用意せねばなるまい。露地のブルーベリー園では雪解け時になって散布した殺鼠剤、きれいに食べ尽くしてくれた。後の祭りだったが。
今年は転居来のジャガイモを新しい種に替え様と思っている。昨年までは自宅の室で保管して食べ残したものを種芋として利用した。
17年間はワセシロと言ったかを年々、今年は思い切ってキタアカリにでも、と考えている。年相応に種芋の数も減らそう。
それに今年は小豆を一畝新たに蒔いてみたい。花豆は並に作れるが小豆は初めての試み。上手く行くかどうか。新しい挑戦です。
09年4月3日記
温室内は夏
3月29日朝6時半、カーテンを開いてびっくり。10cmの降雪で一面冬景色に変身。温室の中は26日夕刻には整地が終わって、種蒔き、移植はいつでもOKです。
東からの雪が夜中から降り続いたようです。我が家は屋根の傾斜が約45度、である程度積もると自重で自然落下、雪下ろし作業はない。
29日朝は冬に戻る。が夕刻には雪解けが進んで殆ど地面が見える。春がそこまで来ると、降った雪解けが早い。
もう南側の林は林床に雪はなくコゴミの株が日光を浴びて真っ先に新芽が動き出す。残念ながら金網に囲まれたブルーベリー園、菜園はネズミの木皮齧り害で見るも無残な姿にされたが、これは自分の認識不足から起した被害。当ってゆく所が他にはなく、自己の非学を責めるより無い。
今年は何とも面白くない出鼻になってしまった。でも萎えることは無い。これから始るのだから体制の立て直しを早くすることだと思っている。
最近、日野原重明氏の本を読んだ。97歳になろうかと言う人が書いた本で「新老人」会を立ち上げたと言う。何と75歳からでないと入会出来ない。90歳を超えて生きてる人の言う事は説得力がある。
時に長寿者が「まだまだ雛なぞ」と云うのを聞いて、いい加減にしろ、と笑ってしまうことがあるが。
70歳を超えたばかり、まだまだ若い。遣ろうと思えばいろんなことが出来る年。自分に出来ることを見つけてやる。
それで良いのだと思う。ボツボツ遣ろう。
09年3月27日記
馬たちはやはり
暖冬であったことは全国何処も同じで、福岡などでは桜の開花が3月13日に報じられた。我が西牧場も菜園は灰を撒いた所為でもあるが、もう一面黒い土が顔を出し。未だかちんかちんに凍て付いてはいるが、土が見えてくると気持ちが何かをしなくては、とつい思う。
先ずは温室の中を整備してトマト、茄子、ピーマン等々の植え付け準備をしなくては。昨夏は蔓インゲン豆、トマトは思った以上に収穫した。でも他は押し並べて不作だった。
欲張って株数を増やし過ぎたのがよくなかったと反省している。特に蔓インゲン豆の己生いの株数を残しすぎたのが良くなかった、と。
これは意識的に蒔いたのではなく、一昨年の実が落ちて自然に温室内で芽を出したものをついつい残したら、あちこちで勢いを増したのです。他の物はそれに勢いを取られて不作に。しかし冬枯れした鞘を取り込んだら1.5kgの予期せぬ収穫。で玄米とインゲン豆御飯の元になった。今夏はもうその手は使わないで計画的に株数を決めて温室内を管理したい。
己生いの話をすると温室内には小松菜とシソもちゃんと種が蒔かれていてこれは面積を限って育てることにしている。
今週は温室を手入れして何時でも苗を移植できるように備えたい。
表題に戻ります。暖冬の所為か21日から乾草餌場に馬の姿はない。周辺の森の中に姿を消したようです。彼らは笹が顔を出すと乾草よりは美味しいのか餌場には帰ってこない。
4月、5月に入らないとコッコは生まれない。乾草を1ロールは残している。時々帰ってくるのだろうが、馬にも春の季節が。
内地の開花予報を見ていると、矢臼別で桜の咲くのは5月初旬か。
09年3月20日記
14日大雨が
天気予報では午前中は雪が降って、後降雨だったが、今回も予報は外れて夜中から早朝にかけて雨が降った。
一時は積雪が畑に70cm程あったのに、春を呼ぶ灰を撒いた所はもう地肌が見えて、融雪効果抜群です。
昨年は菜園に馬糞の堆肥を軽トラックで20台分ほどを秋口に持ち込んでいた。だからその分畝作りも早く、花豆の種下しも早くできた。何かしら今春は堆肥運びが遅れているのが気懸かりです。
昨年は思い切ってカッコーの鳴く10日も前に花豆を蒔いたら、それが功を奏して豊作になった。さて今夏は?如何に。
17日午前10時頃温室の整地を始める。その時、気になったのが陸わさびの新芽がネズミに食い荒らされていること。
大雨の後で桜の幹、ブルーベリーの幹、夫々が根元を曝け出している。今年は殺鼠剤を配布するチャンスを大雪で逃していた。後で気の付く何とやらで、根元はことごとく木皮が食い荒らされているのではないか、大失敗をしてしまった。今年は出だしが良くない。
まだ100%駄目になった訳ではない。急遽殺鼠剤をブルーベリーと桜の根元に仕掛けた。そこまで春が来たのに憂鬱な春の始まりとなりました。
最も期待しているブルーベリー園、今夏も収穫はおろか、果樹園の存続が脅かされている。
毎年続けた殺鼠剤の散布、やはり毎年続けないといけないのです。散布忘れが悔やまれます。
09年3月13日記
5日乾草を出す
天気予報は6、7日と湿った大雪と予報がでた。雪が降る前に、と5日午前中に2本のロールを餌場に出す。
前日に餌を転がす雪面を地均ししておいたので作業は簡単な筈なのに、そうはいかない。かなり古いロールなので三角形おにぎりのように変形しているからだ。
その上雪解けが進んで餌場には水溜りが出来ていて茶褐色の水溜りがあちこちに。地面は糞だらけ、がリアルな表現か。手にはめた軍手も糞だらけです。時々ロール出しで餌場の路面に転ぶことがある、今日は転んだら大変です。
何時もの事だが約4倍力のテークルを仕掛けて、円筒形に立っている物は横に寝かしたり、2段積みしているものは上段から落としたり、とテークルなしでは成しえない仕事です。
2ロールを餌場に出して1時間半、これで3月中は間に合うだろうと作業は打ち切った。馬たちは先に出していた乾草から離れて、中には倉庫内にまで侵入して自らが触れたことのないロールに口を出す。
本当の馬飼いなら、ここで馬を使って楽々とロールの餌出しをするのだろうが、馴致を怠っている西牧場では夢のまた夢、みたいな絵空事。でも今回も一人力で餌出しが出来た。
何mmの降雨だったか分からないが6日夜中から朝方にかけて激しく雨が降った。餌場の直ぐ傍には馬小屋があって、馬たちは食が終われば退避するのだが、様子を見に行くようなことはしなかった。こちとらは激しい雨の音を聞きながら夜具の中。
西牧場の馬たちはたくましい。風邪を引くこともなく元気にしている。
09年3月6日記
乾草ロールを幾つ出す?
今週の大仕事は乾草ロールを出すこと。12月に5ロールを出して、1月末に3ロールを出した。3月1日現在残りは1.5ロールで1カ月に略3ロール平らげることが分かった。当たり前のことですが1月末に出したロールが美味しかったのか、きれいさっぱり後で出した乾草を先に食べつくした。
今週は降雪が無さそうだし、2週間分は餌場に残っているので月半ばに2ロールほどを出してやれば暖かだった冬も終わり、クマ笹が顔を出してくれそうに思う。
クマ笹が顔を出すと殆ど乾草は食べなくなる。だから乾草を余るほど出さない、これが餌出しの骨だ。
餌場に一夏曝して置いても、腐ることもなく冬が始ると馬たちはそれを食する。しかし新しく出したものとは味が違うので、食べ残すことに成る。
現在西牧場在籍のポニーは9頭です。今春の出産予定は2頭で出荷予定は4頭。馬飼いも年と共に縮小を考えていて、まあ2頭の出産は丁度好いところか。
自分で餌だし、捕獲が出来る間は馬飼いもする、農作業もする、これが川瀬牧場流だと思っている。ロールを一人で出せることは1月にテスト済み、今週か来週に3ロールを出したら冬の餌出しは終わります。
気象庁の発表だと今冬は過去最高の気温を表示したという。その分融雪も進むのだろうが、例年の如く菜園には灰をばら撒いて融雪を早めよう。
乾草も幾ロールかを餌場に出そう近々に。春直前の野外作業です。
09年2月27日記
スノーボービルの落とし穴
22日は雪が上がって、さてモービルの出番とエンジンを起動。起動して、回転数を上げるが前には進まず。少し埋もれていた車体を掘り起こして回転周りを点検。全くの素人でが、フロントのカバーなども開放して点検、が特別に変わったことはなし。
そうこうしていると、何がどうだったのか、前進を始めた。それでいつも走る川瀬旧宅を一巡する。
雪は50cmほど積もっているが、これなら東まで走れるかと判断、いつもの道を走ることにして西牧場を後に。走ること50m、左に大きく傾いて停止。
ここに放置する訳にもいかず、これからが悪戦苦闘でした。積雪高は1mはたっぷり。モービルの長さは3mと少し。180度方向転換をして、動くと思いきや1mの壁を押しのける馬力はなく5m程をスロープにして漸く脱出に成功。費やすこと1時間半、西牧場に帰った。
モービルの重量は約200kg、重心と予想するところを支点にその周辺を除雪して180度の方向転換を、これは友人の石塔作業場で身に付けた仕事の知恵で、今回も大いに役立った。
西牧場で何かが起こった時は先ずは一人で遣らなくてはならない。スノーモービルが便利なことも良く分かったけれど、パウダースノーが降った後は車体の沈降が大きく、意の如くならず、が良く分かった。何とかして東牧場まで、モービルで、圧雪道を作りたいのだが。
今日、23日は9時過ぎから、モービル起動。無事に西牧場の出入り口を通過、昨日埋まった地点も通過してほうほうの体で東牧場に、がここで叉雪に埋まってしまう。車庫に置いてるスコップを取りに行くことが大変。四つん這いで20mを往復。それから1時間半雪を掘る。今回は90度方向転換だ。川瀬さんの郵便受けから郵便物を取って帰ると12時だった。
これにはおまけが付いていて、西牧場出入り口手前、70mで左に傾いて進行停止。放置して昼食をするため現場を離れる。
下半身、濡れ鼠、昼食後の午後2時、モービル堀に出かける。疲れたからと放置は出来ない。1時間半で朝出かけた時の轍に乗って一安心。もう大丈夫と一時停止。置き忘れたスコップを取りに行ったのが失敗の元。エンジンの回転数を上げて発車しようとしたら、叉埋没。
もう雪掘りはなれた者、10分程で西牧場に向かって始動。帰宅したら午後の4時でした。
モービルの使い方を確りと学習しました。手や腰の痛むこと。身体は疲れました。
使い方をよくわきまえなさい、と言う忠告か。恐れ入りました。
09年2月20日記
大きな潮目の年に
川瀬牧場を留守にしている川瀬さん、今も留守が続いています。
2月12日自身の健康診断で釧路の病院に行った。で同じ病院に入院加療中の川瀬さんをお見舞いした。
その時の所感を書いておきます。昨年10月7日緊急入院した日はいつもと変わらぬ川瀬さんでした。10月20日午後、20分足らずの手術後の4人部屋での面会、この時は何時もの川瀬さんで、傷口が癒えたら川瀬牧場に元気に復帰するものと楽観しました。がその次のお見舞は11月25日で、10分間ほど個室で眠って居る川瀬さんを見舞って一言も交わすことなく部屋を出ました。
そして術後三度目のお見舞いが釧路勤医協病院でした。この時も10分間くらいベッドの脇で語り掛けましたが意思疎通はありませんでした。
私の面会後日に言葉を発したり、目を開けて反応したようですが、私の面会時には意思疎通は全くゼロでした。
それで、最悪の健康状態からは良くなったのかも知れませんが、再び公園クラブの工事などを取り仕切る川瀬棟梁には戻れないのでは、と悲観的な判断をしています。
「温泉を掘ろう会」の代表であり、「矢臼別平和公園クラブ」の代表でもある川瀬さんが川瀬牧場を不在にすることは大きな痛手です。
私は「矢臼別平和公園クラブ」の事務局として、「温泉を掘ろう会」の事務はH・K氏が川瀬さん不在の間の事務局を担当することで2月15日話がまとまりました。
予てから話してきた事ですが、運動の後継者を作ることが早急に求められています。
それで若き新住人を改めて募集致します。
09年2月13日記
ジャガイモの話
今や北海道の釧根地方は酪農地帯として日本の最先端を行く地方となっている。我が川瀬西牧場はその昔から酪農をやらないで馬飼いで生計を立ててきたが。
私は年金生活者として川瀬さんが東牧場に転居した後、西牧場に十数年後に移り住んだ。その後、毎年ジャガイモを植えて収穫をしている。しかし主食化は出来ないで専ら米食で過してきた。まあ日本人としては至って標準的だと思っている。
もうこの年に成って、ジャガイモの主食化を云う積りは毛頭ない。が、その気に成れば食糧の100%自給化は出来る地方だと思う。
エーコさんがジャガイモはペルーからどのように広がったか、という本を送ってくれた。米が主食として不自由しないだけ取れるのだからいまさらとは思うのだが。北海道は日本国の食糧庫だと思う。
日本海側で米が取れる、道東でもジャガイモが取れる。
ジャガイモ伝播の話を読んでいると戦前から澱粉を取る工場が北海道にもあってジャガイモが有望視された時代があったことが分かる。
船乗り時代にドイツに行って、ジャガイモが主食的に食べられていることを知ったが、国が違うと色々あるんだと分かった、30年余も前の話だ。
川瀬西牧場では酪農は試みさえもされていない。しかし別海町は最初に話した通りで、日本の酪農の最先進地域です。肉も豊富、乳製品も豊富、政府が間違わない限り農業は展望がある地域だと思っています。
問題は政府の農政です。食糧は自前で、という心意気がなくては。そしてアメリカの頚木から放れなくては。
09年2月6日記
スノーモービル効果
1月30日、午後1時半に西牧場を後に、徒歩で街へ向かう。晴れで風はなし。買い物マイバッグを肩から掛け、いつものリュックも背負って歩くこと17分。東牧場の車庫に着きました。車で駅前市街へ20分。あっちこちと寄り道をして、帰ってきたら午後の4時半でした。
先週も少し書きましたが、モービルの効果がこれほど大きいとは思もしなかったこと。時に酪農家の友人に頼んでトラクターで除雪をお願いしようかと思ったことがありました。叉自分でトラクターを買い求めて、1.5kmを除雪することなども。
若いと思っている間、いやつい最近までは雪道を歩くことに何も不自由は感じなかった。それが最近は体力の衰えを感じ出して、スノーモービルに思いが進むのだが、モービルの雪道舗装効果にはびっくり。少し出費はするが、これで降雪初日の大疲れは回避できるし、モービル走行で雪舗装が終われば歩く歩く運動は出来るし一石二鳥の利得が生まれる。
そろそろ馬たちの乾草を出さなくてはいかん。倉庫の出入り口を除雪しなくてはならないが、モービルの圧雪効果で乾草ロールの倉庫からの搬出作業の準備を・・等とも考えている。
20年目を境に西牧場の冬は少し変わるようです。
31日午前中、2時間掛けて乾草ロールを3本、D型倉庫から餌場に転がして運ぶ。これは10数年続く冬場の餌だし作業。
基本的には5倍力のテークルを仕掛けて、一人力で5人分の仕事をする。今年もそれが出来た、めでたしめでたしです。
これで今冬の草出し作業は終わりに成るや否や。今年は暖冬、馬は雪が少なくなると乾草よりは笹に向かうから。
09年1月30日記
20回目の冬
川瀬西牧場で迎えた19回の冬、スキーやカンジキで自宅と東牧場の車庫1.5kmを自力で行ったり来たり。そして20回目の冬にしてスノーモービルを導入した。09年1月23日のことでした。
頼んでいた業者が午前10時頃、セコハンのモービルを西牧場に持ち込んでくれました。居間にいると9頭のポニーが一斉に菜園南側を西の方向に走り抜けた。2基のモービルの時ならぬ音に驚いて餌場から西方向にかわしたのでした。
ポニーたちにとっては冬、西牧場で聞く初めての音で、驚いて当然です。
今日は金曜日、福祉牛乳の配給日。モービルの扱いを一応教わって、午後1時にエンジンを起動しました。1回の起動動作でエンジンはかかった。午後からは雨が降り出していたが、東牧場までは5分で到着。東屋にスノーモービルを置いて、街に出かける。所用を済ませて東牧場に帰ったのは3時半頃、そして西牧場には3時35分。
楽なこと楽なこと。今日の外出、モービルのお陰で疲れはゼロです。その分運動能力は衰えることになります。
これで疲れることは無くなったけれど、基礎体力を維持するための運動を意識的にしなくては、と思う。勿論室内運道具は調えている。老年の運動は歩行を毎日することにありと認識しています。室内運動はこの運動具でこまめに続けなくては、と考えます。
後一つ、モービル運転の安全を守ることも重要課題です。
今日はスノーモービル初日、良き記念日になるように、安全運転を祈念しなくては。
昨28日昼間、モービルの走った跡を歩いて東牧場へ、雪道はアスファルト舗装のように歩きやすく17分で東屋に。これも有り難い。
09年1月23日記
通販のキング
現在流の買い物は通販に限る、が川瀬さんの生活物資の購入方でした。それで心中、川瀬さんを「通販のキング」と呼んでいました。
家庭での医療器具から始って健康食品、その他日用品、特に食品についても殆どは通販からの購入で賄っていたように思います。
吉野家の牛丼を食べてみないかと頂いたのも、川瀬さんからでした。通販のカタログで色々読み比べて、これと思うものを取り寄せていました。
車を使ってわざわざ出かけなくても、ちゃんと家まで配達してくれるから、がありがたいと。東牧場は雪が降ってもその日か翌日に道が開く。西牧場のネックは冬の降雪で1.5kmの徒歩が問題。これが冬場の3カ月を不便にしていました。
この冬場の3カ月を一挙に解決してくれるのが、スノーモービル。生鮮野菜も必要な時に適量求められる。それに時には届く田舎からの贈り物も。安全運転で片道10分、スノーモービルが走ってくれる。
降雪初日のカンジキ歩行が片道1時間、2回目の街行きが片道30分。そして未だ試していないモービルなら片道10分。ここに来て燃料消費に加担するがモービルの試運転が近づいている。業者に頼んでいたら今週中に何とかしようと言ってくれました。
川瀬さんに習って通販を矢臼別の日々に取り入れて見よう、そんな思いになっています。
先が短くなっての生活様式の変更だが、これ位はお天道様許してくれるでしょう。
09年1月16日記
天気予報当る
9日夕刻東牧場の車庫に車を置いて明るい内に西牧場に徒歩で帰った。20分と少しで帰れる。10日は朝から曇り、そして午後3時頃から東風の吹雪が始った。予報では50cmほどの降雪とか。
そうなると初日はカンジキで略1時間。足跡が固まると30分で歩けるように。
11日朝、気圧は上昇傾向、風も少しは静かになった。でも今朝は景色が一変した。白一色の世界に豹変で、積雪40cmはあろうか。北緯40度線に沿って低気圧が発達して通過すると道東地方は大雪になる。東の車庫に車は避難しているので問題なし。こんな時は家の中で嵐が過ぎるのを待つ。馬たちが少し気なるが。
12日朝快晴。雪は重い。昨日は姿を見せなかった馬たち、今日は乾草餌場に勢揃い。11日は温室の屋根の除雪に1時間を費やし。今日は車庫前の除雪に向かう。喘ぎ喘ぎカンジキ歩行に1時間、車庫前の除雪に1時間半、そして帰り道略1時間、疲れた。いつもことだが大雪の後は車庫までのカンジキ歩行は疲れる。冬本番の始まりです。
川瀬さんが時々話してくれたこと。「私が冬の生活が大変だからと東に転居した歳に同じ歳で西牧場に転居して住み始めたんだから・・」、と。それから20回目の冬の生活。
車庫の除雪からの帰り道、ふと思いついたのはスノーモービルで雪道を行ったり来たり。これなら今日ほどの苦労は無い。年を重ねた証か、最近はこんなセリフが多い。
楽な方、楽な方に考えがちな生活の仕方。少し思案をするところだが、ついそんなことを帰途に考えた。
09年1月9日記
雪の少ない別海町
1月4日、本年初めての外出をした。師走の29日にも街に出る用事があって国道を走った。路上には雪のかけらもなく夏道同然。道路側の草地には雪はまばらに見えるだけ。積雪ゼロに等しい状態です。白一色の世界ではなくて、枯れ草一色の世界です。
昔から日本海側に比べて雪の少ない太平洋側でありますが、50年前の別海町と今の別海町明らかに気象面でも変わったようです。
ただ、西牧場は雪がまだ4、5cm残っていて、白一色の世界です。とは言え雪が降らないと市街地の牧草地のように枯れ草一色になるのかも。
大晦日、温室の屋根の支柱が気に掛り温室内に入る。と温室内で取り忘れた蔓インゲン豆、からからに乾いて鞘があちこちに垂れ下がっている。二度くらい夏場に試食したが、昨夏は温室の収穫をおろそかに、労力は薪の準備に注いだ。
が、 ここまで出来たものを放置する手は無いと温室内で収穫した。実にして量りにかけたら1.5kgもある。思わぬ収穫物。
その内に玄米と豆の比率を5:3で圧力釜すいさん、試食しよう。
食糧自給率を40%から如何にして高めるか、西牧場で生産される農産物を自らが食する、子どものままごとのような、と笑われるかも知れないが。
温室内には後一つ、陸わさびがそのまま眠っている、これも珍味の一つです。カチンカチンの凍土を掘って、これも試食してみたい。麺つゆに入れると美味しい。井戸の水枯れが心配されたり、色々だけど楽しみも結構あるものです。
09年1月2日記
年の初めに
昔からの言葉に、一年の計は元旦にありと。
収穫を終えた時点で農園の総括は終わっていて、来年はこうすると決めていた。それは「来年も同じ作付けをする」でした。
ただ今年は少し様子が変わる。平和公園の事業計画が川瀬さんの入院で大きく変わった事です。橋の完成や、次に計画されていた散歩道の造成計画などの見直しです。
高齢の川瀬さんにはたとえ退院されても仕事はしてもらえない、と思っています。で取り敢えずは橋の木工作業に自らが挑戦します。順を追って散歩道の造成にも取り組みたい。
公園事業は資金と人材(労力)で仕事が進捗するもの、今まで資金はクラブ会員のカンパで、人材は川瀬さんの勤労奉仕が主で、外からの勤労奉仕は従でした。今年からはここの兼ね合いをどのように取り組むかが課題です。
橋の木工工事の継続は私がするとしても、散歩道の造成は設計図から練り直しです。突然の入院で設計図は川瀬さんの頭の中に留め置かれたまま。
川瀬牧場の現住人は私、Wさんの2人です。
昨年までは川瀬代表と事務局の二人で計画を立ててそれを実行して来ました。今年は片肺でのスタートとなります。川瀬牧場の新たな出発点、計画実行には新たな方策が必要です。
ここに生きる住人の大きな目標は矢臼別平和公園の建造です。川瀬さんと昨年9月まで話していた構想を如何に実行に移すかです。
畑作を続ける、公園事業を継続する、この事を年の初めに心に決めて、後細々したことは追い追い決めることにします。
08年12月26日記
冬至に2度目、25日は雨
初雪が師走の11日。二度目の雪が21日。20日には初雪が消えうせ、ぬかるみ掛けていた地面が22日朝はきれいに雪化粧を。
21日夕刻に車を東の車庫に移した。予想では大雪ではないが、当てにならないのが天気予報。車が西牧場で立ち往生では笑われる。その前に車を移動させるがここのルール。
川瀬さんの病状は少し良くなったとの後、昨25日に平和の家の住人Wさんから最新ニュースを。孝仁会病院から同じ釧路の勤医協病院に22日転院したとの話で。これからはリハビリが大切とか、を聞きました。それで今年は長年続いた川瀬さんの餅つき風景が見られないのでは、と思います。
餅つき大会は29日、今回は42回目です。私の参加は20回目。
1週間天気予報からすると、続けて降雪の天候はなさそうなので車で行き来が出来そう。車を使うと10分で片道を、徒歩なら20分から30分が所要時間です。少し時間が掛るだけ。大したことではない。
高齢になると健康維持が日々の課題と思っている。自力歩行が健康維持では大切です。21日、東の車庫から徒歩で帰宅したが、22分で歩いた。
22日朝の降雪は精々15cmで、25日の降雨で半分はとけた。徒歩でも不自由なし、そんな訳で当分は車で出入りが出来ます。
今年は車の燃費の関係で外出は極力少なくし、週3の外出を週2に抑えた。冬場は引き続き外出を抑え、尚且つ安全運転に注意を払いたい。
降雪は私の健康の源です。車庫からの徒歩が健康管理に効果抜群です。
08年12月19日記
初雪降る
12月11日夜遅くから12日早朝にかけて初雪が降る。朝起きると原野は銀世界に降雪10cmか、待ちに待った冬景色。
寒かったり、暖かくなったり、行ったり来たりの冬の始まり。この雪が根雪になるのかどうか?
14日駅前に出て政党宣伝の看板などのポスターを張り替えたりして駅前市街を中心に車で回った。
もう20回目の冬を迎えるのだが、冬は車の運転が大変です。2時間ほど車を走らせたが、二度位前輪をスリップさせてしまった。スピードを出していないのでヒヤッとするだけで、難には至らなかった。
昨年は師走の6日に凍て付いた草地の上を馬に引き摺られて、腰椎の圧迫骨折。これは自らの判断ミスによる難だった。
今冬は年末になって5頭のポニーを市場に出した。怪我することもなく、無事に野生に近いポニーを西牧場から外に出せた。これは安くてもほまち商いで思わぬ実入りでにっこり。
最も心配だった1歳半の雌馬と雄馬の捕獲は思いもよらぬ上出来の仕事でした。この捕獲で来春の種牡馬の争いは解消した。これで、一安心。
未だ車は西牧場に置いたままで、大雪が降って東牧場の車庫に車を置くと、本格的な冬の始まりです。
冬用の灯油を今年は補給なしで、250リットルの昨冬の残りで過すことになる。薪はたっぷり蓄えたので心配なし。ただ気を付けなくてはいけないのは火の用心だ。
自家から火を出すような事のないように。
08年12月12日記
5日夜また雨が
日本海側は前線の通過後は雪になったようだが、別海町は雨でした。不思議と水溜りにならないで降雨は土の中に直ぐ消える。地下水の水位が上がる分有難いのだが、道悪に閉口する。
そんな訳でかなり土道に深くてジグザグの轍を作ってしまった。金曜日は福祉牛乳の配給日でもあり、週一の買い物で街に出る。
降雪が40cm超を予測する前日まで車は西牧場に置く。それで毎初冬、雨の降る間、土道はがたがたに、気温零下で凍土になって、を繰り返す。
今日は6日、平和の家の床の修理をする為に、俄か大工で東に出勤した。住人のWさんの朝の仕事を終えるのを待って、10時過ぎから1階6畳間の床を一坪分剥がす。
開けてびっくり、酷いネダの腐食です。略4年間で綿のようになっている。床が下がって、隙間になった所から茸が出てきたという昨年の夏、茸にネダが食べられてしまった訳です。
続き部屋の台所の6畳も西側で床が下がっている。ここは基礎に通風口が無くて、と川瀬さんが危惧していた床下でした。1時間ほどの下見作業で大仕事であることを確認。
これを俄か大工が請合うには時間の掛る仕事だけに、冬の間に修理を終えるにはひと苦労です。
思案をしていると、Wさんが一言。川瀬さんが入院中の留守宅を借りる話が娘さんからあった、と。それが叶うと夏場に床修理の時間はたっぷり取れる。
12時頃に一先ずめくった床を仮復旧して、家路についた。
俄か大工の仕事は来夏まで延ばすことが出来るが、公園のクラブ活動は忙しくなりそうです。
08年12月5日記
11月30日は生暖かくて
1時頃から音を立てて降雨が。11月としては何十年振りの寒気が来て、もう冬かと思っていたら、またまた西と東を結ぶ道路は泥んこ道に。降った雨は土に滲みこんだ。降雨は浅い井戸の水位を上げてくれそうだが。
夕刻東牧場へ新聞を取りに車で、平和池の手前200mで車を降りて、徒歩で東牧場に。道は平和池を挟んで500m程は坂道、4輪駆動車といえども、スリップで立ち往生しかねない。案の定、徒歩でも滑る道悪でした。
昨年は12月6日に凍土の上をポニーに引き摺られた。今年はその引き摺られた雌馬を市場に出したい。訳は新春には発情するから。
今日は12月1日、気温は−4℃に下がった。もう雨も降るまい。次なる仕事は馬の捕獲。午後1時、屋外に出るも馬は見えない。大きな声で「ぽーぽーぽー」と呼ぶと、南の方から姿を見せる。
最初の捕獲馬は来春、2歳になる雌馬。塩をチャツに入れて待つこと10分、他のポニーと一緒に雌2歳が入る。おもむろに入り口を塞いで捕獲は簡単に出来た。
家畜商のSさんに電話を。留守、で9km先の牧場まで出向いて引き取りを申しでる。で午後2時半頃、2歳雌馬は運搬車に積み込む。
これで今日の仕事をお仕舞いにしようと思っていたが、馬群で最も力の強い1歳半の牡馬が塩欲しさにチャツの中に。
家畜商のSさんが捕獲をしようと言ってくれる。1時間半を掛けて捕獲に成功。積み終わったら日没前でした。夕暮れに2頭と別れたが、何時もの事ながら少し寂しい想いに。
昨日は道悪で何もしなかったが、今日は予想外の馬捕獲。未だ雌馬2頭、雄馬2頭が残っているが先ずは一段落。
08年11月28日記
馬の捕獲は監視の後で
寒い寒気団が20日から北海道を包み込んでいます。お陰でと言うか、寒い冬の始まりです。二兎は追わないことにして海兵隊が射撃を終えるまでは監視行動に専念です。
夜にはー8℃まで気温が下がりますから、道路のぐちゃぐちゃは解消しました。後は寒さ対策です。
紀伊半島の潮岬に近いところで育ったので、土地が凍って夏の地表が膨れ上がることなど、ここに住むまで未経験でした。
水道の水落し等もここに来て覚えた生活習慣です。ちゃんと冬支度をしたつもりが、そうでなかったら大変です。水道管が破裂して水漏れ事故の発生となります。
人は暖房を石油ストーブか薪ストーブか電気ストーブで寒さに備えます。我が西牧場は石油と薪の2本立てで備えます。が、主は薪の燃焼です。
ポニーたちは自前の毛を5〜6cm程に伸ばして立派な外套に着替える。夏場は1〜2cm位の毛足なのに。暖房器具なしで厳冬を乗り切るのですから、凄いです。
今年、2月に東牧場に仮置きした楢材を7月末に西牧場に運び、ストーブに投げ込めるように仕上げて家の周りに積み終えたのは10月でした。今年は思わぬ労力を使って冬支度を。
今、東牧場の監視テントには薪ストーブが据えつけられて、暖房話がよく出ます。
年をとると薪割が大変なことも話題に。西牧場は5年分ほどを貯えた。だから5年は頑張らなきゃ等と、冗談を飛ばしています。
監視が終わると、馬の捕獲が待っている。
降雪前に懸案の一仕事を、これをしないとゆっくり正月も出来ない。
08年11月21日記
馬も海兵隊も大工も
他でもありません、馬もとは馬の捕獲の残り仕事。11頭の群は専ら演習場の中を闊歩しています。海兵隊もとは13日に演習場入りをしましたから、監視行動を強めなくてはならないと言う事で。大工もとは橋の木工工事と平和の家の床凹みの修理工事の事です。
もう老齢なので、あくせくとは働かないけれど、川瀬さん式にゆっくリズムで課題をこなしたいと考えています。
今年の監視行動で最も変わったことは川瀬さんが矢臼別に居ないこと。病気加療のために矢臼別を留守にしたのは、初めてです。
それに大工仕事を川瀬さんに受け持ってもらえないのも平和公園の事業を進める上で大きな痛手です。少しは大工仕事の真似をします、で時間が出来たら床の修理から始めたいと思っています。がおぼつかない限り。
馬の方も雪が降るまでに何頭かを捕獲しなくては、と思っています。1歳半の雌は来春は2歳、発情するかも知れない。そうなっては近親婚になるので回避しなくては。
堆肥の菜園への運搬は未だゼロ、今年はもう見送ろう。来春は忙しいが、自分の体力に合った農作業をと思う。
最後は矢臼別平和公園通信の発行です。秋号の発行は11月23日発行を予定している。元々手際は良くないから、もたもたしています。その昔、夏休みの宿題をやり終えたことのない子どもでした。
それに家の中は今も大混雑状態。師走にこそ大掃除をと考えていますが。
あれも、これも、それも、と仕事の山が次々と見えます。一つ一つ、やろうっと。
08年11月14日記
馬を捕獲しなくては
11月8日午前10時、馬の捕獲作業を始める。久しく与えていなかった鉱塩を片手に3頭グループをチャツに引き込んで入り口を閉鎖、囲いへの引き込みは上手く行った。後は頭絡を掛けること。
先ずは17歳の雄馬から始めて、次は7カ月のコッコ馬を、そして最後は16歳の母馬に、順調にモクシ(頭絡)を掛ける。約1時間でモクシ掛け、捕獲は終わった。
後は友人の家畜商のSさんに連絡です。電話を入れると留守。これでは本日の受け渡しは難しい。西牧場から約10km、車で訪問することに。
Sさんは牧草地への堆肥撒きの最中でした。が、この1車分を撒き終えたら引き取りに行く、との話。直ぐ西牧場に取って返し、昼食を。10分も経たない内に、早Sさんが。昼食もそぞろに早積み込みを。
12時30分、15年顔を合わせてきたアカネ号(雄17歳)、カシワ号(雌16歳)、今年の春先に生まれたコッコ馬と別れる。なんともあっけない幕切れでした。
アカネ号はいつも世話になるSさんに進呈、カシワ号とコッコ馬の商談はSさんにお任せしました。怪我もなく順調に捕獲作業は進んで、めでたし、めでたしです。
さて残るは11頭の馬群、これが大仕事です。今年生まれた雌コッコ2頭、2歳半の玉付き雄2頭、1歳半の玉付き2頭、1歳半の雌1頭、合計7頭をどのように処分するか、これ決めなくてはいけない。
川瀬さんは晩年の馬飼いで、この選択をミスしたと言っておられた。種馬は1頭でないと群は分裂するのです。
取り敢えずは1馬群を外に出すことが出来ました。
で少し気持ちが楽に。
08年11月7日記
もたもたしてられん
本の少し油断してたら、10月31日朝、気温が−4℃まで下がった。そうなる前に人参を収穫しようと考えていたのに、見事裏をかかれた。今までの経験で根菜は低温に強いと高をくくっているが、少し残念。
気を取り直して最後の収穫に3日午後取りかかる。残る3畝、1畝半を掘るも、雲行きがおかしくなって、後は残して手仕舞い。4日も午後2時間掛けて最後の人参堀を。収量は〆て約90kg。
どうやら今年の人参は作柄は良のよう。今年は全量を屋内の室に保管することに。
大雑把にではあるが、今年の菜園の収量が分かった。
花豆:約50kg、これは過去最多では 人参:約90kg 間引き選り方が良かった ジャガ芋:330kg これも良かった カボチャ:12個 これは半作、蜂の働きが今ひとつだったか。
温室内のトマトはつい先日最終の収穫を終わったばかり、ピーマン、ナス、キュウり、等は出来が悪かった。それにブル−ベリーも半作の15kgだった。花豆、ジャガ芋、人参は良の出来だったと思う。
いよいよ馬群の整理に掛らなくては、と思う。
少なくとも1馬群3頭にはお別れを。そして残る馬群11頭から何頭を西牧場に残すか、を決断しなくては。
昨年師走のトラブルは半歳馬が相手でした。ポニーの子どもといえども油断は大敵なのです。
いよいよ馬群の整理を始めます。先ずは馬の囲いの補強から始めなくては。小柄でも1馬力を侮ってはなりません。
08年10月31日記
水洗便所の手入れ
川瀬西牧場に転居して丸19年、水洗便所をオープンしたのも19年前です。ここ1カ月ほど水の排出が不調でこれは変だぞ、と不安に思っていました。27日その不安が現実の不調になってしまった。
排水弁を開くと水が便器一杯になったままで、4分ほど。便器からの排水管は風呂の排水管と共用です。これらは皆自分で行った工事です。
100%排水管が詰まった訳ではないけれど、閉塞寸前であることが分かる。
エーコさんに水洗便所の不調を話すと、もう20年使ったんやから、詰ってるかも、と。便器のメーカーに問合せたら、排水管に問題が? と言う。私もそう思う。
19年前に取り付けて、27日午後1時半、19年振りにその便器を取り外す。それから約3時間、悪戦苦闘とまでは行かないけれど、排出管の開通掃除を。約10m長のゴムホースを挿入して掃除を試みる。ホースは10m挿入が限界で汚物で泥んこ。上手く行ったかどうかは試運転をするより手は無い。
最初の便器排水は不調、次は風呂水の排水で試運転、これは先ず先ず。次は便器を。そして叉風呂を。繰り返すこと2回でどうやら排水は順調に。でも新調時の状態に戻ったとは思えない、残る課題は排水槽の方からの開通掃除をしなくては、と考えます。
とは言え、ひとまずは原野での排便はなくなった。エーコさん曰く寒くなる前でよかった、と。
19年前は菜園に穴を掘って、板を渡して雨の日は傘を差して用を足した3カ月、当分はその風景を想像したので、今はほっ。
矢臼別では一人で出来ることは一人で、これが原則なのです。
08年10月24日記
カボチャは不作
60年余の農業経験者に聞いた話です。今夏はカボチャが極端に不作だったと言う。西牧場菜園では22株を露地に植えて1株に1個として22個を皮算用した。そしたら、12個しか採れなかった、でこれは将に半作です。
農業の先達によると今夏のカボチャは5分の1しか採れなかったと言う。ブルーベリーの先達も果樹収穫が極端に悪かったと聞いた。確かブルーベリーは10分の1と聞きました。
我が菜園ではブルーベリーとカボチャが半作ですが、花豆が例年以上の出来、それにジャガ芋も今のところ作柄は良です。
9月22日から始めた花豆の収穫、そろそろ終わります。
今日は10月21日、花豆、ジャガ芋、人参の収穫も1週間内には終わるでしょう。残るは、いよいよ馬群の整理です。
昨年、師走の月に不覚の腰椎圧迫骨折をしたのは馬の扱いのミスからでした。思わぬことで体調を崩して、春先には階段の下降に不安をかこつまでに。
それだけに馬の扱いには必要以上に気を揉む今秋です。一段と気を引き締めて馬群の整理をしなくては。
西牧場菜園の特長は畑地には化学肥料を一切使わない、で馬糞と植物の堆肥を投入して繰返し18年畑作を続けていることです。
だから、馬飼いは西牧場菜園にとっては必須条件と考えています。人参、ジャガ芋が人気なのは肥料の性でしょう。だから馬飼いは続けたい。
少しばかり息の切れそうなこともある、でも馬飼い来年も頑張ろうか。
08年10月17日記
ジャガ芋の収穫
最初に種芋を植えた日と最後の日が今春は10日程の差があった。最後に植えた畝を掘ってみたら約10kgほど。13日最初に植えた畝を掘ってみたら、優に20kgは取れた。
少なくとも4日違いで8割のジャガイモ畝に種芋をおろした。2日違いの畝を掘ったら、芋の種類も違ったが30kgは取れた。これは「わせしろ」とか言ったと思う。もう15年も続いている肌の白いジャガ芋。
19kg採れた最初に植えた芋は赤い肌の芋で、これは数年前に友人宅から頂いた何十個かの種芋が始まりです。毎春食べ残して捨てるのもモッタイナイので土の中に埋めるに等しい扱いだが、今年もジャガ芋畝3割くらいの植え付けをした。
青々と勢い良く繁茂している姿を目にする、とどの畝も芋は付いていると思ってしまう。しかし10日間の出遅れは大きく作用することが収量で分かる。
最後の芋掘りまで収量のことは言えないけれど、今のところは豊作と言えようか。今年は例年に比べてジャガ芋の消費が多い。早10kgは食べたろうか。米の消費が極端に少ないので、偏食が過ぎているかも。
友人の話では、そろそろ種芋を替えては、と忠言してくれた。遺伝子に病気の焼付けが入っているからと。確かに僅かではあるけれど病気の芋があるので、頷けます。種芋替えには春先に今年の芋を残さないことが一番です。未だ収穫も終わらないのに来春の話をしては、鬼に笑われますが。
昨秋までは無かった知覚、連日の収穫作業に追われ体力の持続に不安を感じる、今秋この頃です。
08年10月10日記
収穫の続く日々
先月の22日から連日、花豆の収穫が続いている。約30分くらいで背負子風の篭に一杯が採れる。茶色に変色した鞘を1日ごとに収穫します。特に雨には当てないように気をつける。
未だ豆を作り始めて間のない頃は、雨に打たれてそのまま露地で乾燥を試み、数日放置すると発芽することがあった。
そういう経験を経て今は色が茶色に変わると、収穫する。乾燥は暖房の入った居間で行う。
居間は2畳ほどが豆干し場と化して、散らかしている部屋が一段と騒々しい。でも最初に収穫した豆はそろそろ乾燥が終わってダンボール箱に収納も間近だ。2週間近く乾燥に要する。生でぼたーっとしていた豆がひらべったな紙製の容器の中で、手に触れるとシャラシャラーッと音を立てると出来上がりです。
未だジャガイモ、人参は土の中、そろそろ人参は収穫を始めようと思う。8日夕刻、カボチャの収穫をする。これが狸の皮算用であったのです。僅か10個でお仕舞い。22株を移植したのですから半作も良いところです。
薪の整理も山が見えた。新しい薪の燃え具合も試したが、薪の小口から水蒸気が出るようなこともなく、タバコの火が燻ぶる様にじんわりと燃える。少し心配したが新しく買い求めた薪は即戦力として使えそう。今年2月に買い求めた薪がようやく役に立つところまで。
薪を家の周りに積み上げて思ったこと、俺はこの薪を使い切るまで西牧場に居れるのだろうかと。優に5年間は使える薪、随分と蓄えたものだ。
難題が一つ、馬群の整理は未解決です。がんばろうっと。
08年10月3日記
霜の話
9月24日朝、矢臼別でも最低気温がー0.5度になった。西牧場で霜は降りなかったが20kmほど離れた別海町の泉川地区では霜が降りたという。
何故なのかは分からないが、西牧場は町内の他所に比べて霜の降りる日が遅い。従って今も花豆、人参、カボチャなどは青々としている。
花豆の収穫、昨日は収穫しなかったが、問題は霜が降りるまで幾日、日光の恵を受けられるかです。春先、1週間も早く種をおろした事を話すと、今年は好い豆を採れると言ってくれる人がいた。
早、4日続けて収穫した花豆、粒が大きい。問題は量だが、今は何ともいえないです。
人参も二株ほど抜いたが、思い切って間引きした成果か、今年は大きくなっている。人参、ジャガイモの煮つけを試みたら、これが美味しい。
カボチャも1昨日1個収穫した。未だ試食はしていないけれど、簡単に歯が立たないほどに良く出来ている。
すっかり忘れていた降霜のこと、これがあると成長は終わり、花豆などは取り込みを急がなくてはならない。花豆と人参とカボチャが霜が降りるまでどれだけ収量を増やしてくれることやら。
毎秋、霜が降りて、畑作も終わったと振り返る。今年は何時の日か。春先の早播きが功を奏するや、否や。
霜の降りることに関係なく次なる仕事は雪が降るまでに馬群の整理に尽くさねばならない。未だ雪の来るまでには1カ月余もあるのに、時の過ぎる速度、年を重ねると矢の如しを越えるこの頃。焦りとなって襲い掛かる。が、歩む速度で、川瀬さんを見習って。
08年9月26日記
花豆の収穫
9月22日、花豆の収穫を始める。青々としている姿・柄からは褐色に出来上がった鞘は目に入らないが、実は根元に近い葉の裏側にちゃんと実を付けた花豆がぶら下っている。
ブルーベリーと同じで、今日は取り終わったと思っても、次の日には叉同じ量の茶褐色の鞘が垂れ下がっている、これが花豆の収穫の図です。
雑草を好いタイミングで除草したので今年の収量は良いだろうと予想しているが、果たしてどれくらいの豆が採れる事やら。
実はあと少しブルーベリーの除草作業が残っている。これをやり終わって、花豆の収穫と思っていたが自分の予定通りには行かないようだ。
冬用薪の収納も未だ一部を原木で残したままである。この作業を上手く片付けるにはチエンソーを上手く使わなくてはならない。後残るは馬群の調整です。その後、3頭と11頭の馬群は争うこともなく西牧場内を棲み分けている。が雪の来る11月までには1馬群にしなくて、と思っている。
ジャガイモ、人参、カボチャ、花豆、の収穫作業がそっくり残っているし、後温室内の整理もしなくては、と思う。何故か今年はキュウリの出来が悪かった。未だ今夏の作柄の総括は出来ないがブルーベリーから始った収穫、何が最終になるか分からない。が、残り1カ月で西牧場菜園の収穫作業も終わるだろう。
最近悲しいことがあった。6羽のチャボの1羽がなくなった。そして何頭かのポニーとも別れなくてはならない。収穫の喜びと悲しい別れが待っている秋、この頃です。
08年9月19日記
フードマイレージの話
秋になるとこの言葉を思い出す。我が菜園から送り出されるのはジャガイモ、人参、花豆、カボチャ等で送り返されるのは紀州沿岸で取れる魚類、伊勢海老、蒲鉾類、遠くは山口の海産物等々、それに秋の果物など贈ったもの以上の美味しい食品が西牧場に帰ってくる。
地産地消の発想からすると良くはないと思われるが、生まれ育った地方の食味は忘れがたく、秋にはそのことを想って、田舎向けに菜園で採れた産物を発送する。
別海町内で食生活は充分間に合うのだが、国内でなら少し遠くても年に一度の秋の収穫期少しフードマイレージは高い数値になるけれど、許されるか、と思っている。
私の好物に紀州で獲れる秋刀魚がある。今は釧路で沢山水揚げされている。1尾200円もする。もう少し安くなってからと今秋は未だ食べたことはない。真冬に獲れる紀州沿岸での秋刀魚の干物、脂が枯れて味が良い。美味い。これを当てに飲み始めると何時もより量が進む。
蒲鉾類だって同じで、古里の味だと思うと味が一段と好い様に思えるから不思議。そして美味しい田舎の果物も然りで、ありがたいと思って賞味する。
最近西牧場から発送される産物で自慢はブルーベリー、目に良い果実とかで不思議な人気がある。目に良いが一人歩きして、とにかく喜ばれる。
今年収獲が終わって、背丈の低い果樹は半分ほど雑草に埋もれようとしている。フードマイレージからすると遠くに送ることはあまり褒められたことではないけれど、来年も古里の人に喜んでもらうべく、ベリー園の整備をしなくては。
08年9月12日記
ブルーベリーの収獲終わる
9月6日夕刻、ブルーベリー今夏最終の収獲をする。今年の総収量は14kgでした。昨年は確か30kg。倍増狙って、60kgが目標でした。が収穫は昨夏の半作で終わりました。
春先から花の咲き方、地上に近い枝しか花を付けず、高い枝に花は皆無。それに上に突き出した枝は殆どが枯れて茶色に変色していました。(積雪からはみ出した部分)
高い所には少し時間を置いて花を付けるのかと思いきや、その後も花は付かず。だから今年の実は地上すれすれに実を付けた。
昨夏は110本の半分に実を付けたので、今年はもう少し実を付ける株が増えるかと期待した。しかし40数本にしか花を付けなかった。でも咲いた花には100%実を付けた。
収獲を終えたこれからが来夏の為の準備期間だと思ってはいる。が、何をどうすれば良いのかさっぱり五里霧中です。
約20km先にベリー園を20年も前から造っている先達が居ます。最近尋ねたら留守だった。ただ先達夫人が見えて、今夏の出来具合を伺ったら、出来た年の10分の1だとか。300とか500kg取れたベルーベリー園としてはさっぱりの夏でしたと。
我が西牧場のベリー園としては昨夏の半作ですから、まあ14kgでも取れたことを喜ぶべきかも。
ここ1週間ほどは新ジャガイモで暮らしているみたい。連日一株二株を掘り起こして、昆布と煮干で出しを取り、薄口で煮込む。これで出来上がり。今秋から増やしたいジャガイモ食と思っています。
残る花豆、秋キャベツ、カボチャ等は成長中だが、出来上がった大根は、葉っぱを切り落として土中に埋めなくては。
実りの秋は進行中です。
08年9月5日記
忙しくても、あわてない
橋を架ける。薪を家の周りに、屋根を掛けて積む仕事。馬の2群を1群にする。ベリー園の除草をする。家中を整理整頓する。その内に秋の収穫が始る。仕事が次から次と山をなしている西牧場です。
田舎の又田舎とちょっぴり腐していたが、一寸した変化がありました。インターネットの接続を携帯の無線で繋ぐことに。家は楢の樹に囲まれているので、大雨が降ると交信が不十分で中断することがある。でも雨が上がると不思議と交信が復活する。電話回線を使わないので友人には電話で話しながら、モニターを操作できる。それに時間に追われてネットの検索を急ぐこともない。月間定額でネット検索が出来るのは有難い。
昨年から無線によるネット利用を志向して、8月28日ようやく達成できました。
後一つは家の中で携帯電話が使えるようになったことです。これは、よる年波の性で、何かが道中で起こった時の備えに保身用として持つことにしたのです。
ここに来てようやく現在型のスタイルに、そんな気持ちで居ます。
先に戻りますが、馬の群を一つにする作業は西牧場にとっては大事な仕事です。若い時は苦にならなかった仕事も最近は時々、年だな、思うことがある。力が弱くなったこと、よろける事、等々書けば限がない。
昨年も師走に馬に引き摺られて、大失策をした。今までは1人で何事も処理してきた。もう少しこれを続けて、馬の世話もしようと思っている。私の馬飼い、今や時々配合飼料を与えることと、冬の初めに乾草を餌場に調える事だけになっているのです。がもう少し続けたい。 馬の仕事ではあわてないで、慎重にです。
08年8月29日記
又刺される
8月23日9時頃、平和池に向かう。中島にカヌーで渡り仕事を始めるが、直ぐに蜂が来襲する。よく蜂の飛び来る方を見ると、何時も中島に乗り降りするポイントにしている水際に生えている柳と白樺の樹、その白樺の幹3mの高さにドッジボール大の巣があって、そこから繰り出してくるではないか。
これでは仕事は出来ないと判断。痛ましいが水際を好い事に根っこから切倒して巣を池の中に沈める作戦を考える。西牧場に取って返し、修理したばかりのエンジン付き鋸、これが起動を試みるも、うんともすんとも言わない。10時半から30分かけて19km先の駅前市街で修理、11時半、中島に帰りものの10秒間、地上40cmで直径10cmの白樺を池の中に切倒す。これで落着と思いきや、エンジン音で外に飛び出していた数十匹が襲ってきます。這這うの体で丁度反対側に繋いでいたカヌーに逃げ移り、午前の仕事は終わりとする。
夕刻の4時頃、仕事をしようと中島に向かう。彼らは急に住処を失くして隣の柳の樹に休んでいた様で、仕事を始めると、またまた来襲、額をちくりと刺される。これでは、と中島から退散する。
そんな時、川瀬さんが橋梁の取り付けボルトをコンクート枠型に取り付けるべく、現場に。13m離れた路側には蜂の来襲はなく1時間ほどで型枠へのボルトの設置作業は終わった。
私の中島の整地はもう少し先になりそう。蜂にとっては大きな人災がふりかかっている訳で大変な事態。人間は自分ばかりで、蜂のことなどは考えない。こんな時はどのように処理をすれば良かったのか、棲処の破壊作戦を取った。
色んな所で他の生物を犠牲にして人間は生きて来た。蜂さん御免よ、我がままで。
08年8月22日記
平和池の架橋工事
8月中には中島への架橋工事を終えるつもりでいたが、未だ橋は架かっていない。そろそろ橋梁の鉄骨加工も進んで、と自分勝手に推し量っている。
21日、私が受け持つ中島の草刈作業を午前中することにした。15年ほど前に造ったカヌーを使って中島に渡り、草刈をし、地均しをしなくてはならない。
この平和池は何年前に造られたのか、人造の池です。30mX50mくらいの掘り込みをして出来た池で、水深は1m弱で、第22回盆踊りに参加した時には今の姿で在った。元々が湿地で東牧場の西の端に位置している。川瀬さんの話では25年前との事。
この池から10数mで自衛隊の演習場域になり800m離れて西牧場に至る。
21日午前中、9時半から10時まで中島の草刈作業を。するとスズメバチが怒った。何十年も人の侵入を知らなかったスズメバチ、棲家を荒らされたから怒りました。私は左耳たぶを最初に刺され、2回目の作業で左顔面を刺され、これでは何が起こるかわからないと草刈機や鍬やをそのままに中島から退散した。
折りしも午後からは鉄工所から打ち合わせの電話連絡が入った。本日の中島の整地作業は取り止めにする。
スズメバチの来襲を甘く見てはいけないと思う。私としては今夏、左耳は不運が続く。耳たぶが腫れた程度で済めばいいのだが。左頬もちくりと。
橋の架橋は楽々にはさせて貰え無いようです。
08年8月15日記
第44回平和盆踊り終わる
8月10日正午過ぎ、盆踊りが無事に終わりました。6日以来の設営から参加された札幌の友人や道南の友人、帯広の友人たちと別れを惜しみ、来年の再会、いや年末の餅つき大会を期してお別れをしました。
今年の参加者は前夜祭、70人。本日は500人。お別れ日は70人。総計640人と事務局から発表されました。私は何時もと比べて一回り参加者が少なかった、との思いでした。
盆踊りが済んで実感するのが矢臼別の秋の始まりです。春一番初めに緑の若葉を出す白樺、散るのも早い。もう1週間も先から東西の牧場を結ぶ団結道路に所々、白樺の葉が路上に落ちています。
西牧場の川瀬旧宅前の桜も一部紅葉を始めています。あれだけ賑やかだった今日、正午までの賑わい、きれいに元の川瀬東牧場に早代わりです。西牧場も静かな元の姿に戻りました。
13日は小雨の降る中でベリー摘みを1時間。14日も早朝の1時間をベリー摘みに。7月27日から採り始めたベリー摘み、その後毎日続いています。もう摘み終わりと思っても、翌日は又紫色のベリーが所々に顔を見せる。今夏は毎回700g程を収獲します。
昨年と異なるのは実の生る木が56本から40本余に減ったことと、樹の高い所にはならないことなどです。そろそろ採り終わりです、どうやら今夏の収獲は昨年の6分作でしょうか。
期待したブルーベリーは半作に終わりそうですが、人参、大根、ジャガイモ、キャベツ、カボチャ等々は今のところ上々の出来と見て、皮算用を。
温室の中のトマト、キュウリ、ナス等も平年作、野菜に圧倒されて夏を過しています。
08年8月8日記
東牧場が賑やかに
6日から盆踊り会場の設営が始まりました。
西牧場は花豆の草抜きで大忙し。一昨年になるか、2カ月西牧場を留守にした。畑は草畑に早代わりし、ジャガイモと花豆だけは収獲できたが、収量を前年と比べると明らかに半作だった。
畑作をするからには並の農家の仕事をしたい。野菜作りをしているのか、雑草作りをしてしておるのか、と訊かれると答に窮するほど、今夏は草が生えている。
今の状態では草作り、慌てて花豆畝を2日掛けて草抜きをした。花豆は6筋に蒔いている従って7筋草ぬきをしなくてはならない。8月7日草ぬきを完了した。今は未だ爪楊枝のような花豆です。秋の収穫を期待しよう。
人参の3畝の草抜きと選りは不完全、昨年は間引きでミスをしたのでこれも思い切ってやらねばならない。
東牧場には沢山の設営隊員が来ていてトップページの通り準備は着々と進んでいる。
8日は前夜祭、私の最も期待するイヴェントです。全国からどんな方が参加されていることやら楽しみです。
8日は踊り広場に公園クラブのテントを張ったり、平和池の架橋の下見があったりで、大忙しの一日になりそう。
とりで会館にも盆踊り参加のお客様が泊まりにきます。その下準備もしなくては。
08年8月1日記
東牧場で平和盆踊り
第44回目の矢臼別平和盆踊りが8月9日に東牧場で催されます。
前夜祭は8月8日18時頃から、焼肉を食べながらの交流集会に。
9日は本日で19時から開会集会、花火・かがり火点火・踊り、ステージ交流等と舞台は24時まで続きます。後はテント交流に。盆踊り広場はテントが所狭しと張られて野外キャンプ場と化します。
10日は基地散歩や川瀬さんとの交流集会が午前中開かれます。又来年を期してのお別れ集会と私は呼んでいます。
盆踊りに参加される方には、前夜祭から参加してくださいと話す事にしています。つい昨夜も滋賀県の方が参加されるとの事で、問い合わせがありました。
道内の方は8月の北海道の過し方を良くご存知です。車に野外テントを積み、キャンプ場にテントを張って休む。車に所帯道具を積み込んで旅行をされます。だから盆踊り広場は満杯になります。
遠路はるばる内地から飛行機を利用される方は、矢臼別に来られると、矢臼別ホテルと称されるD型ハウスがあって、布団借り料を払えば、ここに泊まれます。
後一つ盆踊り広場の一角に平和の家があって、ここの2階にも10人くらいは泊まれます。
西牧場にも、「とりで会館」があって、踊り会場から1・4kmと離れていますが、ここにも20人くらいは泊まれます。
食事については盆踊り事務局に申し出ておけば滞在中は食事を作ってくれます。とりで会館の場合は各自が食材を持ち込めば、炊事が出来ます。
盆踊りの案内には雨天決行とあります。44回目の歴史の中には色んなことがあったようですが、台風の通過する中でも決行しました。皆さん頑張るのです。とにかく楽しいです。
沢山の方のご来場をお待ちしています。
08年7月25日記
20日井戸掘り見学
川瀬東牧場での井戸堀を20日午後から見学しました。後1m掘り込めば水が出るのでは、と期待したのです。が、この日も湧き出る水を見ることはなかった。川瀬さんが自宅の傍に掘った井戸も西牧場の井戸も略6mの深さで水は湧き出た。だからこの日こそはと思ったのですが。
細かい砂が湧水に吹き上げられる、水中映像をテレビなどでご存知と思います。私は05年の西牧場の井戸掘りでその光景を見ています。
「井戸は水が湧き出るまで掘る」。井戸掘りを仕事にしている人にしか分からない言葉なのかもしれません。
道東勤医協労組の人達、8人がこの日も頑張りました。明るい地上から急に井戸の中を見ると、何をしているのか分からない地下での作業現場です。この日の掘り込みは約1mで、深さは9.5mです。
外野席の水脈推測は中らず、この日の井戸掘り作業は終わりました。
矢臼別の水脈は地下略6mにありと思っていたが、そうではないことを思い知らされた、今回の井戸掘り現場です。
私は矢臼別平和公園クラブの事務局として良い井戸を掘って欲しいと思うのと、また労組の方たちはここまで掘ったのだから、湧き出る水脈を見たい気持ちが強くて、来週も挑戦しよう、で夕刻17時に現場を離れました。
3年目に入った井戸掘り作業、来週こそは湧き出る水脈に中ります様に。今、掘っているいる地層は堅い粘土層です。
私の経験ではこの層の下が水脈では、と期待しているのです。矢臼別では色んな形で学習をしています。
08年7月18日記
薪運びにおおわらわ
過ぎた冬の東牧場に仮置きしていた薪材、4トン車1台分を東牧場から西牧場へ運ぶのに忙しい毎日です。
薪ストーブを使い出してから18年程になります。このストーブの良さを教えてくれたのは中標津在住のM氏です。長さ60cmの薪を投入口、縦30cm、横25cmから容量一杯に入れて焚き始めると優に1昼夜は燃え続ける。
但し空気口の調節を上手にしなくてなりません。難しいことではないが薪の乾燥度を見極めなくてはいけない。
18年ほど使用しているが故障なしで今も。今夏も6月中は焚いていた。
未だ7年ほど前の薪が一冬分は残っている。が、思い切って来年の分として4トン車1台の薪を買い求めた。3年分はあろうという。
楢の薪材の長さ2.1mで太さは径10cmから30cmまで色々。これを長さ50cmにチエンソーで小切る。
別のページで田舎の田舎を愚痴ったけれど、西牧場は何事にも不便ではあります。西と東を繋げる道は私道で土道、4トン車に満載したトラックは入れない。おまけに冬でないと薪は市場に出ない。
悪条件が重なって18年の内半分は東牧場から西牧場に自力で運び込んだ。後半分は西牧場の雑木を業者に売却した時に、業者から購入し、家の近くに置いて貰って薪とした。
家の周りの樹は売却はされなかったのと、小さくて売却の対象外の2、3mだった雑木が今は当時の倍の背丈に成長し、豊な林に囲まれている。
とにかくここで後、何年生活できるか薪は貴重品、薪作りに精を出さなくては。
よく乾燥した薪で冬に備える。矢臼別を快適に過す必須条件です。
何処かで樹は伐採されるのですが。
08年7月11日記
東牧場の井戸掘り
道東勤医協労組の人達が今も井戸掘りで奮闘中です。宿泊所は外観が出来ていて、内装が後少し残っている、が現況です。
井戸の深さは8mを少し超えるまで掘り進んでいる。しかし私や川瀬さんが経験したような水が湧き出るところには達していない。
西牧場では約く6mで、東牧場川瀬宅の井戸も約6mほどで水が湧き出た。
最初から使っていた梯子では短くて使えないため、次回からは西牧場の長い梯子も使って、増し堀りをする。
19km離れた駅前地区でも井戸水を利用する人が居て、今冬は井戸水が枯れたという話を聞いた。東牧場でも盆踊り広場の打ち込み井戸が3年ほど前から枯れたままに。深さ約6mの井戸だが、以前出ていた水が出なくなったのだから、水脈に異状が有ったに違いない。
道東勤医協労組の人達は未だ水が湧き出るところまでは至らない、が今や経験は私以上だ。
西牧場の井戸掘りは2人工で1週間で水脈に。今掘ってる井戸は確か3年目で、5人工で1週間はかけているのでは。職場では事務職や検査技師をしている人達だから驚く。
私は専ら湧き出る水脈を願って、もう少し掘るよう、外野席から応援だけを続けている。そして7月19日から堀増しをするという。
川瀬さんは後1mで水が出るのでは、と推測。これは掘り出される砂を見ての判断。
水がなくては生活が成り立ちません。東京では1日、1人で500リットルも使っているとか。日本列島、水は豊富です。とは言え矢臼別では井戸が水脈に中たらないと。
50年先を見越して井戸を掘って下さいと、話しているが。早く中りますように。
08年7月4日記
雨の少ない矢臼別
例年6月中に山菜の蕗を採り、紀州の親戚へ贈り物をする。もう良い蕗になったかどうかは菜園の周りを一瞥すれば分かる。だが今年は少し様子が違う。
西牧場内16町歩(略400mX400m)には所々に蕗の群落があって、年によって好みの蕗が場所を替える。好みの蕗とは根元を刈り取ると清水が滴る、緑色の蕗だ。
初めの頃は、と言っても12年ほど前。自宅から200mほど離れた低い場所に群落があり、ここに行くと一輪車に山盛りに採れた。3年くらい続けるとその内に小さくなり今は採れない。そして場所を変えて別の場所で収獲する。肥料を与えることもなく自生するものを採るだけである。
西牧場内には、蕗の群落があちこちにあり、2年か3年で収獲場所を変えて、清水が滴る蕗を採る。
今夏、蕗の生育が遅れているのは春先からの降水量が少ないからでは、と思う。一雨来れば一気に蕗も大きくなるのだろうが。
7月1日夕刻、牧場内の南側を一巡して一輪車に半分ほど収獲、今年も自然の恵みをただで頂いた。親戚に送った後、寸法外の残り物を自家用に試食した。初めてにしては上々の出来で、にっこり。美味い。
全国的には地震で塞き止めダムが出来たり、九州や四国地方で豪雨があったりと水害で困っている人達がいる。
そこと比べると何の不足も無い矢臼別ですが、今年は降水量が少ない。蕗を採る段になって気付いたこと。
それに井戸の水位の低いことも降水量の少ないことを意識させるのかも。今夏は7月になっても井戸の水深は72cmしかない。昨年に比べ井戸の水深、1mほど浅い。
08年6月27日記
土盛り作業
30cmほどに背丈を伸ばしたジャガイモ、幹の周りに土を盛るのが毎度の作業。今年は土が見れない程に草が繁茂している。だから先ずは草を除いて、次に土盛り作業。16畝の畝の間は草が繁茂、それで先ずは三島鍬で草の根を切る。その後土盛りだ。今日、26日4畝に土盛りを。残るは12畝。
ブルーベリーの草刈は終わったが、今年の実の生り具合は昨年とは異なる。高い枝には皆無。低い枝にのみ。友人3人に生る前に、採りに来てくださいと話したが、どれだけ実が生るものやら狸の皮算用に。
だから「今年は実が生りません」、と来園をお断りをしなくては。困った困ったです。
素人の果樹園、何が起こるか、行き当たりばったりのお粗末。
カボチャの移植は26日現在、12株を温室から露地に移植した。後6株ほどを温室内に残しているが、1週間後に路地に出し、今夏は18株でカボチャの植え付けは終了する。
大根、人参は芽を出したので、今年は思い切り間引きし大きな大根、人参を育ててみたい。昨年は間引きを確りしなかったので、小粒の人参を作ってしまった。
花豆の除草は未だ手が付いていない。これから、3日はかかろうか。草に埋まれては出来が半作になる。
ジャガイモに話は戻るが、16畝中半分は捨ててしまうにはモッタイナイ、と土の中に埋め戻したジャガイモ。秋にならないと答は出ないけれど、見た目には上々の生育と見た。
最初と最後には10日ほどの植え付け日の差があるのだが。
少し草が生えて過ぎている菜園だが、健康で農作業が出来るということは、何より。
08年6月20日記
草ぼうぼう
10日から19日まで矢臼別を留守にしたら、菜園の中、背丈の高いのは60cmを超して、ブルーベリー園は特に大変。それに温室内は雑草で地面が見えないくらいに繁茂。少しずつ農民根性が身に付いてきたのか、西牧場に帰った途端に菜園内を一周。菜園の変わり具合を確認。
そして今日20日は朝5時から温室内を草抜き作業を。そして10時からはベリー園の草刈をして、まあてんてこ舞い。
既に蒔いていた大根、人参は芽を出している。花豆の杖は丁度良い具合に蔓が巻きついている。ジャガイモは殆どが芽を出した。問題は畝の間が草で埋まっている。草の除去は1週間かけて、ぼちぼちやる事にしよう。
08年6月9日記
種蒔き終わる
7日大根1畝種蒔き、8日杖立て450本、9日人参3畝種蒔きを終える。残るはカボチャの移植地準備。これを終わると今夏の作付け計画は完了する。
ベリー園の草刈が急がれるが、急に矢臼別を留守にします。草刈の出来ないのは残念。
08年6月6日記
19km先の駅前地域で
友人の話では先月末に霜が降りたとか。別海町は面積が大阪府と同じくらい。雨が降ったといっても東と西、南と北でそうだったの?となる。幸い矢臼別では霜は降りなかった。
6月3日、お天道様日が顔を出し、カッコーもあちこちで鳴いて、もう霜の心配もなさそう。花豆が2、3cm地面から顔を突き出した。直ぐ500本の杖を立てる準備をしなくては。
ジャガイモは1100株くらい各々の頭にドングリの落ち葉を被せ、その上に土を被せて16畝に埋めた。昨年は先ず先ずの出来だったが、2年目はどのような結果を出せるか。100歳のおばあさんがしていたテレビ番組の真似事。
ブルーベリー園情報。113株は今年も芽を出しているが、花芽を出したのは半分の60本。残る53本に今、花芽はない。
今年は雪が少なくて寒い風に樹幹を晒した。これがどんな風に果樹に影響するか?もう少し観察するしかない。
出ている花芽は低い枝ばかりに。もう周りの草は30cmほどに伸びた、草刈だけは確りと。
大根、人参等はこれから種蒔き、カッコーが盛んに、種を蒔け種を蒔け、と鳴く。
温室内ではキュウリが芽を出し11株、葱や韮も勢いを増して生長。シソはまだ芽を出してくれないが、温室内には昨年の子孫が居る筈で、もう少し先か。
シソの葉1枚が盛夏には10円にもなる、これも温室内に毎年3株ほどは残す。小松菜は早、芽を出した、選別して良い物を10株ほど残す。
トマト15株。ナス8株。レタス7株。ピーマン3株。カボチャの苗15株、これ大きくなると露地に出す。で今、温室内は満杯の状態。
順調な西牧場の菜園です。
08年5月30日記
カッコーが鳴くと、の習わし
27日まだ鳴かないカッコー。露地に種降ろしをしたのはキャベツの苗13株、ブロッコリーの苗12株。ジャガイモ13畝で種芋約850個、花豆は6畝を占拠。
あちこちに地割れが始った花豆の畝。そろそろ芽を出す。ジャガイモは一度芽を出して霜にやられても、再び芽を出すかも。しかし花豆にそれは望めない。即やり直しだ。勿論苗物も霜に中れば再度移植だ。だから霜降りが心配。
「カッコーが鳴くと種を蒔いて由」は長年の経験から生まれた習しだと思う。姿を見るが鳴かないのは、その内に霜が降りるかも・・という警告なのだろう。
ツツドリの鳴声に賭けて今夏は花豆を蒔いた。それを聞いた知り合いの農婦人、今年は「花豆を多く採れるっ!」て励ましてくれた。でもツツドリとカッコーは姿は似てても別鳥、ツツドリの鳴声では霜警報解除には?
西牧場は遊びの趣の強い菜園、可なり冒険的なことをしても生活に困ることは無い。だからツツドリに賭けた等と言っておれる。
でもカッコーの鳴く時期が気象傾向を反映するとは?不思議。
カッコーが鳴くのは托卵と関係ありと思う。そしてツツドリも托卵組らしい。どちらも子孫を残すことには命を賭けている筈。なのに鳴き初めが異なる、カッコーはツツドリより遅い。
カッコ−の何処にそのようなセンサーが埋め込まれているのか。早く鳴いてくれカッコー様。
28日09時05分、3声ほど東の方でカッコーが鳴く。10時頃2声北の方で。この日、夜22時頃は外気温が1℃〜2℃に、これはヤバイ。
29日朝4時過ぎ外気温4℃〜5℃、南の方でカッコーが二桁の鳴声、ベッドで聞く。そして30日曇天、10時頃3声鳴いた。
本格的とはいえないが、これで種降ろし由か。
08年5月23日記
ツツドリ鳴く
5月17日10時過ぎ花豆を蒔いていたらツツドリが鳴いた。花豆の種降ろし1週間は早いか、と少し思案したが1000粒を蒔いた。
ツツドリはカッコーより少し大きくて姿はそっくり。北海道の習しでカッコーが鳴くと種蒔きは由。ツツドリはポッポーッ、ポッポーと鳴く。カッコーとは大違い。
16日は午前中にジャガイモを240株ほど埋めた。畝の中央に一筋、深さ15cmの溝を切り、30cm間隔でイモを並べ、次は長靴で踏みつける。続いてドングリの落ち葉で溝を埋めて、風で飛ばないように両側から土を盛る。昨年から始めたジャガイモの植えつけ。後8畝ほどジャガイモを植えよう。
西牧場菜園では大根、花豆、人参等々、畑に撒いた後は長靴で踏みつけるが種蒔きの処方に。いつの頃からかそうなった。
18日、午後の2時間を利用して温室のビニールを張る。冬場に吹き飛ばされて壊れていた温室が3カ月振りに復活。
前日に天気図を観て高気圧の進み具合を見極め、18日と決めていた。1人で温室にビニールカバーかけは無風が一番。午後1時から2時間で張替えを完了。
19日、温室内は昨年の残骸を除去して、木製の支柱を補強して更地に。これで苗を移植すれば6月末にはトマト、キューリ、ピーマンなど自前の作物が収獲できる。
後は露地ものだが、カッコー君が何時鳴いてくれることやら。やはり霜が気にかかる。
20日夜、おお時化の通過は今夜半。温室が暴風に耐えられるかどうか心配しつつ。
21日朝、温室は無事に嵐に耐えた。シートを押さえる帯紐を2本切断されたがシートの破損は無かった。そして他所から頂いた苗を午後から移植。さあ、大きくなーれ。
08年5月16日記
5月10日朝は霜一面
4時頃−4℃をデジタル気温計が表示。5時に居間のカーテンを開けたら、地面が白くなっている。霜が降りたのだ。
菜園の部分、耕運機1回目を7日に入れた。この日は1時間半ほどで作業を終えた。どうやら今年も畑作は出来そう。これは体力が農作業を続けられると言う意味で。
それにしても今年の気候、変わったことが多い。雪が少なかった、降水量が少ない、気温が高い目である等々。皆ここに居ての感じだが。
未だ作付けの計画は決めていないが、今週中に決めて種を買わなきゃ。毎年友人から苗を頂いたり、我が菜園は他人の褌が多い。今年も苗は頼ることに。
HPのトラブルと公園クラブ通信の発行で、春先の生活リズムが乱れる。最も気を揉んだのは暮からの腰の不調。これは快方に向かっているので、少しずつ生活リズムを元に戻さなくては。
オオジシギは4月の20日過ぎに来ていたし、5月に入ると鶯が鳴いた。しかし今は寒いからから鳴かない。
9日街に出る途中、電線に止まろうとする2羽のカッコーらしき鳥の姿を見た。早道東に来ているのだ。桜の花は今にも咲こうかと蕾が大きくなっている(9日)。どうみても1週間から10日は早い感じ。
今日は10日、桜の蕾を観察。鶏小屋の東側のチシマ桜が五輪ほど開花。11日朝川瀬旧宅前の桜開花。何れも早い。残るは西牧場のクウィーン桜だ。
桜の開花や気温の激変で急に話は飛ぶが、気象で異状とは、30年とか50年の期間で現れることで、度々現れると、異状ではない。北極の氷が解けたのも、ヒマラヤの氷河が解けるのも異状ではない。随分早くから始っていたこと。何かと気になる気象です。
08年5月7日記
連休明け
西牧場菜園では毎日が連休であったり、仕事日であったり。それは天候によって決る。天候が仕事日であっても、自分で特別な理由を作って休日にしてしまうこともある。
5月に入ると例年、西牧場に車が入る。今年も入った。しかし5月6日は東牧場に車で行くことが出来ず。こんな事はかつて無かった、一度通行可になるとその後はスイスイだったのに今年はそうは行かない。
4日、5日と雨が降った上に、今年の凍土の深さが問題なのだと思う。例年問題の多い平和池の曲がり角が田圃状に水が出てきて、四駆走の車が往生してしまう。
町まで自由に行き来できない。高いガソリンも手に入れているので、菜園では耕運機を使えるのだが、閉塞感があっていけない。
連休は明けても、西牧場は交通問題で休眠に追い込まれた感じ。早く土道が落ち着きますように。
サビタが子どもを連れて朝9時居間の前に顔を出す。これで予定の3頭が無事に出産を済ませた。写真をと思っていたらすぐさま南の方へ行ってしまった。昨日夕刻は生まれていなかったので今朝生まれたのだろうか。
08年5月6日記
畑仕事を始める
畑作に全く自信がない。体力の問題が師走からあった。何もしないでいる分には大して問題はないが、仕事をしようとすると、腰周りが痛む。だから恐る恐る5月初めから畑仕事を始めた、が5月2日、3日と菜園の堆肥撒きをし時点で体調が本物でないことが分かる。
80歳の人が畑仕事をしているのだから、一回り若い人間に出来ないことはないだろう、と。しかしことはそうではない、現時点での思いだ。
毎夏のことだが、人参、大根、花豆、ジャガイモ、カボチャ、キャベツ、ブロッコリー、温室ではトマトにキューリ、青しそ、などなど。最後はブルーベリーの手入れだ。
体調が良くならないと、計画は大幅に狂う。さて今夏はどのような菜園になるやら。
温室のビニールシートの展張は少し厄介。風のない日に、張らなくては。一人でやるから厄介なので、二人でならカーン単。今までは1人で4年か5年で温室を移転してきた。今夏で最後のビニールの張替えになるかも。頑張ろう。
自分が育てたキューリ、トマトだと何だか美味いと思えてくるから、不思議。とにかく化学肥料でなく厩堆肥を鋤き込んだ土から出来る作物は美味しい。
気持ちだけは元気だが、5月の連休明けからどれだけの仕事が出来ることやら。
08年4月4日記
3月30日畑仕事を
この日は朝から快晴の良い天気、で28日に降った5cm程の降雪もすっかり解けた。それで午後からは農作業を。菜園の方には大根の枯葉や、雑草の枯葉が残っていてこれらを堆肥置き場に積み上げる。未だ畑地は10cm程長靴がめり込んで、とても農作業どころではない。体力測定も兼ねて3時間ほど菜園を少し整理した。この日の整理作業で今夏も畑作を昨年並みに出来るのではないか、と思っている。
ブルーベリー園では先ず株数を数える。未だ新芽は出ていないが、冬を越したと思えるものが120株。この内2株はハスカップだ。
昨年は50株ほどで30kgを収獲した。だから後半分が実を結ぶなら、と早々に60kgの狸の皮算用を。
樹勢が弱くて、漸く活着した程度のブルーベリーが1割ほどある。だから果実園としては自慢できるような代物ではない。ただ昨年の収獲、30kgの話をすると友人3人が早々今年は採りに行くとの申し出が。それだけに今から気合が入る。それで先ずは木の根元に草の堆肥を置くことにした。
温室は天井のビニールシートが破れたまま放置されている。これを取り片付けて、無風の日にシートを張り替えを。1人で張替えは無風の日和でなきゃ旨く行かない。
それが4月1日は思いもしない大時化に。降雪は50cmか。冬の矢臼別に逆戻り。馬たちが気になる、カシワ家族が特に。4月2日も北よりの風が強い。静まるのを待って林の中を捜索しなくては。
昨年はカンバの行方を追って、今春はカシワの行方が。春先には何かが起こる西牧場。
08年3月28日記
東と西を繋ぐ道路
毎年のことなれど、今週から4月中旬までは泥道になって歩くのが大変だ。東牧場と西牧場は原野の雑木を打ち払って、行程1・5kmを幅2m余の道にしたものだ。20年近く使っていると40cmほど路面が下がった。
05年の井戸水が枯れた春先は駅前市街から飲料水を運んだ。東牧場の車庫まで運んだ20kgの水をプラスチックの橇に積み替えて西牧場まで1.5km、橇を引く。3月は雪道を、4月は土道を、そして5月から7月までは車に積んだまま西牧場まで。生活道路としてこの土道は貴重な存在。
別海町で土道が生活道路として利用されているのはここだけかもしれない。少し昔風だと思う農村の一軒家でも砂利舗装がされていて、庭先まで車が入れる。長靴が膝まで落ち込むような土道は知らない。
今春も早二度その様なことを経験した。原野のクマ笹の上を踏んで歩くとその様なことはないが、土道では気温の上昇と共に、落とし穴に要注意だ。
5月に入ると例年、車の通れる土道が復元する。そして秋、雪に道が封鎖されるまで、最近は12月まで車で出入が可能。今冬などは2月まで車が入った。
東と西を繋ぐ道の整備を心配してくれる矢臼別支援者もいるが、現実に西牧場への道路管理で外部からの支援を受けたことはない。
でも平和公園構想が持ちあげってこの方、東と西があっての川瀬牧場、その内西牧場も脚光を浴びるに違いない。その為にも西牧場の農業活動を持続しなくては。
08年3月21日記
14、15日は大雨
西牧場の菜園は雪がゼロになった。建物の北側に20cmくらい残るだけ。昼間はプラス温度だけにぐんぐん解けた。15日家の周りは池の如くに水溜りになっていたが、16日にはすっかり地下に滲みこんで、からり。
地下水の動きは分かりにくい。井戸を掘って以来、冬場は井戸の水位を測っている。
06年は最低:2月28日、33cm 05年の年間降水876mm。
07年は最低:3月24日、55cm 06年の年間降水1306mm。
08年は最低:3月12日、37cm 07年の年間降水1127mm。
給水ポンプの吸い口は底から15cm上に在って、井戸を掘って直ぐの渇水期には僅か18cmに迫り、心細い思いをした。それでことと次第では、少し掘り増すことも考えた。しかし05年の降水量は最近10年で最も降水量の少ない年、夏場の降水量を見ることにした。05年の降水の経過を見て05年を超えるなら、井戸枯れは無しと半年前に推測する術を知った。で、夏場の降水量を水の安全越冬の指標にしている。
今は雨水、地上に溜ることはないが、まだまだ凍土が解凍した訳ではない。だから即、地下水には成ってはくれない。
16日など風連川は何時もの川幅の倍ほどになって、溢れんばかりに流れていた。上流域の草地から流れ込んだ雨水で嵩を増したのだ。それが夕刻にはあっという間に水位は下がってしまう。別海の牧場には保水力はない。昨日の雨水は翌日夕刻には根室海峡に流れ下る。
とは言えとにかく今年も冬の渇水期は乗り切った。21日井戸の水位は50cmになった。
08年3月14日記
馬誕生
11日午後30分頃、餌場に馬の姿が見えず、カシワのお産が気になる.。今日は東牧場への訪問日だ。餌場を離れる前、南に向かって、「ポーポー、ポーポー」と何時もの呼び声を発した。
ものの2分もしたら元気のいい若駒が姿を、そして殿で現れたのがカシワ親子。昨年の出産も3月11日の朝とある。丁度1年目に春駒が産まれた事に。
今日から1週間の間にコッコにモクシを掛けるのが基本らしい。が出来るかどうか、自信はない。カシワには現在3歳の雄、2歳の雄、1歳の雌、そして2日目のコッコがいてカシワ家族は4頭の大家族だ。これらの管理をどうするか、今春の大仕事です。
5月からは畑作が待っていて、体調が優れないだけに春だというのに気が重い。
先ずはコッコの捕獲から始めることにしようか。
菜園の雪は6割方、解けた。農作業が出来る状況ではないが土が顔を見せると何かをしなくては、と気が焦る。なのに今春は何時もとは違う。何処まで体力が回復するかで、菜園の耕作面積も変わるし、馬との付き合いも変わるからだ。
この1週間で分かったことは徒歩で自宅に帰った時、脚ががくがくする事、床に上がった時に平行感覚を崩すことだ。近年は平衡感覚を崩すことは多かったが、特に今春はそのことを感じる。
早く病院に行くべきなのかもしれない。が最近分かったのは両下肢と腰椎を繋ぐ大腰筋という大切な筋肉のあること。これのダメージが回復しないためでは、と又自己診断を。
次々と春の仕事は増えるが、リハビリに全力投球をしなくては、と思っている。
08年3月7日記
雪の少ない西牧場
今年の矢臼別は雪が少ない。先月の雪で車の通行は出来なくなったがとりで会館の周りで軽トラックが走れる。力仕事は思うに任せないが、車を使えるので有難い。3日午後乾草を1ロール倉庫から引き出した。かつて雪解けが進む4月まで使ったことの無かった軽トラックが体力不足を補ってくれた。1ロールあれば1週間は賄えるでしょう。
雪が浅いので馬たちは林に向かうことが多い。これも餌だし作業を少なくしてくれる。カシワ号が1週間内に出産ではないかと、気遣っている。それに続いてカエデ号が、そして殿がサビタ号だ。
腰椎の圧迫骨折はその内に良くなると楽観していたが、今も不調が続いて今春の畑作は旨く仕事が出来ないのでは?と不安になってきた。
矢臼別に居て畑作が出来ないではこんな「もったいなこと」はない。何としてもリハビリよろしく後2カ月で体力を正常に戻さないことには。
最近の輸入食品の中毒事件で、健康野菜が注目を集めている。その意味では西牧場で生産される野菜は安全そのも、無農薬、無化学肥料で味もよし。一旦働きの、体力にそぐわない農作業は長続きはしない。今春は体調を計って最も有力なジャガイモの生産に力を入れたいのだが。
それに付け加えたいのがブルーベリーの育成。後一つ紫花豆千粒の播種。300kgのジャガイモ。60kgのブルーベリー果。30kgの紫花豆。この数値、皆目標生産高。
ブルーベリーを除いてここ10年は続く生産量、何としても今年も続けたいと、今は思っている。腰痛よ早く治れ!です。
08年2月29日記
雪が降る,大風が吹く
23日朝から降っていた雪、夜には大風が吹いて、時々家が揺れた。あけて24日朝、居間のカーテンを開けたら、温室のビニールが大破。強風でビニールが破れたのは二度目。一度は14、5年前に中国野菜パクチョイ等を冬場に二重温室で作っていて、2月だったか大吹雪で大破。
今冬は小さな破れ穴を繕って、後1年は使おうと思って、手立てしたのも水の泡。やはり矢臼別の冬は簡単には終わってくれない。
25日朝、無風の快晴日和。馬たち23、24日と林の中で過して25日朝になって乾草置き場に11頭元気に姿を見せた。どうやら南側の林から帰ったようだ。
昨日強風の中で見つけたが、井戸給水ポンプ室の蓋が強風で飛ばされた。蓋は2mほどの傍にあって助かった。しかしポンプ室の中に、60cm位雪が吹き込んでいて慌てた。電動のポンプが漏電トラブルも起さず、1昼夜ほど使用に耐えた。その後もモーターは順調に。こんなことは初めて、北風の強さが過去最高だった訳か。
給水ポンプが運転不能では大仕事。食事を作れない、便所が使えないで大変。温室の屋根が飛んだくらいは、どうって事はない。けれど水が不自由ではたちまち原野難民だ。
それにつけても23、24日の低気圧の荒れようは物凄かった。私は荒天準備をして後は大時化の一過を待つ、それが今朝だったわけで、どうやら大怪我も無く過せた。
今週中には馬の餌、乾草を3ロールほど出してやらねば。乾草の格納庫の扉は東方向にあり、幸い入り口付近に吹き溜まりはない。徐々に体力も回復中、乾草出し作業で回復度を測ることとしよう。
全国的な春一番、台風並み低気圧の通過で西牧場も大変でした。
08年2月22日記
2月の半ばに郵便屋さんが車で
18日郵便配達の車が10時半、我が家に。西牧場で19回目の冬を数えるが、2月18日に車で郵便物の配達を受けたのは初めてのこと。川瀬さんの半世紀の矢臼別で1年間車で出入りしたことがあったらしい。
どうやら今年はそれに次ぐ雪の少ない年に成るかも。毎年4月は道路が田圃状になって車の通行は出来なくなる。凍土が抜けてすっかり土道が安定するのは5月のメーデー前後の頃だ。
今年は2月、3月と凍土の上を車で走ることになるのかも。初めてのことだが、車で出入りは止めて、歩くことで体力の回復を期したい。
灰撒きの話は書いたが、今日バケツ3杯目の灰を撒いた。先に撒いた所は早地面が出ていて雪は消えた。それに朝晩の気温も1月の零下20度に近い気温が2月入って零下10度付近を行ったり来たり。10度も気温が上がると妙に暖かく感じる。
暖かいのは有り難いけれど、地球の温暖化が第一の原因だとすると喜んでもおれない。蜜柑の話し、リンゴの話し、米の話等々、それに鮭の話やサンゴの話も気候の温暖化に伴う変異が語られていて、話を聞く度にいやーな思いにさせられる。くどくど言うこともないけれど、日本列島での生産地が北に移動していく話だったり、鮭が北に移動したり、サンゴが死んだりする話。
特に日本、アメリカ、カナダの政府が温暖化に鈍感だと言われている。まあ国民がと言うことになるのだろうが。
車が2月半ばに西牧場に入ったということは大きな問題を提起している。そう思えてならない。考えすぎだろうか。
08年2月15日記
12日は雨降り
雪が降るという天気予報が12日は朝から小雨が。40cm程の積雪が30cmほどに嵩が縮まった。このまま雪が降らないで春を迎えることにはならないと思うが、少し変な気象に思えてならない。元々北海道は日本海側で雪が降り、太平洋側は晴天が続く、が冬の気象である。とは言え今年の正月、釧路地方は日照時間が記録的に長く、2月も半ばになるのに降水が少ない。
馬たちは林の中に行くことが多くここ4、5日乾草置き場にいない。
今冬は灯油が値上がりし極力石油ストーブの使用はしないように。その分薪の消費が嵩む。が俄かに生木を焚こうとしても燃えるものではない。川瀬さんは最低半年は乾燥させないと、と言われる。家の周りに積んだ薪の嵩も小さくなった。
そんなことで写真のページの如く、次の冬に備えて薪材を購入した。薪材が市場に出るのは冬の間。西牧場には届かない、東牧場までが精々。西牧場は何をするにも条件は悪い。
川瀬さんは西は不便だからと東に移ったのが50歳の頃。その後に50歳で西に入ったのが私で、川瀬さんはよく入ったと。特別に不自由をしている訳ではなく、普通に思っている。
しかし比較すると明らかに差はある。電話の信号が微弱、冬場は道が雪に閉ざされる、宅送品業者には配達を嫌われる。しかしその分孤独を楽しめる。人中でストリーキングではないが誰からも見られていない気安さが好い。
とは言え5月になると畑の準備で忙しく、薪の運搬は6月に入ってから。これ決して楽な仕事ではない。でも自分が出来る仕事は自分で。これが矢臼別の基本、原則です。
師走のトラブルに因る腰痛は未だ回復しない。馬の捕獲、畑の準備、薪の運搬等西牧場の仕事が多々待ち受ける。
リハビリとして雪道を歩き、腰痛の回復を願う、2月半ば。
08年2月8日記
馬との顔合わせ
我が西牧場菜園の春の行事が始まった。薪ストーブからの灰を雪の上に撒く仕事だ。今年は積雪は40cm程しかない。灰を撒くと雪解けが早く、地面が顔を早く出す。そして凍土のしばれも早くとける。せっかく布団を被っているのに早く雪解けを促すとかえって逆効果になり兼ねないが、バケツに2杯ほどを2月入って撒いた。
馬たちは乾草置き場から離れることが多い。林の中にクマ笹を食べに行くからだ。これは今年も積雪が浅い証拠だ。餌場には乾草ロール2本が未だ残っている。で食べ切るまでは出さない。少々不味くても、他に食するものが無くなると、残した乾草を食べ始める。だから食べ残してもあわてて新しいロールを倉庫から出さない。美味い物を与えたい気持ちと無駄を省く気持ちの我慢比べだ。
今日は6日、昼前に氷点になり午後3時前で+2℃、暖かくなった。7日、乾草置き場に姿を見せない馬たち、元気にしてるかな?。昨年はカンバ号を亡くした。3月に入ってからだったか。
毎日顔を会わせて一頭一頭の健康具合を確認する、これは馬飼いの義務だと思うが、今はそれが出来ていない。もう少し意欲的に付き合わなくてはと反省。でなきゃ助けられる馬の病も手遅れになってしまう。
気付くのが遅くて、という事故が17年で二度あった。何れも生まれた子馬を亡くした。母乳を飲まなかったり、風邪引きの診断を出来なかったことなどだ。昨年のカンバ号の場合は自分の力ではどうしようもなかったのだが。早く不調を見つけてやれば、と悔やまれた。
毎日一度は馬たちと顔を会わせて挨拶をする。これは守らなくて、と思っている。
08年2月1日記
ようやく冬の生活に
東牧場の車庫に24日朝から車を置いた。で1.5kmを歩かないと車を使えない。最近、特に昨年、今冬と雪が少なくて車の出入りが冬季にも出来る日数が増えた。(例年、12月には東の車庫に車を入れる)。昨年は1月末、今年は1月24日まで車は自宅にあった。
特別に足腰を鍛えるために運動はしていないが、カンジキを履いて1.5kmを歩くと足腰を鍛えることに。しかし今冬は腰痛のこともあって不安だった。
案の定、街に出た27日は大変だった。30分で歩いて車庫に着く、車庫前の除雪に15分、そして町へ。午後、用を足して帰り道は10kgの荷物をそりに載せ帰り道、雪道を30分で自宅に。何とかこの日は無事だった。
24、25日の降雪のあとはからっと晴れて暖かい日和が続く。30cmほどの降雪だから、車で出入りが出来そう。だが今回の雪はパウダー、それで吹き溜まりが出来た。よって所々で雪が深い。
郵便屋さんはそこの所を良く知っていて車では入ってこない。カンジキを履いて郵便を配達してくれる。2、3日踏み固めると歩きやすく今は20分で車庫まで行ける。
私の外出は週二日だ。地吹雪がない限り徒歩で出かける。いまカンジキ無しで15分で歩ける。
歩きの話をすると大変と気遣ってくれる人がいる。でも体力向上には良い季節と自分を納得させている。
今年は少し腰痛のこともあって、これから5月までの体力の調整が気にかかる。簡単に治るだろうと思っていた腰部の不調は簡単には回復しそうにない。
3月には早いポニーのお産が始まる。馬の仕事は捗らない、雪が少なくて凌ぎ易い冬なのに少し気の重たい二月の始まり、冬半分。
08年1月25日記
昼間も零下の気温
1月19日午前9時から10時まで殺鼠剤の散布をする。殺鼠剤は小粒の錠剤を4個あて紙袋に入れてあり、手袋の手では扱いにくい。それでブルーベリー一株に一袋を置くことにした。
外気温は零下5℃、大したことはない。だが北風が吹いていた。1時間後、手袋をしていない両手が痛くて、痛くて。ほうほうの体で現場を去り、室温25℃の居間で30分、ようやく感覚が元に。冬山で凍傷に罹った話をよく聞くが、これを続けると凍傷になるのか、と。
殺鼠剤の散布で幹のかじり害を100%防げる訳ではないが一役は済ませた。
20日、今朝は馬たち乾草の餌場にいる。先週は2日ほど餌場に姿が見えず、牧場周辺のクマ笹を食べに外出をした。乾草の消費はその分節約、こちらは仕事も減り、飼料代も節約で有り難い。
今は自由に身体を使えないので、懸案の調教等は全くしていない。年の所為にする訳ではないが、当分は調教を休んで、体調回復に努めたい。
23日、連日氷点下15℃から20℃の日が続く。昼間は10℃ほど上昇するのだがそれでも零下。師走に出した4ロールの乾草残りが1ロールに。例年は一人力でテークルをロールに仕掛けるが、今年は車の牽引で一気に。
10時から始めて11時には4ロールを出した。車がなくても、転がせば直ぐに餌場に出せるよう、倉庫内の準備もOK。これで1カ月は餌出しはしなくてすむ。
24日は雪降り模様。9時、10時で車を東の車庫にシフト。大した雪でなければ良いのだが。
25日、昨日朝から降り始めた雪、今朝の積雪は30cmほど。ところが昼間は地吹雪がきつい。外出は取り止め、例年の冬が始まった。
08年1月18日記
その後、雪降らず
寒波は来たが、新年になって雪が降らない。これが続くと昨年のように1月中は車で西牧場に出入り出来るかも。西牧場は演習場の雑木林に囲まれて風に雪が飛ばされることもなく積雪約30cmに覆われている。しかし牧草地帯の積雪は所々枯れ草が見えて、春先の風景に。これが良い事なのかどうか、雪布団の薄いのが気になる。
14日現在、矢臼別には未だ−20℃を超える寒波はない、
でも−15、ー16℃が連日。それで地面の冷え込みが気に懸かる。
そろそろ馬達に乾草を出してやらねばならぬが、こちとら体調不良、腰痛で体力を自由に使えない。コッコ馬に凍土の上を引き摺られた後遺症が未だに快癒しないまま。
積雪の薄いことを幸いに、自家用車を使って300kgの乾草ロールを倉庫から引っ張り出す考えでいる。
昨年はブルーベリー約30kgを収獲した。今年は倍増の60kgを目標に。冬の仕事は殺鼠剤を木の根元に撒くこと。これをしないと幹をネズミにかじられる。早くこの仕事をしておかないと、忘れていた。
14日朝は快晴だ。何時降ったのか雪が4cmほど積もって、朝日に解けた雪が大雨のように軒先から雨だれに。小半時は流れ落ちた。井戸水の水位が気になる住民にはうれしい雨だれではある。が、お陰で軒先に積んだ薪は水浸し。燃え難い生乾きの薪には鳴き面に蜂、参った。
17日朝7時、外気温がー20度に、デジタル気温計の表示。北海道で今年一番の冷え込みとか、矢臼別も冷えた。18日も日の出前外気温はー20℃。今朝も冷えた。
早く殺鼠剤を撒かなきゃ、ベリーのために。
08年1月11日記
今年は「国際ポテト年」
赤旗日曜版の記事から、ポテト(ジャガイモ)が食料の確保と貧困緩和のために重要であることを世界にアピールするもの、とある。
ジャガイモの故郷はペリーはアンデスのチチカカ湖畔という。5、6千年もの昔から食べられているという。
川瀬西牧場で最も生産量の多い作物はジャガイモ。昨年は300kgも収獲した。しかし自分が食するのは年間で50kgまで、後は友人知人に送り届けて食べてもらう。その代わりと言っては変だが姿を変えて西牧場に全国の産物が年末に届けられる。有り難い。
ジャガイモの産出は世界で食料として、1位トーモロコシ、2位米、3位小麦、4位がジャガイモという。
主食の米が採算割れで作られなくなるのでは?。でもジャガイモが採れるから食糧独立地域と矢臼別を自負している。が、大都市で暮らしている人はその内、大変困るのでは、と密かに思っている。米が米穀店から姿をけして騒いだのはそれ程古い話ではない。
日本では米を作る人がいなくなる。オーストラリアが旱魃で小麦どころではないし。トーモロコシを車に食べせるアメリカ。えらいことが起ころうとしている。
作物X距離の数値でエネルギーの消費総量を計算する考えがあって、日本は飛びぬけて消費量が多いと言う。
日本の食料自給率は39%。ポテト年にちなんで日本人は何を主食にするべきかを考え直すべきでしょう。北海道の日本海側は米の産地としては近年優秀です。なのに今の日本の農政ではコメ生産が出来なくなると言う。
アメリカ産の米ではなく日本人は日本で取れる米を食する、つまり地産地消の勧めです。
西牧場のポテトも極力移動距離を小さくする。ポテト年に当って考えさせられます。
08年1月4日記
雪が降った
師走の29日朝から降り出した雪、30日の朝には30cmほどの積雪に。ようやく矢臼別の冬になりました。これが根雪になるのでしょう。週間天気予報はお日様印が続いて新春当分、雪は降りそうにない。
今回の雪は重たくて、少々の風では飛び散る事はない。だから吹き溜まりもなし。これ雪国の生活では有難い。吹き溜まりは追加降雪ですから。
12月6日から身体障害者になって仕舞い腰を曲げる動作が不自由で力仕事は一切していない。だから除雪作業がどれほど出来るか、車庫前の除雪が気に掛かる。
車は東牧場の車庫に29日、入れた。だから今週からは歩いて東に出ることに。
大晦日、午前中郵便屋さんが車で雪道を西牧場まで。私も午後2時から車庫まで、車の轍をたどって徒歩15分。車庫前一坪ほど20cmの積雪を除去、腰が痛む。車の運転は出来るが、腰を曲げる仕事は未だ無理。
馬調教で体調を崩したが、将にここは塞翁が馬、古希を迎えて矢臼別の生活、如何にあるべきか考えなくては。
そして新年、初日の出が見れるかと7時前から待っていたが、それは出来なかった。気温計はー5℃、それ程寒くもない元旦。
2日、樹林の向こうから、7時03分、真っ赤な太陽が顔を出す。気温はー5℃。
3日8時過ぎだったかヘリコプターの飛行音が久しぶりに聞こえた。新聞配達の郵便屋さんが10時30分頃、新聞配達。
有り難いことだ、本年もよろしく、とつぶやく。
07年12月28日記
井戸掘り、その後
22日、23日の連休を井戸掘りに賭ける医療労組の人達が東牧場に。
22日は11時から掘り始めて午後3時半まで6人のメンバーが昼食抜きで掘り続けた。私は午後2時半から1時間ほど昼食タイムを取った。掘り込み作業、40cmほど堀り進んだか。
22日は井戸掘りの責任者と会えないまま帰宅した。23日は午前9時半に現場に出向いたが井戸掘りのメンバーは8時半頃釧路に帰ったとの事。
今掘っている井戸の水湧出量は私の経験からすると22日の掘り込みでも今一だった。川瀬宅も西牧場の井戸も、湧出量は豊富。西牧場の場合は1分間に40リットルは優に。
責任者とは会っていないので、今後の処方は分からない。けれど井戸の完成は新春に持ち越された。
外野席としてはせっかくここまで掘り進めたのだから、湧出量の豊な水脈まで掘り込んで欲しい。これは西牧場の井戸でも、後1m掘り進めていたら、と思うからで。何処で良しと判断するかは難しい。
東牧場の場合、苦労しているだけに判断を間違いたくない。外野席のおしゃべり、掘る方々には迷惑かもしれないが、もう少し頑張って掘り込みを進めて欲しい。
仮に湧出量が望めなくても大きな貯水池を地下に掘る気持ちで、問題は解決する。例えば現在の24時間の湧出量は3.2トン。内径1.3mで水深1mなら1.3トンの水量。12月22日の井戸の水深は2.4m、で水量は3.2トン。1m深くすれば4.5トンに。
ここまで掘り込めば、1分間の湧出量が少なくても宿泊中の水は確保できるのでは、と思う。
この考えは川瀬さんの考えでもある。
頑張って下さい労組の仲間たち。
07年12月21日記
東牧場の工事はハイペース
14日だったか、外出の帰りに川瀬宅に立ち寄る。と井戸掘り現場に木造家屋の建設が急ピッチで。この建物、2.5X6.5間の平屋。大よそ3分の1の間取りに大きな湯舟と思しきタンクが鎮座している。
未だ井戸堀は竣工していないが、釧路市に拠点を置く医療労組が建設している宿泊施設です。矢臼別平和公園クラブとしては願っても無い施設の建設です。来る者拒まず、去るもの追わずがクラブ代表の川瀬さんの生活モットー。
施設の建設、どの様に展開するかと思いきや、師走にピッチが上がっています。
川瀬さんの時速4kmの建設速度とは大きな差。始めてからの日時を言うと2年越しの建設ですから、飛び切り早い訳ではない。ただ年末になって工事が急展開したのは建設業者が請け負ったからであろうか。
ユンボという土堀機が基礎杭のセットを始めて1週間と少し。15日棟上が終わって、屋根の板も張り終え、工事進捗の早いこと早いこと。
井戸掘りの最終作業はクリスマス前の祭日に賭けていると言う。井戸は現在8m余も掘り進んでいるのに、水の湧出が今一なので、これが外野席には一抹の不安。
平和の家が竣工、東屋が竣工、そして今又ハイペースで思いもしなかった宿泊所が棟上を終えて竣工に向かう。が18日の工事を見ていると竣工は新春になりそう。
1週間後には恒例の餅つき前夜祭、29日には餅つき大会が、今年の参加者は川瀬牧場の進化に目を見張ることでしょう。
07年12月14日記
馬調教のお粗末
12月6日薪集めの作業を始めた矢先の話。
この朝も自宅南側の林に、仕上げた薪材を軽トラックで運ぶべく乗り入れた。午前10時頃だったか。そこにポニー、11頭がやって来る。彼らは軽トラックの助手席に毎日、一度は貰っている、配合飼料があることを知っている。だから車の周りから離れない。
それで薪集めは中断、カシワの娘を調教するべく、ロープを捕まえて、撫ぜ撫ぜしてやろうと草地にあぐらをかいて自分の身体を木の幹代わりに1.5mまでカシワの娘のロープを手繰り寄せた。
その内に他のポニーも私の周りに集まった。ここまでは順調だった。処がである。その後、突然数秒間に私はカチン、カチンに凍て付いた凸凹の草地の上を10mほど上体を進行方向に引き摺られていた。あっと言う間の出来事でした。
ロープは腰の周りを一周して手元で2回ほど捻っていた。これを直ぐに放せば良いものを70余kgの重量を簡単には引き摺れまい、と日頃頭の中に有ったのがいけない。一瞬の内にその認識の甘さを感じたが、後の祭り。10m長の草地路面を引き摺られ、ロープから解放された。数分間そのまま寝そべったまま。すると、他の子馬達が私を覗き込むよう回りに。何せ腰の辺りに、ロープの牽引力が集中したわけで、腰の周りに圧迫感と、一度は腰を浮かして引き倒されたので、右腰部にも鈍痛が。
でまあ、自力で立ち上がれた。しかしもう薪どころではなかった。その後5日間、腰を曲げることが出来ずにベッドから起き上がるにも大変。ようやく腰の痛みが軽くなってきた8日目だが、何ともお粗末な調教の結末。そろそろ馬飼いを辞めなくてはいけないのかも。
今は薪集めも頓挫のまま、情けなや。
07年12月7日記
師走の朝
外気温度、昨夜は−13℃まで下がった。室内温度も今朝は16℃まで。さすがに土もコンクリートのように固くなった。昼間は太陽の輻射熱で少しはやわらぐが、解けてぐちゃぐちゃすることは無くなった。
1日から石油類一段の値上げと言う。それで家の周りの倒木を雪が来る前に拾い集めて、今冬の暖房用に。田舎の田舎をこんな時は活かさなくては、と思う。
午前中、軽トラックに2台分を居間の窓近くに運ぶ。これで10日分はあろうか。雪の降らない間に倒木を60cmの長さに挽き切って、幹径が20cmを超える物は大きな斧で4つ割にする。ただ乾燥度が生木に近いので来春の4、5月頃まで乾燥しなくては。家の近くの林は2次林ではあるが、40年も経た林で、幹径が30cmを超えるものもざら。
2日、中標津のガソリンスタンドでガソリン=155円、軽油=135円、灯油=105円と出ていた。都会では石油と電気しか暖房は出来ないかも、こちとら今冬は田舎の強みを発揮しなくては。
それで今週は倒木を拾い集め週間に。年金生活者に残されている収入増の道は出費を抑えることだけ。ストーブの上に鍋釜を乗せると、冬場は料理が出来る。これを利用しない方は無い。
三度の食事の時間にあわせてストーブの空気口を調節すると料理用の熱源は確保できる。降って湧いた石油の高騰、車の使用は最小限に、後は時間が出来たら薪集めに労力を。
冬の北海道、「居間(今)は夏」を我が家の自慢に。
07年11月30日記
ここは田舎の田舎?
川瀬東牧場と西牧場は直線距離で約1kmほどか。電話回線が2本あって西と東が1回線ずつを使い分けている。
西牧場では6年ほど前からインターネットを利用している。03年3月からHPも始め、足掛け5年になる。だが電話をしながらネットの操作を出来ないので厄介。良く分からないけれど、デジタルによるネットの接続が出来ない、これがネックのようだ。ネットの接続ダウンは電話線の断線修理で95%は回復したが、今も時々接続ダウンに見舞われる。
電話も相手様には声が細いと言われるし、FAXも時々受信が不良になる。それでも18年ここに住んで何とかかんとか、であった。
19kmほど離れた西春別駅前市街に電話線の中継基地があって、そこからの信号が届きかね、が西牧場の電話事情の現況。
夏場に無線によるネットの受信を試みたが、受信電波が微弱で駄目。10月にデジタル信号が受信できるか、とテストを試みたが、これも駄目。
冬場になって木の葉がなくなったので、と再度無線による受信を11月27日に試みるも、アンテナが低くて、今回も駄目。
後は受信アンテナを15mほどに掲げてならどうか、これが残されている。
そんなこんなで、今も田舎の田舎を解消するに、目鼻が付かない。曲がりなりにもネットが繋がるので良しとしなくてはいけないのかも知れん。でも人間欲深い、次から次と新しいものに目が行く。IP電話になると日本国中、市内電話並の料金に、ネットも割安で利用できる等々、気を引くものばかり。
その内に人工衛星からのネット接続が営業化され、田舎の田舎は一遍に片付くのかも。
07年11月23日記
冬支度に専念
今年は石油が高騰、車の使用もセイブしなくてはいけないが、燃料としての灯油の消費も抑えなくてはならない。昨年ワーキングプアのテレビ番組でストーブを使用しないで生活する人を観た(関東地方で)。真似るところは無きにしも非ず、が我が家の暖房の主力は薪ストーブ。家の周りの倒木を薪にする事を地主の川瀬さんが勧めてくれた。これで一冬過せるわけではないが、あり難い事だ。
1週間の時間をかけると1月分くらいの薪を作れるかも。薪の蓄えは「とりで会館」と隣接するD型ハウス内の物置に、10年来の薪一冬分がある。これを玄関先に運ぶ仕事だ。
17日の朝の外気温は−8℃、ようやく北海道の外気温になってきた。朝の室内温度は19℃。昼間はお天道様出ると25℃くらいまで上昇。
18日軽トラックに2台分を居間の南側と玄関先に野積みする。
19日東屋の落成祝。昼食に少々祝酒も入って午後3時にお開き、川瀬棟梁と4人の仲間で竣工を祝いました。今は午後4時には日没、で19日は休日に。
そして20日は薪運びの予定が雨降りで流れて、現在の準備は今年分まで。新春と夏5月までの薪はこれからの仕事。ドカ雪が来る前に薪ストーブから至近の場所に薪を積み置く、そうすれば半年は安心。
もう北海道の日本海側は雪のシーズンが始まった。道東は冷え込むが、低気圧が太平洋を通過する気圧配置になるまで雪は来ない。
準備は早い方が良し。何時ドカ雪が降っても良いように。
07年11月16日記
川瀬西牧場の水
05年の1月〜10月の降水量は749mm、 11月1日、井戸の水深=86cm
06年の1月〜10月の降水量は1141mm 11月1日、井戸の水深=198cm
07年の1月〜10月の降水量は1047mm、 10月27日井戸の水深=106cm 、で降水量は西牧場から東に30km離れた別海市街の観測点の降水資料から。
昨年は一昨年と比べて明らかに水深が深かったので、楽々と冬を過せると安堵。05年と比べて20cm現在多いのだから、深刻ではないが、今冬はどの様に水深が変化するかちょっぴり不安。
東牧場の井戸掘りはその後、作業は進んでなくて新しい井戸掘りは中断されたまま。平和の家の井戸は打ち込み井戸で、これも水量は豊富とはいえない。
西牧場、掘って初めての冬は水深33cmまで水位が下がって、吸水口まで15cmにまで迫り、気を揉んだ。春開けの3月1日に雪解けで井戸の水深が増え始め、胸を撫で下ろしたことを思い出す。
水を不自由なく使えてこそ矢臼別の生活がある。今冬もしっかりと井戸の水深を測って水枯れの起こる前にしっかりと屋内に貯水をしなくては、と思う。
1日の最低の用水量は約4リットルとか。水洗便所を禁使用にすれば、生活水の節水には自信がある。風呂は駅前に行けば良いし、貯水は水枯れの前に4リットルボトルに40個ほど用意すればよかろう。1月中旬まで井戸が枯れなければの話だが。
こんなことを考えながら冬支度をしている。馬達は西牧場の井戸水を求めなくなった。夏場は周辺の小川に、冬場は雪を食べて水分補強を。
雪になる前にしっかり降水量がありますように。
07年11月9日記
馬の捕獲と堆肥運び
3日、5日と2日で軽トラで5回堆肥を畑の中に持ち込む。
この間に馬の頭絡を3頭に付ける。1歳の2頭と2歳1頭に頭絡を、1歳とは今年の春に生まれた馬だが、丸々太って力もついて侮れない。昨年からのことだが、馬の扱いも手が掛かる様になった。伝染病のためのワクチン注射などが市場に出す飼い主の義務に。それで各馬に証明書が必須だ。どうやら1カ月前に捕獲してワクチン注射を4週間隔で2回目を受け、でないと競市場の受付を拒否される。
堆肥は後10回、残る馬の捕獲は3頭、これが大仕事。怪我をしないで一人で頭絡を掛ける、骨が折れる。でも馬を飼う、扱うには、世間のルールを守らなくてはです。
7日、午後1時から3時まで軽トラック4台の堆肥を運び、その間にポニー9頭を菜園の草刈をさせるべく、菜園のゲートを開放する。
自分が草刈機でするほどには短くは刈り揃え出来なかったけれど、程よい長さに草を食べてくれた。今年春先に生まれた2頭には10mのロープを付けているので、菜園には入れなかった。せっかく実を付け出したブルーベリーの樹幹を慮って。ロープを引き回されては樹幹の損傷は目に見えます。
馬は新しい草を食べだすと、地面から口先を放さない。菜園を囲むフェンスの外で見守るコッコ2頭には嫌な思いをさせたが、どうやらベリー園の草刈は思いの外、順調に済ませた。
予定の堆肥運びは軽トラ5台分、どうやら今週中には来春の堆肥の準備は終わりそう。
07年11月2日記
秋の収穫完了
29日、今秋最後の収獲作業、人参を掘り起こす。1時間かけて掘り出し、根っこの先と葉っぱをナイフで切断して、約50kgを畑に埋め戻した。畑に掘った穴に人参を埋め戻して土を20cmほど被せ、畑地の面に揃える、その上に古いベニヤ板を載せて作業は終了。こうして貯蔵した人参は総量100kg余。これらが、今秋と冬の朝食代わりの「リンゴ人参ジュース」の元になる。
とにかく今週は畑の手仕舞いをして、馬の捕獲と冬用の薪の準備をしなくては。日々の仕事はカレンダーから溢れるほど。
今日は家の周りの落葉樹が一斉に葉を落とした。昨年までは家の周りに吹き溜って、厄介扱いの落ち葉だったが、今秋は違う。堆肥の山だと思うと、にんまり顔に。
今年のじゃが芋の豊作はどんぐりの落ち葉にも功を見出すから。しっかりと蓄えて来春に備えよう。
そして今日は良い物を見た、聞いた。人参を掘り起こしていたら、「クワッ!クワッ!クワッ!」の繰り返しが上空から聞こえるではないか、ヘリの飛行音が途絶えていたので聞こえたのだろう。天空を隈なく見つめると、東の上空に、「くの字」に見える飛行隊、小さな「くの字」が見えるではないか。白鳥の飛来だ。北から南の方向に飛んでゆく。この声を最後に聞いたのは5月の農作業をしている時。その時は南から北へ。今日の白鳥の声、冬を告げる合図だ。
10月31日、花豆の杖400本余を倉庫に収納、時無し大根を20本ほどを人参と同じように畑に埋めた。これで収獲作業は完了した。
残るは馬の捕獲と冬支度、薪の準備を急がなくては。
少し体力は衰えたと思いつつ気持ちだけは旺盛。がんばろう。
07年10月26日記
収獲作業、略終了
24日はじゃが芋と花豆の収獲を終わり、25日には人参を取り込んで今秋の収獲作業は終わる予定が、2畝の人参が残った。
今日、26日の金曜日は福祉牛乳を駅前市街で受け取る日だ。25日昼間、駅前市街に所用があって休業。そんな関係で予定の収獲作業が捗らなかった。
残す収獲作業は人参の2畝。40kgほどだと思うがこれを掘り出して、畑の地下30cmに埋める作業だ。これを終えると花豆の杖を倉庫に取り込んだり、時間が許せば堆肥(軽トラック15台分)を収獲の終えた畑に持ち込んで来春に備える。
ここでざっと今秋の収穫量を。
じゃが芋=380kg 花豆=30kg 人参=100kg ブルーベリー=30kg カボチャ=55個 等で、作柄を自己評価すると、人参を除いて豊作です。
人参の不作は密稙が過ぎたから。せめて15センチ間隔にしていたらと思う。来年は思い切って間引きをしよう。詰まる所一つ一つが大きく生らなかった、ということ。一年一作の道東地方ではやり直しは次の年。あれだけ草取りに精を出したのに、収穫が半作とは情けない。
じゃが芋は210kgを友人宅に送った。後60kgは処分しないと、自宅内の室に収納は無理。人参は毎朝、2個をジュースつくりに消費するので、これは畑の中に埋めて貯蔵。
カボチャもその内に友人宅に送り届けよう。総じていえることは、「取れた恵」を友人宅に送り届けて西牧場の野菜作りは終わる。
菜園の収穫祭は11月に入ってから。一人で今宵は収穫祭と決めて、小さな宴の真似ごとをする。さあ!後ひと踏ん張り。
07年10月19日記
10月16日朝、−4℃
花豆の収穫は16日を最後に撤収作業に。根っこを抜いて、実の入っている鞘を取り込んで、杖を撤去する。後に残るは花豆の本体、蔓。これを堆肥置き場に集めて今夏の豆作りは終了することに。
人参は未だ5畝そのままだし、じゃが芋も未だ2畝残しているので今週末の作業で収穫を終わるのは無理。大根も少し収獲できる物が残っているが、そのほうに手が回らない。
17、18日は雨模様。雨が降ると休養日。
今秋は何せじゃが芋の出来が良くて、送るべきところにドンドン送らないと貯蔵容器が満杯で少し取り込みを休まないと、容器不足で。嬉しい悲鳴というか、今年は天気が良かったからか、初めての施肥、家の周りに積み重なっていたドングリの落ち葉を種芋を包み込むように施肥した。これが良かったのか、芋肌に皮膚病が皆無で、粒も大きい。
カボチャの収獲は終了。大小取り混ぜて50個ほどを収獲。植えた株数は35株だったので、1株で1.5個採れたことに、これも良くできた。
自分で食するのは精々5個くらいか、後は他所様に食べてもらう。じゃが芋も200kgを超えて採れるだろう。これも毎年20kgくらいしか食べない。米食を減らしてじゃが芋を増やせばいいのだが、これも思うだけで余り食べない。
とはいえ太陽と土と水の恵はちゃんと収獲しなくては罰が当る。残る収獲は花豆が少々、じゃが芋2畝、人参5畝、大根少々、来週で収獲を終え、来年に備えて馬糞の堆肥を持ち込まなくては。馬の捕獲は11月になりそう。薪の準備はその後。ああ、忙しい秋。
07年10月12日記
東牧場と西牧場をつなぐ道
東と西の牧場をつなぐ道路は土の道。17年も前になるか、砂を敷いたことがある。しかしそれからは一切、砂も砂利も入れたことがない。平和池の辺りは路面が最低で土面の高さに変化はない。しかし約1kmの演習場域を経て結ぶ、通称「団結道路」は高低差が7、8mほどあって、傾斜の強い所で、50cmほど路面が下がった。年々の雨による土の流出だ。
水平に、なだらかに路面が下がるのは結構だが、そうは上手く行かない。傾いたり、所々で水溜りが出来たり。その水溜りを車が通過する度にえぐれて深くなる。だからこの水溜りを放置すると大事になる。
今年は自分の車で出入りするには、それ程苦にならなかった。で、春の雪解けの悪路を乗りこなして秋まできた。けれど、自分のトラックでも困るほどに深い水溜りに。それで10月6日、5時間ほど費やして土を補充して水溜りの解消を。この作業、後1日はかかろうか。
この団結道路には未だ問題が残る。道の中央が蒲鉾のように丸く盛り上がっている。だから地上高の低い車は腹を擦る。水溜りの補修後はこの中央の盛り上がりを削らないと、乗用車がらくらくとは走行できない。
時々、乗用車の訪問者が西牧場に来ます。春先の山菜取り、盆踊りのお客さん、時には海兵隊の監視のメンバーが。遠路はるばる西牧場を訪れる方の、乗用車が損傷では申し訳ない。
この際は、ちょいとしんどいけれど収穫作業と平行して道路補修もしなくては。
07年10月5日記
花豆の収穫、真っ盛り
9月25日から始めた花豆の収穫、毎日1、2kgの収穫をする。30分から40分ほどかけて茶色に変色した鞘をもぎ取る。1日経つと、又変色した鞘が。9月中に朝の気温が5℃ほどに2度も下がった。もう直ぐ霜が降りて葉が枯れよう。
9月30日現在、2m余の杖の先に赤い花が咲き、実の入りきらない青い鞘が上部で垂れ下がり青々と。
霜が降りたら、その日からあっという間に、黒い葉に変色。そうなると根っこを引き抜く。
西牧場菜園のじゃが芋は1カ月も前に葉が枯れて、畑の中に眠ったまま。掘り出すのはこれからだ。一つ一つ手掘りで収穫する。最近聞いた話。じゃが芋も早く収穫すべきだと。早く収穫すると綺麗な芋が、旬を外すと病気にかかって腐食が始まるという。
人参、10日ほど収穫をやり過ごすと半分以上は葉が枯れてしまった。一昨年までは葉を握って引っこ抜き、直ぐに集荷して箱に詰めたり、畑の地下に埋めたりした。しかし今秋は引っこ抜きは出来そうにない。時間がかかる。海兵隊野郎めが!とつい言いたくなる。
カボチャも今年はよくできて、何個取れるか楽しみ。
温室内の野菜はトマトを除いて、収穫は終わった。今夏は暖かくて露地でもトマト、その他の野菜が採れたのでは、の声。
温室は本来、今からが勝負の季節なのでしょう、が少し疲労してきた温室に手を掛けて、建て直す気力はない。
今は夏に出来上がった露地ものを手早く取り込むことに専念したい。
07年9月28日記
監視8日目の朝
25日朝5時15分、ようやく明るくなった外を居間から眺めていると、パタ!パタ!パタ!と連続音が。や!や!これは海兵隊の小火器の音かと一瞬思ったが、この時間で撃つ筈がない、暗い空から聞こえる雷鳴だ。雨が来る。
一刻も猶予はならじ、と外に出て花豆の収穫を始める。と、はや雨が降り出す、が怯む訳には行かない。時雨に濡れながら約40分、茶色に変わった花豆の鞘を手早くもぎ取る。上半身はびしょ濡れ。居間に取って返し、直ぐ着替えて、採ったばかりの鞘をむいて豆干し箱にひろげる。鞘むきに約1時間、この行程を二度試みると朝の8時半。
その後は昼間の監視行動に。茶色に出来上がった花豆を雨にうたせて、放置する。すると鞘の中で豆が芽を出す。これを何度も経験している、それで朝一番のもぎ取りとなった。
やはり10日間も放置することは出来なかった。
今日監視行動に出たら82歳のベテラン農民が監視テントにトウモロコシを差し入れてくれた。この方、出来上がった作物は旬に収穫しないと価値が下がる、収穫作業をと早々に帰られた。
私も少しは農の心が分かり、収穫にも旬があることを。人参やじゃが芋、大根等も皆同じ、旬に収穫をしてやななくては、と思う。
後2日で監視行動は終わる。朝晩の収穫で2日をしのいだ。監視行動が終わったら、収穫に全力投球。超多忙の秋です。
07年9月21日記
10日間の収穫休業
西牧場菜園の収穫作業は何時始めても良い旬に入っているが、何れも来月まで延期することに。
海兵隊の移転射撃訓練が18日から始まった。今回は新たに小火器の実弾射撃訓練が追加されて、監視行動には特に気をもんでいる。それだけに出来るだけ監視に時間を割いて、どの様な訓練をするのか見極めたい、そんなこんなで収穫作業を先に延ばすことに。
花豆、大根、人参、カボチャ、じゃが芋の収穫など直ぐにもしたいが、今月中は保留。それに馬の再捕獲も同じく、前にならえ。で取り敢えずは監視を主に。
甲斐あってかどうか、監視2日目の19日午後2時22分から27分にかけて小火器の射撃音を確認した。着弾地と同じ方向で、西の方から射撃音が聞こえた。
海兵隊の小火器射撃訓練を確認した。
1週間の旬の遅れは大きい。せっかく作った野菜たちを粗末には出来ない。気を揉む小火器訓練が腑に落ちたら、生活第一、活動第二の我が家のモットーに早く戻さなくては。
07年9月14日記
射撃訓練監視本部が
海兵隊が矢臼別演習場に入ると、川瀬牧場は俄然賑やかになる。監視の為に本部が設けられるからだ。10年前は報道関係者がよく訪れたが、最近はその傾向は少ない。賑やかと言うのは監視をする仲間が盆踊りの時期を外れて、多く訪れると言う意味で。
正直、こんな事では喜べないのだが監視行動を機に久しぶりに顔を会わす訪問者が多い。「ああ久し振り・・」と。
本部が設けられるのは東牧場の矢臼別ホテル、監視テントは盆踊り広場、現在建築中の東屋の直ぐ隣に張られる。
13日所用で駅前に出たが、はや監視テントは定位置に張られていた。
11日には米海兵隊員、220人が矢臼別に入ったと言うので、そろそろ身の振り方、監視体制にしなくては。
今までは奴らが来ると農作業などは一休みして、監視行動に全力を投入。今秋も花豆の収穫作業を朝晩にしながら、監視に時間を割きたいと思う。
川瀬牧場に近い方、又泊り込みで監視をという方、寝泊りするところはあります。監視行動への参加を、お待ちしています。
射撃訓練は9月18日から30日までの内、で10日間です。
今回、米海兵隊はどの様な動きをするのでしょうか。
07年9月7日記
いよいよ馬の捕獲を
暑い8月の後半は昼間の仕事を休んだ。早朝と日が西に沈む前に畑を見回る程度に。で予定の馬の捕獲は先送り。今月、既に1週間が過ぎようとしているが、捕獲はゼロ。
昨年初夏に去勢した2歳馬はおとなしい。未だ虚勢をしていない2歳馬と1歳馬がいてこの2頭を捕獲しなくては。飼い主に近づいて鼻を触らせるまでになったが、簡単にはモクシを付けさせない。それでロープ先端に輪を作り、首に引っ掛けて否応無しに自由を奪って頭絡(モクシ)をかける。
この仕事、要注意。ポニーと言えども1馬力、半歳までは子ども扱いでも、満1歳を過ぎると力持ち、前脚を揃えて立ち上がったり、後脚で蹴ったり、常にそれらが空を切る範囲外に身を置かなくては危険。
怪我をしないで、捕獲する事を願って、さあ挑戦。先ずチャツに誘って2歳馬から。
6日9時からチャツを補強する。この時間帯、小屋にいるかと思いきや、空っぽ。補強していたら草地の西から馬群が近づく気配。鼻腔から吐く独特の空気音(ブルブルブー)が聞こえる。補強は10分ほどで終わった。
1日一度の儀式、配合飼料の給餌の時間。彼らはこれを食べるのが楽しみ。2kgほどを6箇所に分けて与える。5分もしたら一粒残さず食べ終わる。
これが終わると今の時期、一同はチャツに入る。それが、こちとらの狙い目。
10時から11時までが一仕事でした。チャツを閉鎖して、尚且つ軽トラックで出入り口を破られないように補強をする。そして目標の雄2頭にモクシを付け終わったら11時でした。
残るは5頭、虚勢済みの2歳馬と後3頭は春生まれの半歳馬。侮れないけど、与し易い相手。先ず先ずの捕獲作業でした。
07年8月31日記
ベリーの収穫を終わる
昨年9月1日は7、8月を留守にして、水沢から帰宅した日だった。菜園を見てびっくり、雑草園に成っていた。ブルーベリーも雑草に埋もれ、花豆は杖の半分以上に花を咲かせていた。がその他の人参、じゃが芋、大根、キャベツ等は完全に姿を消していた。雑草と人の植えた野菜類との生育競争は雑草に軍配が上がった。
それで今年は雑草の除去に全力投入。今、収穫半ばで思うことは雑草に地力を取られなかった分、収量は昨年の倍、平年並みに取れそう。
昨秋のベリーの収量は約15kg、今夏の収量は約28kgは取れた。最後まで鳥害にあう事もなくてよかった。
何本のベリー樹から実を採れたか数えたら約50本。だから上手く育てると近い内に100本からの収穫が望める。
これはよく生る、という木が5本ほどあって、育成の仕方で、もっと収量は増やせる。その様な事を今夏は考えた。
悲しい経験も。ようやく実を付け始めたノーススター種(樹齢5年)の幹を草刈機で地上5cmで切断するミスも。
昨年の経験から徹底して草刈をし、太陽光が果実に当る様に、とにかく除草はこまめに。だからかどうかは分からないが、昨年と比べて実は甘いと評判。
葡萄のように付いた実が根元のほうから大きくなり、深紫色に熟す。手を触れるとポロリと房から落ちる。深紫色を採り終わって、2日も経つと小さく青かった実が大きくなり、また深紫色に熟す。
ままごとの様なブルーベリー園ですが、2日で2kg、3kgの収量でも送った相手から喜ばれると、遣り甲斐を感じるものです。
来年はもう少しベリー園に手をかけ、今年よりもいい品物を、そんな思いで今夏の収穫を終わる。
07年8月24日記
東牧場の井戸掘り
8月18日午後3時から東牧場の井戸掘り現場に行く。確か昨年の5月から始めた井戸掘り、いよいよ掘り込み作業を終え、コンクリート管の埋設作業直前です。
この作業は道東の医療労働者組合が行っていて、労働者自らが井戸掘りをしています。昨日の段階で7.5mまで掘り進んで、本日19日は井戸底の整地作業になりそうです。私は野次馬ですから傍で見ています。
とは言え平和公園内に出来る給水施設ですから、何かと気になり「ぼそぼそ」と責任者の傍で喋っては居ます。
川瀬宅の井戸と西牧場の井戸掘り、水脈に当たった時の様子が良く似ている。細かい黒い砂の層に当たって、下方から水が湧き出して水位が増し、掘り続けることが出来なくなる。西牧場の場合は川瀬さんの話と全く符合するのでした。
そこで問題、現在掘っている井戸と川瀬宅の井戸の距離は精々70mほど。ですから地下6m程で同じ地層に当ると思っていたがそうではなかった。19日11時過ぎになって、約8mに掘り下げるも黒い砂の層には当らず、湧水の量も1分間に1リットル、これではいい水脈とはいえない。
井戸掘りの責任者はこの日の作業を終わること宣して、作業は終了。次回は9月を期して再度深度を進めて湧き水の多い水脈を探るという。
今、東牧場で掘っている井戸は牧場の最も高いところで掘っていて、それが水脈までの深度を深めている理由なのだろうか。西牧場で一昨年掘った井戸以上に苦労を重ねている。だからもう井戸掘りのプロです。傍で見ていてそう思った。
9月には良い水脈に当りますよう祈るばかり。
07年8月17日記
ベリーを連日収穫
9、10、11、12日、13日と連日約1kgを収穫。12、13日は朝8時過ぎから、かんかん照りで気温は30℃ほど。午後は30℃を3、4℃も超したか。摘みだして1時間で深紫の実を摘み終わるが、30分もすると眼鏡に汗が流れて焦点定まらず。短時間だが骨の折れる仕事ではある。放置すると野鳥に食べられるし、もう少し頑張って摘み取りを続けよう。
14日8時過ぎから1時間ベリー摘み。約1kgの収穫。汗びっしょり。15日9時半ベリー園見回り。100本の内、実が生っているのは60本ほど。ノースランド種が75本でこれが樹齢7歳。後25本はノーススター種で4歳ですから、実は生っていない。でこれで良し。
9時の時点で気温は35℃ほど。これで盆踊りから4日は30℃を超したことに。6月下旬に30℃を超して、7月は寒くて、8月中旬に又30℃を超した。
こんな気候になると、昼間は仕事をしないことに決めている。ブルーベリーの摘み取りは日が西に傾いてから、1時間ほど。
午後3時半から5時半までベリーの摘み取り。汗びっしょり。もう採りたくない気持ちに。2kgほど摘み取り。段々と実の大きさも小振りになるし、収穫も終わりに近づいた。
実のへそと言うか花の咲いた跡に昨年は白い蜘蛛の巣がかかっていた。今年も幾つかそれらを観る。数mmの大きさの蜘蛛が巣をかけている。夫々が生きるために必死になっている。
とにかく今年はその白い蜘蛛の巣をあまり見ないで収穫を終えそう。
明日からは雨模様。雨が済んだら秋が始まるのか。今週は暑い暑い残暑日和。15日夕刻でした。
07年8月10日記
ブルーベリーの収穫
8月7日、10時から気になっていたブルーベリーの収穫を始める。外気温は25℃くらいだが長袖の服装ですから、2時間後は汗びっしょり。初物の200gから1週間、2時間の収穫は約3kgでした。
昨年は9月初旬に、雑草に埋もれたベリーの木、草を掻き分けの収穫でした。今年はそのようなことはないが、こんなに早く熟すとは思いもしなかった。それで慌てて深紫に染まった実を。
昨年は気付かなかった事だが、ブルーベリーの収穫で要注意が一つ。何だと思います? 蟻なんです。蟻が熟れたのから順に食べ始める。(蟻の前に嘴でつついた痕も)
今夏は7月中旬から樹幹の周りの除草を続けた。根元に置いた堆肥の下に蟻の白い卵を目撃していた。彼らにとっては根元に住があって、木に登れば食がある。最高の住環境です。
台所に侵入した蟻とは種類が違う少し大型の蟻たち、熟したものから順に収穫?。アイヌの人たち恵を3等分に、一つは人、一つは動物、残りを自然(神)にが文化だという。
蟻たちにも恵を、と思いながらの収穫でした。
樹幹の周り1mの除草は終わらないままに今年のベリーの収穫期に入ってしまった。来年のために残りの40本の除草を遣り残すわけには、と思う。
覚悟しなくていけない野鳥の食害、その内に強まるでしょう。が今はゼロに等しい。本州では防鳥ネットを張るらしいが、ここではその考えはない。
今実をつけている分を収穫するまでには時間はかかりそう。どの様に展開することやら。
ブルーベリー収穫、2年目の始まり始まり。
07年8月3日記
最も川瀬牧場に人が集まる
8月11日は第43回・矢臼別平和盆踊りの本日です。最近は盆踊り本日の参加者は500〜600人くらいで経緯している。何時だったか、1500人にも参加者が膨れ上がって大混雑したことも。
この盆踊りには初回から参加を続けている人がいたり、東京から5、6年も前から続けて設営隊に参加している人がいたり、10数年トランペットで開会を吹き続けている人がいたり、と話題は豊富。
この盆踊り、1965年8月14日が初回で、「矢臼別平和碑」建立を記念してその周りで踊ったのが始まりと言う。当時は杉野牧場でしたが1977年杉野さんが離農し、それからは川瀬さんが川瀬牧場として引き継ぎ、現東牧場の盆踊り広場で今夏も。
今や矢臼別平和盆踊りは道東の平和運動の象徴的な催しとなりました。昨年は残念ながら矢臼別を留守にしましたが、私も第22回からの参加で、この催しには20回ほど参加したことに。
年齢を気にするようになり、矢臼別平和公園クラブ通信(第9号)にも書いたことですが、「人を残す人生こそ上」を考えるこの頃です。
若い人たちに盆踊りを引き継いで貰うためにどうあるべきか、意識的に考えなくてはなど。
設営隊は例年本日の3日前から。8日から舞台の設営が始まり、川瀬牧場は賑やかになる。 盆踊りは雨天でも決行が習しです。
第22回からでも、2回ほど台風が道東を通過しました。それでも花火は上がったし、盆踊りも出来た。なんとも不思議な盆踊りでした。
沢山の方の来訪をお待ちしています。
07年7月27日記
鹿との攻防
北海道ではエゾシカとの折合いが近年話題になる。鹿が増えすぎて食害にあうからだ。それで期間を決めて狩猟を許可する。それで上手く折合いがついているかどうか。未だ答えは出ていない。JRで旅をすると車窓から鹿の侵入を防ぐフェンスを良く見かける。国道を車で走っていても鹿の姿を路上に見ることも多い。時には車と衝突した鹿の遺体が路上に、という風景も。
川瀬西牧場も若芽が出始めると、鹿が群れで訪れる。馬と鹿が群れになって草地で食む風景もよく見かける。
18年の菜園つくりで、9年くらいは馬を避けるための高さ1mほどに3段の有刺鉄線で菜園を囲っていた。初期の頃は川瀬さんの羊に侵入されたり、馬に柵を押されたりもした。しかしその程度なら問題は無かったが、10年目だったか一夜にして花豆の葉っぱがなくなって、杖だけになってしまった。鹿の食害でした。鹿は1m程の高さはひょい!と一跳び。それまで鹿の食害に合わなかったのが不思議なのですが、一度味を占めるとそれまで。
それで慌てて1.8mの高さに金網のフェンスで菜園を取り囲んだのはその夏からです。5年ほど前に一度進入されたことがあった。すぐさま、私に追われ、1.8mを飛び越えるのは大変で、クリアー出来ずにフェンスの上部をひん曲げて脱出した。その後侵入はない。
馬でも鹿でもとにかく美味しいものが目の前にあると食べたくなります。それを防ぐには侵入されないように柵を設ける、最も初歩的な防御方です。
実はブルーベリー園の拡大を考えているが、鹿除けフェンスから考えなくてはなりません。桜の木を移植するにも、馬と鹿からの被害防御を考えなくてはならず、動物との折り合いを常に求められる西牧場です。
07年7月20日記
毎日が草抜き作業
今年は人参を昨年の6割り増しの5畝に。その上ブルーベリー園の手入れに力を入れている。
大根や特にじゃが芋等は一度除草をすると2週間もすると本体の陰になって草も思うようには生長しない。しかし人参は3週過ぎても背の高さは10cmそこそこ、だから草も負けてはいない。人参、間引きも進んで間隔が10cmほどに。
花豆は私の背丈を越して伸びた。そして花が下段に咲き始めている。キャベツはソフトボール大に巻き始め、ブロッコリーは未だ花芽は出ないけど、背丈だけは50cmにも。
7月の低温は作物の生育にブレーキを掛けているようです。ただ蝶の飛来が少ないためか、葉の虫食いは少ない。カボチャのつるの伸び、寒さのせいか1mほど。根元に実の成らない花は咲いたけど、実の成る花はまだまだ先の話。
今一番の仕事はブルーベリーの草抜き作業。樹幹の周り地下は草の地下茎で密封されている感じ。これではベリーの実は大きくならない。そう思いたくなるほど地下茎の層が厚い。100本を一気には出来ない。5本くらいを朝晩に、10日くらいでこの仕事をすれば秋には大きな実に成るか、などと勝手に思って、樹幹を中心に1mの円にスコップを突き刺し、地下茎を分断、除去作業を。この仕事をやり終えると、すぐさま実が大きくなるぞ、と思えてくるから楽しい。秋には答えが出る筈。
温室の中は初物のトマトが色付いて、今度はカラスに採られない様に。ピーマンも花が咲き、キューリも居間でポットに種を下ろし、移植したのが花を咲かした。直播したものは柄は大きいが花は未だ。
毎日、朝早く菜園を回るのが一日の始まり。これが楽しい。
07年7月13日記
電話線の断線を復旧
6月8日は西牧場にとって嬉しい日に。電話線の不通が復旧する日になったから。電話を設置して17年目ですが、断線は引込み線の自宅から7m程のところで起こっていました。
7日の夕刻から電話が不通になったり、通じたり。電話会社に修理点検を依頼すると、8日午後からと言う連絡を受けていた。
3、4、6月と続けて電話線の接続が悪くて困っていた。それで無線によるインターネット利用を考えたり、携帯電話の使用を考えたり、と。
別海町が行った、5月の無線ランの受信試験の結果が思わしくない。それに携帯電話もアンテナマークが自宅では1本も立たない、も判明。西牧場が田舎の田舎たる所以です。
そんな状況で、6月の電話不通ですから困り果てました。6月7日に我が家だけが電話不通であることを確認していましたが、何処に問題があるのかは修理屋さんの判定を待つしかない。我が家に修理屋さんが来たのは8日午後の4時頃。自宅から直近の引き込み電柱の折り曲がった処で断線していることが判明。線を取り替えるのに10分ほどでしたか。
演習場内のピリカ台の上ではアンテナマークは3本立つのに我が家では1本も立たない携帯電話。無線によるネット接続が受信電波微弱で利用できない。家の周りに木が生い茂っていてテレビの受信が思うに任せない。一癖も二癖もある矢臼別の川瀬西牧場です。
電話に雑音が入ったりファックスが不調だったりと、ここ数年は問題が有り過ぎました。断線復旧ですべてが解決ではないかもしれないけど、突然の電話不通は解決できたよう。
必要な情報を取捨選択、田舎のまた田舎を返上しなくては。
07年7月6日記
菜園の中央にあった禿地
我が西牧場菜園のほぼ中央に直径4mほどの草も生えない禿地があった。この禿地は転居2年前、今から20年前の事象に関係する。
川瀬牧場の囲い込みと言われる牧場と自衛隊演習場との境界に2m間隔に木製の杭を立て鉄線を2段に張り、馬を牧場内に封じ込める作業を1987年6月早朝に自衛隊が実施した。そしてこの囲い込みに抗議する矢臼別の平和闘争が一夏展開された。
この時、西牧場の草地で毎週狼煙が焚かれ、燃料はタイヤだった。この狼煙の焚いた跡地が禿地になった。昨年まで、極端な言い方をすると、ぺんぺん草も生えなかった。そしてようやくこの夏になって野菜が生育するように。
私には何故これほどに植物の生育を拒否するのかは分からないけど、とにかく昨年までは禿地は面積を狭めてはいたけれど、野菜は育たなかった。
西牧場を訪ねてくれた方には、時にその話をしたこともあります。タイヤを畑で燃やすと草も生えなくなる事実、17年ほど見続けた訳で、タイヤの燃焼害を嫌と言うほど見せ付けられました。
少しずつ禿地の土を除去、土の入れ替えなども試み、ようやくタイヤの燃焼害が消えた。農家にとって、してはいけない畑でのタイヤ焼却です。
台所から出る洗剤や畑で使う殺鼠剤、時には灯油タンクからの漏油事故など地面に吸い込まれる物はすべて地下水につながっていて天に唾する行為です。
菜園中央にあった禿地は色々なことを教えてくれました。この夏から禿地は姿を消したけれど、いい加減なことをことをしてはいけないと気を引き締めています。
6月29日記
初物盗まれる
日曜日は外出することが多い。外出する時、温室の出入り口は開放する。帰宅するとさっと菜園を見回して異状の有無を確認する。で異状なしを確認したつもりがだが、25日朝の温室内の給水で気付いたカラスの食害。
初収穫が2週間も先のトマトが青いままで地上に転がっている。カラスの仕業だ。地上に転がった青いトマトにつついた後が残っている。
温室がカラスの侵入で被害を受けたのは今度が初めてではない。今夏、もう1カ月も前に被害を受けている。
温室内にトマトやナスやを移植した時、ネズミの食害を避けるために、森林組合で購入した殺鼠剤を温室内でも使った。そして残りの殺鼠剤をビニールの袋に入れたまま温室内に置いた。一袋に小豆サイズが2個入りで100袋はあったか。
ほとんどがカラスに食べられた。半分ほど食べられたので慌ててビニールシートが2重になっている所に隠したつもりだったが4、5日後、根こそぎ全部食べられた。その内、毒が効くだろうと思いきや、効き目はゼロ。ぴんぴんしている。
この顛末を友人の獣医師に話すと殺鼠剤は鳥には効き目がないという。
詳しくは分からないけど、確かに効き目なし。小豆の大きさ約200粒の殺鼠剤を平らげて、けろりとしているのですから。納得です。
25日午前中、泥縄式に90cmx200cmのトワイン製の網を編んで、温室の二つの出入り口にカーテン代りに吊るす。
カラスとは矢臼別に来てからずーっとの付き合いなのに、時々隙を衝かれる。
網のカーテンが効きます様に。でなきゃ初物が又遠のく。
07年6月22日記
人参の草抜き。
16、17日と1日に2時間当て草抜き作業をする。5畝の内3畝を除草。温室から移植した花豆8株ははや花を咲かせた。
今年のカボチャは30株で、今は順調に。これは秋、本州に送ると喜ばれる。すると姿を変えて故郷の味が帰ってくる。取らぬ狸にならないようにだが。
人参の施肥は専らポニー達が冬場に餌場の周りに積み上げた馬糞。これだけが投入する肥料なのだが、これも人気の商品。友人に送ると香りが良くて味もよし、と喜ばれる。しかし今は爪楊枝の先2cmほどの双葉の姿、これが秋に5寸人参になろうとはとても。
実は14日前まえ、菜園内にポニー達の侵入で慌てました。馬が菜園に入ったのは入り口が開いていたからで、菜園の管理者の責任。ポニー達が悪いのではない。
ざっと見積もって菜園は1割の踏みつけ害か。なんとも情けない今夏菜園のスタートとなりました。ブルーベリー園にも入っていて、慌てふためいて「出てゆけ!!」 と怒鳴った。飼い主が怒った時の大声をよく知っていて、馬達は20秒とかからなかった。さっと園外に。このことは朝の7時頃のこと。前夜から菜園に侵入、しこたま草を食べていたからだろう、で一件は落着した。
花豆は発芽初日、キャベツ、ブロッコリーは10cmの背丈に。大根、小松菜も発芽直後。人参は未だ発芽前のことでした。
26筋の畝には所々に馬の足跡が残っていて痛ましい。温室の中とカボチャは被害ゼロ。
もう昔の話になるけど、ワールドカップのテレビ観戦で温室内の野菜を全滅させてしまったことがある。朝から温室を閉鎖したまま正午まで。70℃を越す室温で見るも無残に。
管理能力が劣化していることを自覚しなくては。今夏も要注意だ。
07年6月15日記
気温が14℃にも
11日などは夜間でも外気温が14℃もあって、ここ3、4日気温が高い。お陰様で菜園の発育は上々です。
発芽をした花豆等は3日も放置しようものなら地べたに横たわる程に伸びる。3日目慌てて杖を3列に立てた。これで花豆の生育準備は整った。
問題はジャガ芋です。初めての試みで楢の落ち葉を施肥した。畝の中央に深さ15cmほどの溝を切り、その中に30cm間隔で種芋を配置。長靴で芋を踏んづけ、その上に溝一杯に落ち葉を被せて薄く土を乗せて風に因る飛散防止をする。今のところ発芽が遅れているように思う。さて上手く発芽が進むか。
人参、大根、小松菜の露地もの、皆芽を出した。後は除草が大変。昨年は見事に草が菜園を占拠した。それだけに今夏は除草に力を入れなくては。
ブルーベリー園は1回目の除草を終わり、ノースランド種は花を付けている。4本ほど移植を試みたが二本が定植、二本は失敗した。果実の育成には全くの素人で勉強がたりない、と思う。
11日夜1時20分、外は真っ暗なのに、カッコーとエゾセンニューが暗闇で競演、これには驚き。夜中の、「カッコー」と「ジョッピンカケタカ」にはびっくりしました。そして12日は2時40分頃、これはもう薄明かりの空でしたが、昨朝に続く競演を薄い霧の中で聴く。
13日も2時半頃両者の競演が始まる。外気温12℃。3日続けて競演を聴くとは初めての経験。
西牧場の菜園は勢い良く育っていることを実感。で朝の菜園の見回りの楽しいこと。
07年6月8日記
山で感じたこと
今年は桜の開花が例年より早いだの、何だのと平地で考えていたけど、藻琴山の頂上直前で、夏は何時もより遅いことを実感する。
これは6月5日朝、藻琴山の登り初めに一足早く登り始めた人がいいて、この人が早下ってきた。頂上まで15分ほど前。この人の話を聞いてなるほどと思ったのです。今の季節藻琴山からは雪が見えないのに、今年は随分残っていると。そう言えば登山道にも何箇所か雪が残っていた。
一緒に登った友人も桜が咲いている筈だが、頂上直前で1本だけ蕾の状態で未だ咲いてはいなかった。
そうなんだ、今年は桜は早かったけれど冷温がその後続いた。それで別海町の草地の伸びも余り良くないとか。
確か5月23日に蒔いた花豆、6月6日ようやく芽を出した。カッコーは昨日などあちこちから喧しいほど鳴いてくれた。
ブルーベリー園の草は一部50cm程に伸びて、6日の午後は草刈を。今年は草を早い目に刈り取って美味しいブルーベリーの果実を、と張り切ってはいるけれど。自然が相手の菜園や果実の育成はこちらが思うようには行かない。
山で会った人の話で、今年の夏は少し遅いんだと、考えを改めました。雨水が少ない時は地下水を散水してやれば補うことは出来ても、外気温の調節は出来ない。
太陽光の恵なしには農業は成り立たないし、水がなくても。中国の水不足のことなど地球の環境のことなどを藻琴山の頂上付近で改めて、考えていました。
07年6月1日記
カッコーの初鳴き
5月26日雨降り。外気温5℃。温室の気温10℃。温室内の地面を整える。トマト、ピーマン、茄子、パセリ、青しそ等々を移植する。キューリは移植が上手く行かず20粒を直播。小松菜は収穫中。一人では食べきれない。昨夏、露地から温室内に1株を移植したものが、自ら種を温室内に蒔いてくれた。1平方mに20株ほどが密生。味美です。
いつカッコーが初鳴きを聞かせてくれるか、花豆の発芽が気になります。
27日朝雨降り、ツツドリ鳴く。外気温5℃寒い。28日朝、薄氷が張る。畑の表面が所々に霜柱を立てる。花豆は3cmほど土を被せている。上手く難を避けて芽を出してくれますように。どうやら昨夜の外気温度−1℃か−2℃が何時間か続いたよう。
29日朝4時半、薄い霧、無風。絶好の人参の種蒔き日和。何と外に出て種を蒔き始めたら、待ちに待ったカッコーの初鳴きが聞こえてくるではないか。ツツドリ、鶯、オオジシギ、センダイムシクイ、姿は見なかったけどカケス、山鳩、カラス、それにカッコーの鳴声が、野鳥のシンフォニーが始まったよう。
略1時間で人参と小松菜、大根を蒔き終えて6時半には屋内に帰る。
今日は気温が上がりそう。といっても昼間で15℃ほどか。残るはカボチャの温室内から露地への移植。露地の26畝の畑、1畝を残して種蒔きは終わった。
カッコーの声を聞きながら、一段落の西牧場の菜園です。
07年5月25日記
ポーッポーッ、とツツドリ鳴く
5月19日雨の降る寒い朝、ツツドリの初鳴きを聞く。21日にはカッコーらしい姿の飛行も目にする。つい最近のことだが、ツツドリの初鳴きの話をしたら、どんな鳴声かと訊かれました。80年も別海町で暮らしてきた人なのに。牧草地に切り拓かれてしまった草地ではツツドリとは縁がなくなってしまうのでしょうか。
20km程我が家から北西方向に離れた酪農家の長老です。ツツドリの姿、鳴声を知らないのには驚きました。
今年は畑作には張り切っていて、何時でも種蒔きは出来る状態にしていますが、花豆を例年より早い目にと思って気を揉んでいます。早いほど秋の霜害を避けられるが、春先の霜害にもあう危険性が。
カッコーが鳴いたら種蒔きOKは昔からの言い伝えだけに、その初鳴きが気に掛かる。
それで21日の花豆の種蒔きは見送った。姿は見せても、声は立てずは確かなこと。
初鳴きにはそれなりの訳があるでしょう。仔細は分からないけど、子孫を残す上での確かな理由でしょう。
ツツドリはセンダイムシクイの巣に托卵すると言う。そしてカッコーはヨシキリ類、モズ類、ホオジロ類に托卵するとも。センダイムシクイの鳴声は林の中から盛んに聞こえる今日この頃。
カッコーの托卵相手が未だ森にいないのか。カッコー自身の飛来が未だなのか、気にかかるカッコーの初鳴きです。
霜害に気を揉みながら23日朝、思い切って例年より1週間早く花豆1000粒を蒔いた。
カッコーが早く鳴きますように。25日朝の外気温は0度でした。
07年5月18日記
畑地造りは完了
14日畑地造りは完了、先ずはジャガ芋の種を蒔く。今年の作付け予定はジャガ芋、花豆、人参、大根、キャベツ、ブロッコリー、パセリ、小松菜、カボチャ、以上が露地物。温室内はピーマン、トマト、キューリ、茄子、しそ、等です。
未だカッコーは姿を見ないけれど、そろそろ姿を見せる頃だ。鶯は原野で今、大きな鳴き声を聞かせてくれる。しかしカッコーが鳴き始めるとその座を譲る。
畑の畝の端に移植されている3本のチシマ桜の低木が15日花を咲かせた。その内川瀬旧宅前のエゾ山桜が咲き最後は西牧場内のクイーン桜の開花だ。今年の桜の開花は少し早い目か。
16日ジャガ芋を10畝に700個の種芋をおろす。昨年はじめて「百歳万歳」のおばあさんがしていた枯葉の肥料、ほんの一部の種芋に、楢の枯葉を施した。
これがいい結果を見せたので、今年はジャガ芋の全てに施肥した。もうジャガ芋を作り始めて15年にもなるが、毎年豊富にある楢の枯葉を施肥することなく見逃してきた訳で。情けない限り。
まあ今年からでも遅くはない、どのようなジャガ芋に育ってくれることやら楽しみ。
後一つ期待するというか大きな課題は人参作り。最近リンゴと人参のジュースを飲み始めた。毎朝人参2個とリンゴ1個をジュースに。それで例年よりは作付けを増やそう。課題がまた一つ増えた。
今日は18日、雨の降る中で川瀬旧宅のエゾ山桜が5分咲きになった。
07年5月11日記
さあ耕運機をかけるぞ
4月7日、居間でポットにキューリの種蒔きをした。そして芽を出した13本を5月8日、温室内に移植。野鼠に食害されるのではと心配したが9日朝、一夜を無事に過したことを確認、ほっ。10日朝も無事。温室内には小松菜も背丈20cmに育っていて、どうやら今春の食害はなさそう。
温室内には青シソやカボチャの苗も背を伸ばしていて、賑やかに。ピーマンや茄子、トマトが加われば夏物は準備OKなのだが、トマトを除いて未だ種蒔きが終わっていない。でもその内に隣町の知人から苗を頂く手筈は出来ている。
今遅れているのは堆肥撒き作業。昨年くれに運び込んだ堆肥を9日、夕刻に撒き終えた。いよいよ耕運機の出番だ。
今年の期待品目はブルーベリー、根元にしっかり堆肥を置いて、尚且つ草刈をきちっとして、美味しい果実を付けさせること。それに待望の株分けも4本ほどした。これが上手く定植すると新たに苗を購入することなしにブルーベリー株の増殖が出来る。
菜園の畑の端に桜の苗木を10本移植している。今は背丈2mほどで問題はないが10年後20年後のことを考えると、これで良いのかな?と考えてしまう。千島桜が3本あって、はや蕾がふっくらしてきた。
畑の端に桜の木を植えたのは、馬や鹿からの食害を避けて、菜園の金網フェンスの内側に移植したからだ。本格的な定植地を決めてやらなきゃ、と思う。移植は早いほうが良い。なんだかんだと西牧場の課題は多い。
でも今日は耕運機を使って畑を耕そう。カッコーが鳴き始める前に。
07年5月4日記
いよいよ春が
4月28日18時20分、夕刻になって外に出た。肌着にシャツを羽織って外に出たが寒くはない。電柱と楢の根っこに差渡した角材の長椅子に腰を掛けた。そして聞こえたのが、鶯の初鳴き。200mほど離れた南側の谷地からだ。聞き違いかと少し南に歩いて確かめた。4羽も5羽も夫々にあちこちから聞こえる。
オオジシギも風きり音をさせている。ズビズビズーッ、と鳴き、続いて風きり音がシュルシュルシューッ。
4月30日午後、川瀬さん宅に行く。毎度の1週間に一度のミーティングだ。1時半を少し過ぎていたが今春初収穫のアイヌ葱を料理中だった。川瀬さんは散歩の途中でアイヌ葱を見つけたのかも。早速私もアイヌ葱の巣を観に行かなければ、と思う。
5月1日午後、牧場内のアイヌ葱の巣に下見に行く。確かに数本がほんの1cmほど葦の枯れ草の下から新芽を出している。2日は朝から雨模様。この雨が上がったら西牧場もアイヌ葱の初収穫日としよう。昨年は5月5日が収穫日に。山菜の発育は昨年と略同じ時期に・・らしい。
矢臼別の山菜は無農薬で化学肥料の影響下にはない。将に自然食品。この頃は山菜といえども人の手に管理されているものが増えている。
料理を得手としないけれど、今春は山菜の初物を夫々試食してみよう。
先ずはアイヌ葱から。酢味噌で和えると美味しい。酢味噌の作り方から学習を。
07年4月27日記
悪路が続く
2週間も前の月曜日にカエルがゲロゲロ、ガァガァと鳴いて春が来た、と。その後さっぱり鳴かずに4、5日前から平和池の回りの湿地で又ゲロゲロ、ガァガァを始めた。
26日10時30分、ユウパックが東牧場に届いた。例年、早い時は西牧場に車が入っているのに今春は未だ徒歩配達が続く。何故か今春は悪路のままだ。パックの重量7kg、電話を受けて私は半分の行程を東に向かって歩くことに。中間で受け取って重みを分かち合うことに。
今年は暖冬で、「もう少し早く車が入るか」と思った。これ郵便屋さんの弁。
ここ3日は町に行ったり来たりを繰り返した。あまりの悪路に私も考えた。今年は2月の初旬まで車で出入りしていた川瀬西牧場。薄い雪でしか地面をカバー出来なかった分、凍土が深く進行した。その為に例年より凍土が厚い。そんな関係かも、と郵便屋さんに話し別れる。
昨日25日は雨が降った。畑には数羽のオオジシギが降りていた。飛び立つ時にギーギーッ、と飛び立つ。彼等は南半球からのお客さん。早くも顔を見せた。もう直ぐあの独特の風きり音を聞かせてくれる。
冬場に馬達が出した馬糞をしっかり集めて、例年以上に畑地に堆肥を撒き散らして、去年の不作を取り返すぞ、そんな気持ちになってくる。
悪路も1週間も経てば良くなるだろう。もう直ぐ菜園の準備、忙しくなります。
07年4月20日記
15日朝は銀世界
14日朝から降り始めた小雪どうやら夜中まで降り続いたよう。降雪10cmは優に。馬達も15日朝は餌場に勢揃い。
16日朝も雪は半分は残って、原野は白と茶色のまだら模様に。なかなか簡単には雪解けが進まない。気温も2、3℃を行ったり来たりで薄着では街に出かけられない。
カシワがコッコを産んでから1カ月と少し。カエデが4月の初旬には産むだろうと予測したが、未だに産まない。餌場に帰る時間が少なく、その内に林の中から連れて、帰ってくることになりそう。既にカシワのコッコ、ヤヨイ号は捕まえるのが難しい雌馬に成りつつある。
カエデは最も飼い主に懐かない母馬ですから、産まれたコッコも常に母馬の陰に身を隠す馬になる。今年の飼い主の課題は如何に馴致するか、です。
畑作をする以上に難しい馬の馴致作業、何とかしなくては、と気が焦ります。
4月7日、居間でポットに仕込んだキューリの種、16日になってようやく双葉に芽を出した。これを温室に移植するのが楽しみ。でも注意しないと野ネズミに根元から幹を噛み切られる。殺鼠剤との組み合わせで移植苗を守らない、と一夜にして全滅。油断も隙もならない温室の移植作業。
19日朝5時30分、カエデが北の林からコッコを連れて帰ってきた。案の定、10mの距離を保って近寄らせない、コッコも母馬の陰に。すらりとした姿、雌馬だろうか。
今日は20日、14日の雪はすっかり消えた。でも桜の開花は30日も先の話。
07年4月13日記
今春は30日早く
年々ふんどし農民をして来たけど、今年は一部自前農民を始めることに。他でもありませんカボチャの種蒔き、青しその種蒔き、それに居間ではキューリの種もポットに仕込んだ。スローライフの始まり始まり。
既に温室内には韮と葱が芽を出していて1週間もしたら収穫が出来る。陸ワサビは秋に枯れたのを3日前に掘り出し、試食した。麺のスープにワサビの味が良く合う。1昨年、温室内に一株移植したら数株に増殖。
温室内といえど今の時期、夜は氷点下に下がることも。だから1カ月早く温室を使うことになると日没から日出までの間、温度管理をしなくてはいけない。(それはしないが)
もう16年も前の話。一冬中、青野菜を温室の中で作り続けた。ビニール温室の中に30cmほど嵩の小さいビニール温室を作ると熱源なしで野菜を栽培できる。
その冬、3月だったか大吹雪にあって外側のビニールを破損して大騒ぎ。修理をして収穫は続けた。がそこまでしなくても、と冬場の二重温室はその後止めた。
今春の露地は長さ20mの30畝が作付面積。ここにジャガイモ、人参、大根、花豆、小松菜、カボチャを。ただで頂くブロッコリー、キャベツ、カリフラワー等の苗も加わる。
温室内には、ただで頂くキューリ、トマト、ピーマン、茄子、シシトー等の苗が勢揃いする。
今年は自前がどれだけ増えるか、やる気満々、温室15坪が動き出した。
07年4月6日記
春が来た
4月1日朝、街へ買い物に出かける前に鶏小屋に行く。雌チャボばかり6羽が住人です。いつも止まり木に休んでいた雌チャボ、今朝は一羽が産卵箱の中に座っている。これは抱卵だと直感。上からのぞくと卵が体からはみ出ている。チャボが自分の体で抱卵出来るのは精々7個くらい。箱から追いやって数えたら11個もある。昨日見ないままがいけなかった。どうやら6羽の雌チャボが一斉に産卵を始めたらしい。2日には場所を変えて又座り込んでいる。追いやると6個を抱卵していた。これは驚き。
実は昨年春先から鶏の飼育を止めようと店仕舞いを始めた。が売れ残って、友人宅で7、8月と預かって貰った雌チャボ6羽が9月から西牧場の鶏小屋に帰っていた。それ以来卵を産むことも無く餌だけを食べるペットになっていたのです。
もう今年は卵を産むことも無かろうと。思い込んでいた。ところが先に話した通りです。
友人の獣医師から聞いた話です。鶏は生涯で産む卵の数は決まっていて、ゆっくり産ませる。とポツリポツリと産むという話。スローライフの考えなのかも。
ぴたりと止っていた産卵が春の季節と共に。雌チャボ達はまだまだ卵の元を体内に宿していると言うことか。
お陰で美味い卵が食卓に、春到来です。大量生産の卵とは一味も二味も違うことは食べてくれた多くの人が言ってくれる誉め言葉。
当分は養鶏を続けることに。
07年3月30日記
春を呼ぶ
冬場にせっせと貯めて置いた薪ストーブから出た灰を菜園に3月の半ばに撒いた。効果はてきめん昨年秋の収穫後の畑地が顔を出した。灰の散布が行き届かなかった畑の3割は未だ約30cmの雪ノ下。早く畑地に日光を当てればそれだけ早く凍土がとける。
慌てて26日残る雪面に灰撒きをした。井戸の水も昨年より1週間早く水位を増やした。所々に雪解けの水を浸透させる箇所が出来て地上からの浸透が進んでいるよう。
温室内、日の当たる昼間は50℃にもなって早今年は耕耘をした。近年はスコップでしていた耕耘を乾草を扱うときに使うフォークで。でもう種をまく準備は出来上がっている。3月中に温室が移植準備OK
など初めて。
冬の降雪から守ってきた15坪の温室、一人で食べる野菜を作るには十分すぎる面積。今春は4月から活用をしよう。早く種を播いて。
野鳥のさえずりも盛んになってきたが、今週は毎朝、啄木鳥の激しく木を叩く音があちらこちらで聞こえる。
耕耘機の調子を整えたり、草刈機の整備をしたり、散水の準備をしたり野菜園の耕運をする準備も今の内にしておかなくては。
今年はブルーベリー園の草刈もしっかりして日光がしっかり当たったブルーベリーの実を育てなくては。そして花豆、ジャガイモ、キャベツ、人参等々昨年並みの植え付けをしよう。
やる気は満々です。怪我をしないように。
07年3月23日記
ヤヨイが糞を食べる
先週から、朝一番の仕事は餌場に行くことにしている。馬達のご機嫌を見定めるために。カメラを持っていなくて、写真には撮れなかったが、ヤヨイが母さんの糞をむしゃむしゃ食べるのを目撃。子ども馬が母馬の糞を食べるのは馬を飼い始めて間もなくから知っている。
詳しくは知らないけれど、免疫力の弱いというか、消化器官内に雑菌を持っていない子ども馬に、母馬から排出された雑菌を取り込む行為と聞いた。もうヤヨイは母乳だけではなく、この日は細い乾草を口にしていた。
よく乳を飲むか、分娩後の脱糞をしたか等、確認すべきことはそれとなく覚えた。母馬の糞を食べる風景も確認事項の一つです。
生まれて間もない2、3日は鼻筋が必要以上にしゃくれていたが、1週間もするとしゃくれが少なく馬らしい顔に変わってきた。未だ雌雄を確認していないが、雌だと思っている。
生まれて2日目の朝、数分間自分の両足に挟んで首や胴体を触ってやった。その後はもう掴ませない。親と並んで駆け回るヤヨイです。
早いうちにモクシをかけて人の言うことをきく馬にしなくては、と思う。
馬群は5日でロールを1本食べつくし22日新しいロールを出した。これが今春最後の餌出しになりそう。雪が解けて笹が見えてくるともう乾草には見向きもしなくなる。
春は直ぐそこまで来ている今日この頃。
07年3月16日記
カシワ出産
11日朝7時15分、大粒の雨が降り、やや強い南風が吹く中、餌場に行く。ぶるぶる震えながらカシワの傍にたたずむカシワのこども。今回も出産には立ち会うことは無かった。D型ハウスの陰から見ているとおっぱいを飲み始めた。生まれてから3、4時間は過ぎていようか。これは飼い主の六感。
早速11日の釧路地方の満潮時を見ると、6時03分と出ている。この日早朝3時か4時頃にこの世に出たか。
体内にいた子馬がマイナス気温で小雨の降る餌場に生まれ出た。お産を迎える母馬を小屋に囲うようなことはしない。というより出来ない飼い主。それをいい事に西牧場では馬のお産には没交渉です。
もう何年前だったか忘れたが、へその緒が繋がったまま親子が歩いているのを目撃した。これだけは何とかしなくては、と安全かみそりで切り離したことがある。
11日は8時間ほど外出して夕刻帰宅した。この日みぞれが10cmほど降った。おっぱいを飲むのを見届けていたので不安は無かった。天気予報の通り夕方には降水もなく、子馬は乾いたふさふさの冬コートを身につけ、時々おっぱいを飲む。これで一安心、おっぱいさえ飲めば。
残るはカエデとサビタの妊娠馬、これらの出産は4月になるのでは。特別に拘らないけれど、見回りだけはしっかりしないと。
カンバは亡くなったなったけれど、直ぐに馬群は9頭に戻った。これからはもう少し注意して馬群を見ることにしよう。カンバは元気そうに見えてそうではなかったのだろう。と今になって思う。
07年3月9日記
カンバ号姿見せず
5日朝早く餌場に馬を見に行くつもりが、正午を過ぎていた。カンバの姿がない。最後に見たのは昨日の夕刻、外出から帰った時だ。8頭が餌場にいるのにカンバだけが何故餌場にいないのか。
4日夜から5日朝にかけて小雪が降った。それで昨夜来のフレッシュな足跡はない。古い足跡をたどって牧場の東、北、西の三出口を順に、そして最後は牧場内南側の足跡も一応たどって見たがカンバを発見できず。
気温が氷点を上回って降雪の表面が緩み、長靴で歩き回るのも楽ではない。牧場の各出口で、少し歩いてはポウーッ!ポウーッ! と大声で呼ぶも、反応はゼロ。近くにいると、いななきで応える。夕刻まで待って餌場に行って見たが、やはりカンバがいない。
そして6日朝も。1時間ほど再度昨日のコースを見て廻ったが、カンバの姿は見えず。
一縷の望みはカンバがお産をして、子馬が雪に足を取られて歩けなくて、立ち往生している、です。これがあたるとカンバの亡骸を目にせずにすむ。そうであって欲しい。昨春子馬を生後1週間で亡くし、今春は自らが倒れるなんて、あまりにも不運すぎる。
7日朝6時過ぎ東の樹林に太陽が昇っている。3度目の行方探索、今日こそは見つけなくては。先ずは西牧場の東境界外域(演習場域)の土塁北側の足跡を隈なく追跡。土塁は略東西方向に残っている。この北側の足跡追跡を終え。続いて土塁に沿って足跡を西へ。最後は土塁の東に足を向ける。土塁は沢に近づいて終点。がカンバの姿は見えず。
ここで諦め、そのまま土塁に沿って引き返そうとした。けれど土塁と牧場の境界線まで約150mはあろうか、この間が気になる。そこで足跡のない雪道を50mほど牧場方向に林の雪面を進んだ。情けなや探し始めて50分、見たくなかったカンバの亡骸を20m先に発見。
ああ無念。 カンバは朝の太陽を背にして目を見開いたまま横たわっていた。なんとも悲しいカンバ捜索の結末です。
さてこの始末をどうするか? 閃いたのはこのまま放置。矢臼別の放牧馬がそうであったように、そのまま放置して自然葬にしよう。
子馬を生んだら与えようと用意していた配合飼料、与えることも無くなった。親馬5頭で順位が最下位のカンバ。いつも割りを食っていた、だから時々他の馬に隠れて与えていた配合飼料、今春はそれも無くなった。
さようならカンバ、安らかに。
07年3月2日記
2月23日の雨
朝から気温は5℃、暖かい。曇り空で風向計は南からの風。天気予報は午後3時から6時までが降水を報じている。午前9時、片手に傘を持っての車庫行き。片道30分で届く。年金生活者の税金の確定申告日、で別海町の庁舎に出向く。家を出て1時間で町役場に。
1時間で申告を済ませて、正午頃中標津町に回り昼食の外飯。その後、駅前市街地に出て共産党の町議の選挙事務所により一仕事を済ませて、西牧場に帰ったのが午後の4時。
帰り道は雨の中、コウモリ傘で雨を受けながら、ぬかるむ雪道を歩く。冬らしかったのも束の間、春の雨。
乾草置き場も正月には8本並んでいたロールが今は1本を残すのみ。あと何日できれいさっぱり馬達のお腹に入ってしまうのか。どれだけ不味くても、それしかなくなると食べ始める。昨年4月に出して、1年近く食べ残していたのを先に食べ尽くし、今年出した不味いと思われる最後のロールを食べ始めた。
2月28日、きれいに食べ尽くした。で取り敢えず1本のロールを1時間ほどで餌場に出す。3月を無事に過し、4月に入ると4頭の母さん馬がニューフェイスを産んでくれる。妊娠馬を太らせないのが安産の秘訣という。西牧場の母馬が太りすぎることはない。太るのは青草を食べる夏から秋です。
3月中は腹の大きくなった母馬の見回りをきちっとしなくては。あまり飼い主の保護を受けない馬達、自然と強い馬になっていて、未だ母さん馬の事故は知らない。一昨年春先、父さん馬のアカネ号が右前足をくじいて、4、5日小屋でつないだが。
昨春はカンバ号の子供を1週間で亡くした。その教訓を今春は生かしたい。
07年2月23日記
冬らしくなった西牧場
2月16日午後駅前市街に出る。自宅から東牧場の車庫まで60分。夏場は徒歩15分が雪が降ると初日は車庫まで時間がかかる。車庫に着く10分前は足が痛くなる。続けて歩けなくて1分ほど小休止をしたり。
車庫に着くと、1時間の除雪作業をしないと車庫から車を出せない。車庫は町道の茶内線に10mでつながっている。除雪車が接続点にどっさり雪を積み上げているのでこれを取り除くのが一苦労。そんなこんなで1時間の労働が待っている。
例年12月にしていた車庫の除雪作業、今冬は2月も半ば過ぎになってようやく。雪が降って5日目、カンジキで踏み固めた雪道、そろそろ長靴で歩けそうだ。そうなると東までの歩行時間は25分ほどで歩ける。
2年前から夜の外出はしないことに決めた。昼夜に関係なく事故は起こるけれど、冬の夜道を歩くことは寒さも厳しく、控えることにしている。こうして年をとってゆくのかなぁ。
07年2月16日記
雪が少ないなど
と言ってたら2月11日に25cmほど降って、14日夕刻から15日、更に25cm降って、16日にかけて10cmほど積み増して。積雪高は70cmほどに。ようやく冬の到来といった感じです。
昨秋、馬に用意した乾草ロール14本、倉庫の中に残るは3本、外の餌場に2本ですから、2カ月半で9本のロールを食べたことに。残る2カ月で5本のロール、間に合いそうだが際どい。4月の雪解け時期に出したロールは半分を残して笹に向かうことが多かった。だから餌場に残っているロール2本が姿を消すまで、倉庫からは出さないで、食べっぷりを観察することに。
今冬は約300kgの乾草ロールをD型倉庫から餌場まで、距離にして15m、9ロールを自家用トラックで引っ張り出し餌場にセットした。現在餌場には2本、これでは4月までは持たない。3月には餌場のロールは無くなるだろう。その時は例年通り、2枚滑車を使って、一人力で4人力を出せる仕掛で、草出し作業を。
これはこれで遣り甲斐のある仕事なのだが、今年あたりから気分的に億劫になりつつある。これも年のせいかも知れない。
こんな気持ちではいけない、で風のない穏やかな日に草出しに挑戦しよう。時速四kmの歩みで日課を果たす気なら問題はない。20代、30代並に考えるから大儀になるのであって、年相応に自分の力を再認識して。
それにしても、雪が降ってくれて一安心。地球、40億年の歩みが、手のひらを返したように変わってしまっては大変ですよねぇ。でもそんなことを思わせる異常気象の日々。
07年2月9日記
2月6日夕刻
6日早朝、町に出るため西牧場を後にした。その時ポニー達、9頭は乾草の餌場に勢揃い。ところが夕刻4時45分西牧場に帰ったら、馬の姿はなし。どちらに向かったか、笹を求めて餌場を離れたよう。
冬場に餌場を離れることはなかったこと。これも暖冬異変です。1日でも笹を食べてくれると乾草の消費は減る。その分、財政は助かる。今年のニューフェイスが顔を見せてくれるのは未だ3カ月先の話。何処で生まれても良いけど、この調子だと、餌場の近くでは出産はしないかも。
馬達の外出、有難いと思っていたが、7日朝8時、馬達は餌場に帰っているではないか。
午後は久しぶりに牧場の西へ散歩に出る。馬達の足跡をたどって西に歩き始めたが、3分も歩いたら向かったのは西ではなく牧場の北側へだったことが分かった。
川瀬牧場の近辺には大正、昭和の初期に利用された軍馬放牧用の土塁が残っている。土塁の断面図、高さ1.5mで底辺の長さ約3mの円錐状の土の壁を想像してください。造られた当時は馬を囲ったのでしょうが、今は役目は果たせません。所々で馬が通り抜ける道が出来ています。
その土塁上には雪はなく笹が見えます。が平地の林床に雪がなければ笹が一面なのに、僅か30cmの降雪が、硬い雪になって笹をカバーして見えない。馬が早々餌場に帰ったわけが分かりました。食べ易くはないのです。
7日は朝から射撃音が聞こえない。硬い雪の上を牧場の西境界を越えて1.5km先のピリカ台まで散歩をすることに。
演習場内の風蓮道からピリカ台に向かう道路は除雪がされていて散歩にはうってつけの道路事情です。演習するために除雪をしたのでしょう。演習のために。
07年2月2日記
正月31日08時31分
居間にいて聞いた射撃音。正月7日の射撃音と比べ、音の大きさを同じ感じで確認した。その後9時頃、西牧場から東牧場へ車で、車庫に車を置いて徒歩で西牧場へと帰った。どうやら120mm迫撃砲の発射地点は川瀬牧場の南側で撃っているようだ。155mm砲と同じ大きさで聞こえるのは西牧場の近くで撃っているからだろう。
155mm砲はドッカーン!!だが、120mm迫撃砲はポン!! てな、感じです。午後も時々聞こえたが、テレビの国会中継を観た。そして午後3時半以降、射撃音は聞こえなかった。
一昨日、東牧場から夕刻歩いて帰る途中、南側から車の移動する音が聞こえた。西牧場の南側から発射する為の準備をしていたのかも。
1日、2日と120mm迫撃砲、多目的誘導弾システムを。それに2日は155mm榴弾砲も250発を撃つ予定になっている。1月7日に撃ったのは東の端から。2月はどこから撃つのか。155mm榴弾を牧場の近くから撃つと、屋根に掛矢を打ち込むような音がして、ゆっくりテレビを観ている訳にも行かなくなる。それ程うるさい発射音になる。
1日午前、120mm迫撃砲の発射地点を問い合わせたら、やはり牧場の南から撃ってることが分かった。120mm砲の射程は8km、着弾地に近寄らないと届かない。
155mm砲は何処から撃つか、それによって生活環境が大いに乱される西牧場なのです。
07年1月26日記
雪が多いと豊作
訳は訊かなかったけど、別海町にきて間もなく畜産業をしている古老から、雪の多い年は豊作だと聞いたことがある。これから先どのように降雪があるのか分からない。けど転居後18年目の冬、矢臼別原野の雪が少ない。未だに郵便配達の車が西牧場まで入ってくる。私も買い物が多い時は車で運んで、車庫に車を置きに行く。
23日朝の新聞では海洋のサンゴが死滅していると見出しに出ていた。このことも言われだして久しい。別海町でも雪の少ない冬を経験しているわけで、今年の菜園の出来具合はどのようになるのか。少し気になる冬の気象です。
昨年は豪州南部の穀倉地帯で異常乾燥が続いて凶作が報じられ、農民の自殺者が多い旨の報道を目にした。
一人だけの菜園ではあっても、例年と同じように農作物が採れるかどうか気になるものです。
矢臼別原野で起こることは、即地球表面の一部で異変が生じている、と考えるべきでしょう。そして異変が世界と繋がっている。決して大げさな考え方ではないと思う。
雪の少ない今冬、どのような難問に突き当たるのか、とにかく気象の変化が気になるこの頃です。春先にアジア大陸の黄塵で景色がかすむ。あまり知らなかったことが最近は毎年起こる。
雪のことで、話が大法螺になりました。皆さん気になりません? 。
07年1月19日記
風蓮川の魚と環境を考える学習会
1月27日10時〜13時30分の時間帯、別海温泉ホテルで「学習会」が開かれるという。主催は「道東のイトウを守る会」。
昨年12月29日の「つぶやきのページ」で書きましたが、新年度予算では別海町側の演習場内砂防ダム予算は見送られました。予算計上を止めたのは「道東のイトウを守る会」の人たちです。
演習場北側と草地との境界線は風蓮川です。演習場内から風蓮川に注ぐ支流に最初の砂防ダムが造られたのは1976年です。そして30年、16基目が建設中です。
演習場の南側で砂防ダムが造られ、間もなく環境問題として取り上げられ計画が撤回されたのは2003年のこと。なのに同じダムを北側では造られた。
砂防ダムの建設は風蓮湖の汚濁を防ぐが目的です。風蓮湖と川の汚濁原因は雨の後、川面を見れば一目瞭然。川瀬さんは風蓮川に架かる上風蓮橋のたもとで、演習場から流れ出る水と草地からの水とを見比べて、汚濁源が何れかを早くから知っていました。
風蓮湖の汚染源は草地からの流水で、演習場からの流水は白。でも不要な砂防ダムの建設は続いた。それがここに至って、ダム予算の計上を止めたのは先に書いたとおりです。
もう4年も前になるか、別海町議会で町長が「鮭の稚魚を食べるイトウは鮭の天敵、イトウはいないほうが良い」旨の発言をしました。
これを聞いてびっくりしました。町のトップの発言ですから。
学習会の知恵を武器に砂防ダム建設撤回を勝ち取ることを切に願うばかりです。
07年1月12日記
今年は雪が少ない
6日、7日、8日と釧路の南を台風並の低気圧が7日,最接近して通過した。6日は雨が、7日は朝方雪が、午後は雨が降り、風はそれ程吹かずに、8日には早朝から吹雪になり、終日降雪の天候、北よりの風が吹いた。が雪は予想したほど降らず、9日は郵便屋さん車で郵便物を配達してくれました。
鳴り物入りの低気圧が通過、でも牧場には被害はありませんでした。とはいえ温室の被害を避けるべく荒天準備はした。ハウスの棟を支柱で支え、軒先のビニールシートの側面1Mの高さはきれいに除雪して雪の落下に備えた。降雪は精々20CMですからビニールの屋根から滑り落ちた雪はサイドに滑り落ちて雪の重量でつぶされる様な事はなかった。
これから先、1週間の天気予想ではお日様マークが続いているので、20日まで郵便屋さんは車での配達が続きそう。
運動不足の私は東牧場の車庫まで1.5KMを歩いて足を鍛えます。
川瀬さんの話です、一冬車で出入りしたことがあったし。又ある冬は車を自宅前に置いたまま一冬過ごしたこともあったと。
今回の嵐は雨交じりの雪、その後北からの強い風が吹いたので、春先のように雪の上は固くなって、歩いても踏み込むこともなく、今のところ初めての冬を経験しています。
07年1月5日記
新年の抱負を
川瀬牧場を平和公園に! これは川瀬牧場に住いを置く人間にとっては大目標です。昨年の実績から考えると、12月3日に東屋を仮棟上までもって行けたことは良かった、と思う。私は西牧場を2か月留守に、でその責任の一端を果たせなかった。けれど9月からは菜園を立て直したり、ポニー達とも関係を取り戻したりで少しは住人らしさを取り戻した。と思っています。
昨年の大きな教訓は「人が住まなくなると、菜園は原野の姿に戻る」を実感したことです。
元気な川瀬さんがいて、矢臼別の平和運動が続く。将にそのことの証が東屋の仮棟上でもあります。
多くの方から健康第一に頑張って下さいと言われます。その励ましを、わきまえて大きな目標に近づきたい。そう思っています。
先ずは東屋の落成を期すこと。これを終えると後半は新たな目標に向かう。大事業、展望台の建設に向けての活動です。
これと並行して菜園を保守しつつ、牧場の公園化に向けた手入れ作業等を実行する。それにポニー達をどれだけ人に懐かせるか、これも昨年に続く課題です。
東牧場の井戸掘り、責任者から年末に聞いた話です。井戸を掘った後、宿泊所も建てる計画を持っていることです。これは矢臼別平和公園クラブが考えている公園化構想を実践するが如くで、大変有難いことです。希望の血が騒ぐ計画を聞かせて貰いました。
落ち着いて、落ち着いて、つい嬉しくなってブルーベリー園を拡張したい気持ちになったり。でも今年は現規模を守ることに専念したい。
改めて、先ずは東屋の落成を、そして次なる展望台の建設に向けた活動に取り組みたい。
これが新年の大いなる抱負です。
06年12月29日記
川瀬牧場の今年「とりの催し」
40回目の餅付き大会が9時から、望年会が12時から開かれました。そして閉会したのは午後2時40分でした。参加者は70人ほど、28日夜からの参加者もいて楽しい大会でした。
そして恒例の矢臼別の10大ニュースは次のように発表されました。
1.新鋭輪転機、協同の力で新調。矢臼別平和委員会「平和便り」150号、週刊地域しんぶん「こんにちは」1500号達成など(3月)
2.別海9条の会設立(4月)
3.映画「マリンズ.ゴー.ホーム」(AALA北海道制作)◎道青年平和協議会で上映と矢臼別を語る集い(札幌1月) ◎東北で初、200人の上映会
4.川瀬、三宅、用松3先達の傘寿を祝う(7月)
5.お話の会「くさぶえ」の発表に感動(7月) ◎読み聞かせる会で、これは素晴らしい
6.七転び八起き! 「めまい」克服 不死身の川瀬「箕輪訴訟」札幌地裁で意見陳述(7月)
7.盆踊り、のぼり100本新調、新人設営隊長のもと、第42回平和盆踊り(8月)
8.演習場内砂防ダムに「待った!」イトウを守る会など10団体「中止」要請(9月)
9.バーベキューハウス棟上 D型ハウス土間も改良(12月)
10.平和餅つき望年会、今日40回記念の集い(12月)
コメントなしでは分からないニュースもあろうかと思いますが、8番目に東屋の棟上があって、ほんの少しその内容を話す機会がありました。
いよいよ東屋は来夏の竣工を期します。
06年12月22日記
今年の積雪量
まだ3回ほどしか雪は降っていない、18日の降雪とあわせて35cm〜40cmくらい。今の季節、降った雪はそっくり残らずに昼間、太陽が照りつけると、とける。で積雪高20cmほど。去年はどれくらいかページをさかのぼって見たら、50〜60cm。ポニーたちは乾草に張り付いていたとある。
今年は時々、乾草の周りから姿を消す。それに私もまだ車で出入りして、自宅に車を乗りつける。
大雪のこんうちに、30mほど離れた乾草置き場の倉庫から1か月分ほどの薪を運んでおかなくては。それにブルーベリーの根っこに殺鼠剤のお供えをまだ遣り残している。これをしないと果樹の幹がかじられて、まともに成長してくれない。毒のお供えは酷な仕打ちだが許してもらおう。
天気予想はとても出来ないけど、根室の南海上を低気圧が通過する気圧配置になると、車を車庫に置く。40cmの積雪高が東牧場に車を置く目安。
「徒歩は大変ですね」と時々言われますが、今のところ徒歩は健康管理上、ころあいの運動です。
だから何時大雪になっても良いのだが、薪運びだけは早くして置きたい。薪ストーブの暖は石油ストーブでは味わえない暖か味がある。換気口を上手に調節すれば、30畳ほどの空間が20〜25℃で四六時中、保持出来る。就寝時は4℃くらいは下げるよう、換気口を絞ることにしている。
焚きたくても近くに薪を置かないと、それは出来ない。冬のご馳走は「屋内が暖かい」こと。転居まもなく中標津在住の酪農家から聞いた話。その人が教えてくれた薪ストーブが今冬も暖かいご馳走を日々。
薪運びは今週の目標です。
06年12月15日記
初雪は12月7日午後から
冬の矢臼別、川瀬牧場にもようやく雪が降りました。積雪8cmほど。そして10日は20cmほど。でこれが根雪になるのではと思っています。
牧場内の菜園は深い眠りに。そして4月の雪解けまで白い化粧をしたまま眠ります。
今夏の菜園の収穫を少し書いておきます。6月末までは我が西牧場菜園も雑草という邪魔者は比較的に除去されて人参、大根、ジャガイモ、花豆、ブルーベリー等々順調に育っていました。それが7、8月と2カ月間、西牧場を留守にして、菜園に手をかけられず放置し、9月1日に矢臼別に帰って見た風景は花豆とブルーベリーとカボチャの姿をようやく確認できる、草ぼうぼうの風体。ジャガイモの葉っぱは見えないし人参、大根、キャベツ、小松菜等々草に埋もれていました。
姿の見えた作物は並の出来かと思いきや、後で量を量って例年の略半作であることが分かりました。ジャガイモの作は昨年一株で8から9個の芋が、今年は4個から5個に。 花豆も収穫はしましたが、例年25kgの収量が今年は12kgほど。これも半作です。以前から我が菜園は雑草が多くて草を除去したら収穫が増えるから、と言われていたのです。そのことが今回ようく分かりました。
エネルギー保存の法則ではありませんが、今年は地力が雑草に化けただけで、来夏は植えた種に地力が集積するよう精を出せば、と思っています。
ブルーベリーは初めての収穫で、15kgほどは採れたでしょうか。果実は草に埋もれて光も当たらず小粒で、ベリーの味を知っている友人に試食してもらったら、甘味が少ないと言います。
果物は光がたっぷり当たると甘味が増すことを栗作りの専門家の話で知りました。来夏は甘いブルーベリーを作ろうと思います。が鬼に笑われないうちに来年の話は止め。
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